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よくあるチェーン居酒屋。花の金曜日ということもあり、来店客は仕事帰りのサラリーマン達が多く、がやがやと賑やかなムードの中、忙しそうに店員さんが生中を持って歩きまわってる。これだけ騒々しいのであれば、僕たち二人の会話も誰も気にすることなんてない。辛気臭そうにレモンサワーを飲む日吉くんの様子にだって、居心地悪く思うのは僕くらいなもんだ。なんやつい最近もこんな場面あったよな。この前は僕から沈黙を破いたけど、今度は日吉くんから話すのを待ってみようか。図書室での会話を断ち切って、半ば強引に居酒屋に連れてきたのは僕やけど。アルコールが入れば重苦しい雰囲気は払拭できるのかと思ったけど、そんなことは無かった。気まずいなぁ、と運ばれてきたばかりの二杯目の生ビールを煽る。いくら飲んでも喉がカラカラに乾いて仕方ない。こんなにも味のしないビールは、機嫌の悪い皐月くんとサシで飲んだ時以来だ。美味くも苦くもないビールは炭酸のちくちくとした刺激だけが喉に残る。 「そんなに飲んで大丈夫ですか」 「んん?」 あっという間に空になった中ジョッキを見て日吉くんが言う。日吉くんの手元にはまだ一杯目のレモンサワーがあり、僕と違って二口ぐらいしか進んでいない。目の前の刺身の盛り合わせにもあまり手をつけていないようだし、もっと食べよと促しても困ったように笑うだけだった。まぁ日吉くんの立場からしたら、それどころじゃないのだろう。ましてや飲みに誘われるとも思ってなかったはずだ。居酒屋について三十分、頼んだ料理は揃ってきたのに黙々と飲み食いする僕に対して日吉くんはグラスを片手に料理を眺めているだけだった。ようやく喋った日吉くんに少し安堵し、からっと笑ってみせる。 「平気平気。つまみも美味しくて酒進むねん。それに店内暑くてなぁ。もう一杯頼もうかな」 「やめときましょう」 呼び鈴を押そうとして伸ばした手を掴まれた。ぎょっとして日吉くんの顔を見れば、真剣な表情をしていて一転心配そうな表情へと変わる。 「もう顔真っ赤です。椎名さん、お酒弱いですよね」 「ん? あー、あ、あはは、ほんまや」 言われて手を見れば肌が赤くなっている。心なしか動悸も早いし、呼気にアルコールを感じる。味もへったくれないのにちゃんと酔うことは出来るらしい。 日吉くんに掴まれた手をそっと離し、お冷を飲むことにした。氷の入った水が冷たくて、火照りを押さえてくれるような気がする。 「……いつもはゆっくり飲む人なのに、そんな風に飲ませてしまうの僕のせいですよね。すみません」 一息に飲んで空になった僕のグラスに、新たに水を注いでくれる日吉くん。その躊躇のない動作に、本当に日吉くんは優しいのだな、と感じる。はい、と手渡されたグラスを受け取り、僕は胸が痛くなった。 「日吉くん、謝ってばっかやな……」 肺に溜まった重たい空気を押し出すように言えば、日吉くんの身体がびくりと強張るのがわかった。これでは日吉くんがまたすみませんと口にしてしまう。僕は日吉くんに謝らせたいのではないのだ。日吉くんの真っ直ぐな気持ちを誤魔化そうとしたのは僕自身。本来なら僕こそが日吉くんに謝らなければならないのに。 「しんどくないか。そこまで気を使っておらなあかん人間とおるのって」 「そんなことありま」 「僕は!」 日吉くんに被せるように張り上げて声を出す。やや大きめな声だったが、気を留める者は誰もおらずそれをいいことに後を続けた。 「僕は、日吉くんのこと、いい友人やと思ってるよ。ちょっと心配性やけど優しくて、人からの信頼や人気も高い君は僕には過ぎた友達。……だから、そう悲しそうに謝られると僕はちょっと辛い」 徐々に語尾が小さくなっていたが、それでもぶつけられた言葉に日吉くんが息を飲む気配が感じた。 