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遠くでダンッと破壊するような音がした。 暫くすると複数の足音が聞こえ、バタバタと近付いてきた。 「お客様、違反行為です。キャストへの拘束や暴力は禁止の筈です」 能面のような顔に怒りの色を滲ませた柊が、俺に覆い被さる男の肩を掴み、乱暴に引き剥がした。 「なっ……!貴様ら、不法侵入だろう!警察を呼ぶぞ!」 「どうぞ。呼んで困るのは、お客様でしょう?」 男の強気で傲慢な態度に何一つ怯まず、寧ろそれ以上に高圧的で冷淡に、柊は男を睨み付ける。 「くっ…………罰金なら払う。いくらだ?」 「こちらは、特別な商品になりますので……」 切れ長の目をカッと開き、一瞬のうちに男を思いっきり殴り飛ばした。 「ぐあっ……!」 男はベッドから転げ落ち、床の上に尻餅をついた。 「こんなに傷つけて……金だけでは、済まされませんよ」 転がる男の髪を、乱暴に鷲掴みして引っ張り立たせると、鈍い音を立てながら男を何発も殴り続けた。みるみるうちに顔が腫れ上がり、鼻血で男の顔は血塗れになる。男が苦しそうに呻き声を上げ踞ったけど、何の躊躇もなく蹴り続け、血飛沫が辺りに飛び散った。 柊の顔、手、スーツも血に染まり、その姿は阿修羅のようだった。 「レイの時は、金で済んだだろう……この青二才がっ!こんな店潰す事、私には造作無いんだぞ!」 「いいですよ。お客様の好きになさって下さい。あぁ……そういえば娘さんが、いらっしゃいましたよね?」 柊の言葉に、男は顔色を変え黙り込む。 「おめでとうございます。来月、挙式ですね。花嫁の父親がこんな変態だなんて、新郎側に知れたら大変でしょうね」 「……やめてくれ……それだけは……言う通りにする……悪かった……」 「ヤス、こいつに誓約書にサイン書かせて。それと、罰金は現金できっちりな。あとは頼んだ」 ヤスは「わかりました」と頷き、スタッフ二人に男を拘束させ、地下室から出て行った。 霞んだ俺の視界に、血塗れの手が伸びてきた。 「ひぃぃぃ!やだぁ!殺さないでっ!」 陵辱と恐怖の連続で頭が錯乱し、泣き叫びながら暴れた。 拘束で動きが制限された上に、恐怖で力の入らない身体では、シーツを蹴って、足をバタつかせるくらいしか出来ない。 「柚希……大丈夫だよ……何もしない……」 今まで一度も聞いた事のないような、甘くて優しい声色で囁き、柊の大きな手が頬に触れた。 混乱し、喚き続ける俺を「大丈夫」と言いながら、包み込むように抱きしめ、頭を優しく撫でる。 俺が落ち着いて静かになると、側に置いてあったナイフで手枷を切って外し、ゆっくりと抱き起こした。 「柚希、もう怖くないよ。大丈夫。俺の側にいて、言う通りにすれば、何も酷い事はしない」 静かな空間に、俺のしゃくり上げて泣く声が木霊していた。 柊が羽織る血飛沫が付いたライトグレーのジャケットは、俺の涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡れ更に汚れた。 「柚希がいい子にしてれば、ずっと優しくするよ」 優しく髪を撫で続け、ゆっくりと柔らかい口調で耳元で囁く。 「一緒に、おうちに帰ろう?」 冷たい手が頬を包み込み、柊の方へ顔を向かされる。 虚ろな双眸に映るのは…… 薄明かりの中、血に濡れた顔でうっそりと笑う、美しい悪魔のような男ーーー 頭が朦朧として、何も考えられない。 柊の言葉が呪文のように、頭の中で繰り返し流れてる。 言う通りにすれば、酷い目にあう事はない…… いい子にしてれば、優しくしてもらえる…… 自分の意思とは違う何者かに支配された頭で、操られてるみたいに頷いた。

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