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第1話

 セツが鍋の蓋を開けると、立ち込める湯気と、こぽこぽと上がる気泡の音が聞こえた。そろそろ風が冷たさを増し始める季節。温かな空気に、彼は少しほっこりとした気分になる。自然零れる笑み。 「よし、こんなものかな」  木杓子で鍋のスープを少し(すく)うと味見をする。少し行儀は悪いが、どうせ独り暮らしなのだ。誰に気兼ねする必要もない。セツは上出来とばかり、(かまど)から鍋を下ろすと代わりにヤカンを掛ける。 「セツ!」  ちょうど準備が出来たころ、狙って来たのではないかと思うタイミングで玄関の扉が開いた。彼より幾分か年下の少年が、扉から顔を覗かせている。  漆黒の髪と瞳。日に焼けた健康的な体躯。人形のように整った顔は、セツの住む村でも際立った美しさだ。ただヒトと違うのは、艶やかな黒髪の頭頂部から覗く、ヒトの耳とは別の三角形の獣の耳、腰の後ろの辺りから生えた長い尻尾。そしてそれは白銀の髪と、白磁のように白く滑らかな肌、夕闇のような菫色の瞳を持つセツにも。 「ロウヤか、どうした?」  ロウヤと呼ばれた少年は、セツの声に耳と尻尾をピンと立てると、弾むような足取りで彼の側に駆け寄って来た。 「セツ独り暮らしで寂しいだろうから、遊びに来てやった!」  そう、得意げな表情を浮かべる。セツは「そうか」と、頷くと、手を伸ばしてロウヤの頭をぐりぐりと撫でた。 「せっかくだから、昼飯食って行くか?」  そう言われることは承知済みだったのだろう。鼻をひくひくとさせているロウヤにそう告げると、彼は満面の笑顔と共に、ばたりと黒い尻尾を揺らす。 「なぁ、セツ」  彼のために椀にスープをよそいながら、呼ばれてそちらへと顔を向ける。自然後ろへ引かれて倒れる耳。ヒトの耳とは別のそれは、周囲の音を聴き取る機能はない。 「俺、今夜呼霊(こだま)の儀式をする事になった」  じっとセツを見る瞳。彼は少し目を伏せると、鍋へと視線を戻す。 「そうか、ロウヤもそんな年になったんだな」  殊更なんでもない風を装うと、彼の前に椀を置き、木匙と少し固くなったパンを添える。人狼の里は豊かではあるが、贅沢が許されるほど肥沃ではない。 「俺、セツを呼ぶから。セツしか呼ばないから」  その声にセツが顔を上げると、吸い込まれそうな程澄んだ黒の双玉と出逢った。 「俺は……」 「セツが今も兄さんを好きなのは知ってる。でも、俺にもチャンスが欲しいんだ」  ロウヤは椅子から立ち上がると、凍ったように自分を見つめる彼の傍らに寄りそい、そっと両頬を包み込むように手を当てた。  目の前の綺麗な顔と向き合ったセツは悟る。さっきまで居たはずの、可愛い弟のような存在はもういないのだと。ほんの少し前までは見下ろしていたはずの、自分より少し高い位置にある目線。そこにいるのは、切なげな眼差しで自分を見つめる雄だ。それに気づいた彼は、無意識に後退ろうとして、いつの間にか腰に回されていた腕に引き止められた。 「五年前兄さんが結婚した時言っただろ、俺はセツが好きだって」

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