アルコールが入ると僕の場合平常時より感情的になるのがいけない。言葉に出して余計に胸が苦しくなった。僕は日吉くんの優しさにつけこんでるのだろうか。つけこんでいるのだろう、きっと。 「なぁ、なんで怒ったり軽蔑せんの。大概なこと、僕は君にしてるやろ。今だってな、君の優しさにつけこんで全部無かったことにしようとしてる。それでも日吉くんは僕に怒りをぶつけるどころか、僕の心配してるやろ。意味分からんっちゅうねん」 意味が分からないのは、はたしてどっちだろう。僕は日吉くんの気持ちを受け止められない。ならば、日吉くんにきちんとした形で断るべきだ。なのに、日吉くんの気持ちから逃げて知らぬ顔でしようとするのは、僕がまだ日吉くんに情を感じているからなのではないか。こうして居酒屋に来たのも元に戻りたいからだ。前のなんてことのない友人関係に。自分でもどうかと思うくらい身勝手な考えだと思う。最低すぎる僕を日吉くんは見捨てるべきだ。どこを気に入ったかは知らないけど、僕は日吉くんが思うような人間じゃない。 「僕の行動が分かりませんか。そうでしょうね、僕もです」 「……は」 「最初は言うつもりなんて無かったんですよ。僕だって貴方との関係を壊したくない。壊れてしまうぐらいなら、こんな気持ちなんて押し殺した方がいい。でもね、暴いたのは貴方達なんですよ」 射抜くように力強く言い切った彼に、息を詰めるのは僕の番だった。 「塞いでいた貴方への気持ちは醜い嫉妬と共に溢れ出してしまった。一度器から溢れてしまった水が元へと戻らないように、僕の思いはもう戻りません。そのまま、この激情を貴方にぶつけることが出来たならどれだけ良いことか」 日吉くんの瞳の奥に燃える炎のようなものが見えて、一瞬たじろぐ。怯んでしまった僕の様子に気づいたのか、いつもみたいに瞳を優しく和らげられた。それでも垣間見えた日吉くんの素顔に、心臓が不自然に鳴るのを止められない。 「でも、そうすれば貴方は本当に僕の手の届かないところに行ってしまう。それが僕は何よりも怖いのです。貴方に無視され続けたこの数日間、身をもって痛感しましたよ」 「貴方との関係を失うことが怖くて、貴方のことを狂おしいほどに思って、告げることで全てを失ってしまう、そんなサイクルに一体どうすれば最善策なんでしょうね」 皮肉るように言う彼に、僕はなんて返事すればいいのか分からない。日吉くんは手元のグラスに視線を移してから、再び僕を見つめた。たっぷりと間をあけ、再び口を開く。 「と、ずっと堂々巡りでした。……ふふ、ですが、すべてを失う覚悟で貴方に思いを告げようとしたのに、当の貴方は逃げてしまったのだから敵いませんね。でも良いんです、それだけ貴方の中にも僕がいるということなのですから。ベクトルが違えども、捨てきれないという事実に、今はそれで満足しようと思います」 そう言って、ふっきれたかのように笑顔を僕に向ける。胸が締め付けられる、そんな笑顔だ。だからって、僕はやはり日吉くんの望みに添えることは出来ないのだけど。 「僕はまだ諦めきれません。ですが、貴方に拒まれることが一番辛いのです。それなら一生友人のままで構わない。貴方の傍にどうか、いさせてください」 真剣な眼差しで彼は請う。胸が痛むほどの一途で健気な彼の願い。僕も、彼と同じ立場の時があった。想いが伝わらなくても構わない。ただ好きな人の傍にいられるだけで。それすらも出来なくななることが、一番辛いことだから。日吉くんの気持ちを僕も味わったことがあるゆえに、痛いくらいに理解できる。 「……いつでも諦めたってな」 突き放すなら徹底的に突き放すことが最善なのだろう。でも、僕にはそれが出来なかった。 そして、僕の返事に日吉くんは切なげに笑うのだった。

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