33 / 255
―8月22日金曜日―
* * *
家までの道中ひとしきり喋っていた大介が、マンションに着いた途端黙って、直弥が部屋番号とオートロックの暗唱を押す指を見ている。
気にする反応をするとまた”ストーカーじゃない”と怒鳴りそうだから、直弥は気にせずやり過ごした。
「何処でも好きな所に座って」
「了解」
大介は胡座をかいて座り込んだ。
「まだこないだの事なのに、なんか懐かしいな」
大介は部屋の中をキョロキョロと見回し、ニカッと笑っている。
おぶって送り届けてくれた日の事を言っているんだろう。
直弥にとってはあまり思い出したくない事で、お茶を煎れにキッチンへと逃げた。
「本当にピザで良いんなら選んでくれ」
部屋に大介の無駄な視線が届く前に、直弥はピザのメニューをすかさず投げ渡した。
「遅いっスね」
「ホントだな」
なかなか来ない宅配を、二人は手持ち無沙汰で待っていた。
他愛のない話は弾んだけれど、空腹も手伝って時々沈黙が走る。
「そう言えば、あん時……」
少し途切れた話の後、大介からの話のフリに直弥は背筋に緊張がはしる。
「ナオヤさん、オレに敬語遣ってたっけ」
「そうだっけ?あぁ、そうだ。だってあの時は、」
「オレの事、年下と思ってなかったんだもんな」
「しょーがないだろ!」
大介が癖のある笑い声を部屋に響かせた。
「アンタ半分寝てたから、覚えてないかも知れないけど、オレは年上だって分かってたから、敬語遣わなくて良いって言ったのに。ナオヤさん『そんな失礼な事出来ない』って」
”チョー可愛かった” と大介にまた笑われ、直弥は俯く。
「ダイスケ君だって、俺の事年上って言っても、こんな上だとは思ってなかっただろ?こんな……」
「前も言っただろ。ナオヤさんはおっさんじゃないって。26なんて知り合いにもいるけど、誰も自分でそんなこと言う奴いないし、ガンガン若いって」
大きな口を開けて笑っていたのに、大介は急に真面目に呟いた。
「世間は違うかも知れないけど、俺自身はもうおっさんだよ。身も心も。夢もなきゃ、何も始める気も起こらない」
神妙な顔の大介の代わりに今度は直弥が笑顔を見せた。自虐的に笑って。
「それって前に言ってた事も含まれんのか? だから、遙平って言う奴の事、まだ気にしてんのか?」
「……」
「ナオヤさんみたいな人が、道で倒れ込む位辛い目してんのに、まだ」
話が、徐々に行って欲しくはない方へ流れてゆく。
直弥は眉根を寄せ、話がきれるよう宅配のピザが来ることを願い、何度もインターホンの受話器を見詰める。
「そんな事無い。遙……矢島はもう関係ない」
「本当に?」
大介の酷く幼い声だった。
「オレが、」
肩を掴まれ抱き寄せられ、直弥の視界がグラリと揺れる。
「いるから。アンタの事」
大介に力任せに抱き締められ、直弥は声を上げそうになった。
直弥を驚きと戸惑いが一気に襲う。
けれど力強さから、必死に慰めようとしているんだろう大介の優しさを肌で感じる。
「ずっと、ずっと」
(ずっと……)
暫く聞いた事もない、17らしさを感じる言葉。直弥は何度も息を飲む。
大介の温もりに何をも忘れ、飲み込まれそうになる。
だけど同時に、綯い交ぜになった感情が、堰き止められず溢れ出して、止まらない。
「ダイスケ君」
ポタポタと首筋に当たる雫に気付き、抱き締めていた力を緩め、大介は直弥を覗き見た。
「俺は……そんなに、可哀相か?」
静かにすすり泣き、途切れながら、直弥は呟いた。
「な、」
大介の血相が、変わった。
「何言って……んな訳……」
抱き締められた時と同じ位強い力で、突き放される。
「アーーーーーー!!」
込み上げた感情を、全て腹の底から吐き出す様な叫び声を上げて、大介は飛び出していった。
「ダ……イスケ……」
腕に背に大介の指の感触が残ったまま、直弥は茫然と一人部屋に取り残された。
何度もインターホンが鳴っていると気付いたのは、頬を伝う涙が乾いた頃だった。
座り込んだままインターホンに近づき、受話器を取る。
_「遅くなってすみません!ピザ屋の配達に伺いました!」
今更な元気で明るい大声が、耳に突き刺さる。
もっと早く着いていれば、あんな間がなければ、こんな事にはなってなかったかも知れない。
「……遅いよ」
直弥は無意識に呟いた。
_「すみません!」
受話器の向こうではひたすら遅れた理由と謝りの言葉がこだましている。
けれど直弥の耳には入ってはいない。握力の無くなった手から受話器は滑り落ちた。
「遅いょ……」
ともだちにシェアしよう!