123 / 134
118
スパイ行為なんて言うと、すごく危なくて難しそうな感じがするけど……
要は、ハニートラップ要員だ。
一番年下でか弱く、ましてや俺は芸能人だ。
普通は、こんな危険な役回りに選ばれない。
でも、“俺だから”こそ選ばれた。
何故なら……
俺は生まれつき、他を圧倒する程のオーラを持ち、俺に触ろうとしても威圧感に負け、相手が屈してしまうからだ。
今まで襲われそうになった事は沢山あった。
でも誰一人として、俺に手を出すどころか、触れる事すら出来なかった。
そのオーラがあるからこそ、芸能人としても成功しているんだと思う。
※ ※ ※ ※
ーーーー白金市内 会員制クラブ
VIPルームーーーー
ガラの悪い連中が、女を侍らせる。
テーブルの上には、フードとデザート、シャンパンや焼酎のボトル、飲みかけのグラスが乱雑に置かれていた。禁煙の表示があるのに、空き缶を灰皿代わりに煙草を吸っている。部屋は煙で充満して霞みがかり、空気が淀んでいた。
「ごめんなさい……間違えて入っちゃった……」
個室の入り口に立つ、突然入ってきた余所者の俺を一斉に男達は睨む。
その他人を排除するような鋭い眼光は、忽ち憧憬の眼差しに変わり、感嘆の声が上がり始めた。
「稀瑠空?本物?」
「えっ?めっちゃ綺麗!」
「顔すげー小さい!スタイルいいなっ」
「こっち来て!俺の隣に座りなよ」
「良いんですか?……じゃあ、お邪魔します」
座るように声をかけてきた赤髪の男ではなく、タトゥーとボディピアスだらけで髪を結った男の隣へ座った。長髪の男は怪訝そうな顔をして、何も喋らない。
この男の周りにも、露出の多い格好をした女が媚びながら何人か座っていたけど、他の奴等と違って男は女に興味を示さず、黙々とロックグラスで酒を飲んでいた。
「芸能人じゃ、結構遊んでるんだろ?好きな酒頼めよ。煙草は?」
赤髪の男に差し出された煙草を、微笑みながら首を振り丁重に断ると、男は照れたように顔を真っ赤にし、ニヤけていた。
「僕、お酒は飲めないから。ジンジャーエールで」
「案外マジメなんだな」
別の男が呟くと、早速スタッフに注文した。
ドリンクが届くと乾杯が始まる。
男達に質問攻めにあったり、口説かれたりしたけれど……
適当に躱して流していたら男達は諦め、侍らしてる女を構いだした。
「あなたは、つまらなさそうにしてるね?」
隣に座る長髪の男に声をかける。返事はない。
「僕なら、あなたを愉しませる事、出来ると思うよ」
男はチラッとだけ俺を見て、すぐに視線を外した。
俺は男を蔑むような目で見ながら、すっと立ち上がり、ゆっくりとグラスを傾けた。
男の束ねられた豊かな黒髪は、頭の上から降り注ぐジンジャーエールで濡れ、床の上には氷が散らばっていた。
「クソガキがぁ!芸能人だからって、調子に乗るんじゃねーよ!」
「大丈夫ですか?井口さん!」
部屋が騒然となる。
女は青ざめてオロオロして、男達は慌てて井口へタオルを渡したり、床を拭いたりしていた。
「…………俺とこのガキ二人きりで話すから。お前ら出て行け……」
井口の凄んだ声に男達は顔色を変え、一斉に部屋を出ていった。
人で溢れていたVIPルームは静まり返り、立ったままの俺と、びしょ濡れになりながらソファーに腰を掛ける井口の二人りだけになる。
「あなた、SHGのNo.2の井口さんでしょ?樋浦柊の“忠犬”の」
「…………」
「人を捌けたのは、僕にお仕置きする為じゃないよね?」
黙ったまま正面を向き、井口は俺を見ない。
濡れた髪からは、滴が滴り落ちている。
「僕がゴミを見るみたいにあなたを見た時、あなたは期待してた」
井口のジンジャーエールで濡れた喉仏が、ゴクリと上下に動く。
「あなたのご主人様は可愛い仔猫に夢中で、全然構ってくれないからね……寂しいんでしょ?」
やっと俺の方へ視線を向けた。
その目は少し潤み、微かに頬が紅潮している。
「僕が新しいご主人様になってあげる」
口を噤んだまま、少し驚いた顔で俺を見ている。
「忠実な犬になってくれるかな?」
男の濡れた髪を撫でると、ビクリと体を揺らした。
「僕だけの犬になって……可愛がってあげるから……」
「………………はい」
目を伏せて冷たく見つめると、井口は息を荒くし喘ぐように答えた。
「…………犬は喋らないし、椅子に腰掛けないよ」
躾のなってない駄犬を睨み付け、暫らくの間沈黙した後、キツイ口調で冷たく言い放つ。
「………………わん」
井口は床に四つん這いになり、上気したような顔で、仔犬のようにか細く鳴いた。
※ ※ ※ ※
映像を修正する為にも、ハル先輩に10分程時間を貰っていた。
前もってこの日、ユズ先輩は補習で白鷹中へ登校するって情報が入ってたから、登校時間で家を出るまでのダミーの動画は既に作ってあった。
「ハル先輩、修正終わりました。もうすぐ映像差し替えます」
連絡のやり取りは、グループ通話にして電話を繋ぎっぱなしにしていた。
ワイヤレスイヤホンをハル先輩、セイジ先輩、ナツ先輩が付けて、俺達の所はハンズフリー通話にしていた。
『了解』
「今、差し替えました。繋ぎも自然で上手くいったよ」
『じゃあ、柚希をここから連れ出すから。何か動きがあったら、連絡よろしく』
失敗は許されない。
もし失敗したら柊は更に用心深くなり、次のチャンスは恐らく皆無になる。
だからこそーーー
何が何でも必ず今日、
絶対に、ユズ先輩を救い出す。
ともだちにシェアしよう!