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―8月26日火曜日―
”直弥にも早く良い娘が出来る様に祈ってるよ”
まるでドラマの台詞の様な、別れ際遙平から手向けられた一言を直弥は思い出していた。
「傷付けてたのなら、謝る」
多分今まで全く思い出しもしていなかったんだろうけれど、鈍感な遙平でもここまで言われれば、微かに記憶が蘇ったんだろう。
「お前の言った事は間違ってないよ。だから俺は何も言えなかった」
別れる時は一言も返せなかったのに、直弥は今何故か冷静に、胸の内を告げられている自分に少し驚いた。以前なら黙りこくっていた筈なのに。
「だからって、高校生に」
遙平の表情が少し険しくなっている。大介の事を思い出したのか。
「どういう意味だよ?それ」
直弥は自虐的な笑みを浮かべると、逆に遙平が黙りこんだ。
「遙平、俺にこれから何もしてくれなくて良い。ただ自分のせいだなんて思わないでくれ」
「………」
「でも、こないだ遙平がここに来た時、俺、”嬉しそうだった”って言われた。今思えば、探して来てくれて、少し嬉しかったのかも知れない。そんな事、今までお前にされた事無かったから」
直弥はこの間の事を思い出し、先程の歪んだ笑みではなく、純粋に遙平へ振り返り微笑みかけた。
遙平は目を丸くして直弥を見詰めてきた。
「俺もお前に今まで”嬉しかった”って言われた事って、ない」
遙平の淡々とした口調が次第に小さく消え入った。
「……そうだったかな?」
”思った事をはっきり言え” と大介を怒らせた。
それまではお茶を濁し感情を押し殺すことばかりで、忘れていた事かも知れない。
「俺達、前からこんな風に話せてたら、もっと…世間体なんかどうでも……」
遙平は独り言を吐きだした。
突如背後から遙平に抱きすくめられ、直弥は飛び上がらんばかりに驚いた。
「な、何してんだ、ダメだ、ダメだ!」
言葉とは裏腹に懐かしすぎる感触に、身体中が震える。
「直弥があんな笑顔見せるから悪い」
「お前にはアイちゃんが」
「アイも好き。だけど直弥も、やっぱりまだ好きだ」
「バカな!」
力無く振り払おうとするけれど、うなじに口付けられ
直弥は自分を失いかける。
喧嘩しても何があっても、首筋にキスをされたら許して来た。
昔からずっと何度も何度も繰り返された。暗黙の合図の様に。
(狡い……)
直弥は思い出に押し潰されそうになるのを耐えながら、唇を噛んだ。遙平の息づかいを生々しく感じる。
だけど……ぎゅっと閉じられた目の奥に見えた物は、一筋の光の先に差し出された、手。
「遙平、ダメだよ」
直弥は目を閉じたまま、やっとの思いで遙平から身を離した。
「直弥、俺、行くからな。今年も」
俯いたまま投げかけられた遙平の言葉は、抑揚は無かった。
「え?」
「行くから。また、な」
トボトボとした足取りで、遙平は去っていった。
「遙平、そうか……」
遙平が残した言葉の意味が解らず、背を向けたまま暫く動けずに居た直弥が、遙平の背中が視界から消えた後、言葉の意味に漸く気付いた。
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