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―8月20日水曜日―
「ありがとう」
机に置かれたコーヒーに礼を告げる。
いつもなら直ぐに姿を消す影が、背後に留まったままで、直弥は見上げ振り向いた。
「どうしたの?」
お盆を抱え小首を傾げ、マジマジと顔を覗かれる。
「何か田辺さん、最近元気ないですねっ」
心配そうな瞳はキレイにマスカラがつけられていて、パチパチとしぱたいている。
普通の男ならそんな仕草と可愛らしい顔に破顔するんだろう。
「そうかい? そんな事無いけど」
直弥は営業用の笑顔を柔らかに返した。
「キャッ!久しぶりに見れた。田辺さんの笑顔。女子社員で見れたらラッキーって話題なんですよ!」
にっこり返された笑顔は本当に愛らしくて。
天真爛漫さは、仕事が出来る出来ない以前に社内を明るくし、好かれる。皆から下の名前で呼ばれているのも、可愛がられている証拠だろう。
直弥とも気軽に話し、以前から良く冗談も言い合う仲だった。
「なあ、アイちゃん」
「何ですか~」
「……最近の高校生って、何考えてるか判る?」
頭に大介が浮かび、ぼんやり考えていた。
(拾ってきた犬や猫を優しく抱き締めてきた様に、俺も抱き締めたのだろうか)
直弥の高校生時代には居なかったタイプだ。大介の真意は、計り知れない。
「高校生? うーん。突然キレて犯罪とか?良くワイドショーでやってるの見てると怖いですよね。少年犯罪に興味有るんですか~?」
つい3年前までは高校生だったアイちゃんが、社会人の顔でそれなりな答えを返してきた。
直弥にとっては、大介よりアイちゃんの方が幼く感じる位だけれど。
「いや、そういう事じゃないんだけど……」
「あ~もしかして田辺さん、女子高生狙ってるとか~?それは田辺さんが犯罪ですよ~!」
「はぁ?! そんな訳ないだろ!」
キャッキャと笑い転げているアイちゃんの、お盆を裏拳で叩きいなした。
「あ、矢島さん!矢島さん!」
アイちゃんの一言で、直弥の笑顔は凍り付き、血の気が音を立てて引いてゆく。
「なに?」
そつのない物腰で、遙平がやってきた。顔色一つ変えずに。
「田辺さん、高校生に興味があるらしいよっ」
「ア、アイちゃん、」
「へーえ、こりゃまた」
最近逃げ続けてきた。
遙平に正面切って見つめられるのは、どれ位ぶりなんだろう。掌の汗が止まらない。
「最近、遙平……矢島さん、あんまり仲良くしてないからっ。前はすっごく仲良かったのに。また田辺さんの話聞いてあげて」
「アイ、仕事に戻った方が良いよ。部長が睨んでる」
遙平がアイちゃんをいなした。
肩に手を置いた音が、直弥の胸を締め付ける。
「はーい」
従順にパタパタと足を鳴らして、アイちゃんは給湯室に消えていった。
遙平と二人残され、押しつぶされそうな空気に直弥は顔を伏せた。
「アイと何の話してた?」
「別に……世間話」
「高校生って?」
「何でもないって。安心しろよ。バラしたりしないよ。一生」
アイちゃん。
明るく気だてが良く、裏のない子だと客観的に思う。だから憎んでも憎みきれない。羨みは余りあるけれど。
正直勝ち目は無いと思う。性別がそれ以前に直弥には完敗だ。理解出来る。だけど、感情はそんなキレイに割り切れやしない。
「直弥、そんな事、言ってないだろ」
こんな関係になった後でも、平然と話しかけてくる遙平の性格にも呆れる。でも好きだった頃は、こんな鈍感であっけらかんとした性格が大好きだったんだ。
自分も身勝手なのか。と直弥はまた項垂れる。
「お前も席に戻れよ。部長が睨んでるのは俺だけだけど」
直弥は遙平を見上げ、顔を歪ませ自嘲の笑みを浮かべた。
(俺は今、どんなに醜い表情をしているんだろう……)
直弥は堪えきれず遙平を残し、トイレへ立った。
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