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act.XX Next Stage

「頑張ってね」 「うん、ありがとう」  優しく笑う、だから、笑い返す。 「帰ってくることがあったらさ、また遊ぼ?」 「そうだね。連絡する」 「ん。待ってるね」  鳴り響くのは、発車を知らせるベルの音。 「…………明くん」 「何? 朔弥くん」  *****  帰ってきた懐かしい場所で、始めた独り暮らしはなかなかに新鮮だった。  もちろん、「独り」であることの寂しさを味わうことだってあるし、本当に全部、自分でやることに負担を感じたりもするけれど。 「ゆーとー、これもらうよー」 「おー」  二人きりになれる、というのはなかなかに良いことだと思う。  外に出るとやはり恥ずかしいのか、明はなかなか甘えてはくれないし、ただの男友達でありたがる。  それはそれで楽しいから構わないけれど、恋人、的な付き合いだってしたい。3年の空白がある分、余計に。  ペットボトルを持って部屋に戻ってきた明は、ごくごく自然に、隣りに座る。  人前では絶対にしてくれない行為に、自分でもバカだとは思いながら、ホッとしたり、顔が緩んだりする。  別にイチャイチャベタベタしなくたって、こうして存在を感じていられるだけで幸せなんだと。知っているから、この空間を大切にしたいとも思っている。  辛かった3年間だって、きっと無駄じゃないと思えるのは、こんな瞬間だ。 「…………今日さぁ……」 「ん?」  ちゃぷん、とペットボトルの中身が揺れた音を立てた後。  明がぼんやりと口を開いた。  覗き込んだ顔の、綺麗な瞳はどこか遠くを見つめていて。 「どしたの?」 「うん」  自分から話し始めたくせに黙り込むのに、小さく苦笑。  どうしたんだよ、と軽く小突けば。 「……朔弥くんがさぁ……今日、行っちゃったんだよね」 「……は?」  唐突なセリフに、キョトンとする。 「知らない? 朔弥くん」 「知ってるよ」 「じゃあ、大学受かったことは?」 「知らないけど、受かるだろうな、頭イイし」  何の話だ? と内心首を傾げる。  だいたい、行ったって、どこにだよ。  相変わらず国語が下手な明に、苦笑していれば。 「慶応、受かったんだよ」 「…………すげ」  思わず呟きながら、教師達がさぞ喜んだだろう、などとどうでもいいことを考える。  半年、実質3ヶ月しか世話にならなかった教師達の顔を思い描きながらぼんやりしていると、 「…………今日、行っちゃったんだよ……」  もう一度、最初と同じセリフを繰り返された。  淋しそうな、遠い目をしたままの明に、ムッとするのは自分の器が小さい証拠だろうか。 「……それで?」  不機嫌な声を隠すことさえ出来ずに呟けば、 「…………オレは、笑えたのかなぁって……」 「……は?」  またしても、前後関係のよく分からないセリフを呟かれて、苦笑する。 「見送りの時に、笑えたのかなぁって……」 「泣いたの?」 「泣いてないよ? 朔弥くんが笑ってたから」 「……?」  まだ、何処か遠くを見つめる瞳に、無理矢理自分の顔を映す。 「明?」 「…………結人のこと、もしも知ってたら。……結人が、東京に行く日。……もしもオレが知ってて、見送りに行ったとしたら……。……オレは、ちゃんと笑って、……結人のこと見送れたのかなって……思った」 「…………」  伏せられた瞳。  ちゃぽん、とペットボトルの中身が揺れる。  その水音に思い出すのは、3年前の夏の日だ。  眩しい太陽の下で笑った明を、置き去りにした自分の罪。  思い出して、ツキリ、と胸の奥が痛む。 「……笑顔で見送れたのかなぁ……。……それとも、泣いて結人のこと困らせたかなぁ? ……何も、出来なかったかなぁ……」 「あきら……」 「……オレは、どうしただろう」  開かれた瞳は、揺れて彷徨った後で。  ぴたり、と。こちらを見つめて止まる。 「……オレが見送りに行ってたら、結人はどうした?」  泣いた? 笑った?  からかうようなセリフを紡いだ唇は、けれど唇の端だけが震えてた。 「……………………ごめん」  何も言えずに、ただ謝れば。  驚いた瞳が、ゆっくりと笑いに変わる。 「何謝ってんの?」 「……なんとなく」  その優しいような瞳を見つめていることも出来ずに俯けば、ふ、と。小さく笑う気配がして 「…………結人」 「ん?」 「……キス」 「は?」 「して?」  思わぬ単語にガバ、と顔を上げれば、真っ赤になった顔でそう呟かれた。 「…………どしたの?」 「したくなった」  イタズラっぽい笑みだと思った。  なんとなく、優しいようにも思えた。  これはたぶん、明なりの労りのようにも思えた。 「………………そっか」  思わず笑ってから、真っ赤な顔した明を、けれどそっと抱き締める。 「……ゆーと?」 「……きっとたぶんさ……」 「うん?」  素直に腕に収まった明の温もりを感じながら続けた。 「……明が見送りに来てたら……。……オレは、たぶん……何も出来なかった。……バイバイも言えなかったと思うし、こうやって、抱き締めることも……格好いいことも言えなかった。……泣けもしなかったと思う。……ただ、立ってることしか、出来なかったと思うよ」 「…………そう」 「うん」  華奢な体を離して、頬に唇を寄せる。 「…………そっか」 「うん」  微笑った明が、同じように頬にキスをくれて。 「……そっかぁ……」  肩に顎を載せた後で、明が耳元でくすくす笑った。  *****  寒い寒い朝だった。  制服の下に何枚着込んでも、どうしようもないくらいに寒い日で。  学校指定のウインドブレーカーなんて大して暖かくもないし、マフラーをしたところで寒いものは寒い。  大して変わりもしないのに腕をさすったりなんかして。 「さっむいわー」 「ありえんなー」  そんな声が耳に入ってくる中で、キョロキョロと彼を捜す。  アイツが転校した後、遅刻の回数が増えたと聞いて以来、駅に着いてから彼の姿を探すのが日課になっていた。  こんな寒い朝は、寝起きのイイ人間でも布団から出たくなくなる。  電車が来るまで、後5分くらいか。  今の時点で駅にいなければ、電車には間に合わないし、HRにも間に合わない、なんて思った所で。 「…………明くん?」  ホームの、端。  寒そうなブレザー姿で、彼が立っていた。  マフラーも見あたらない。  地面に置いていた鞄を取り上げて、早足で歩み寄る。 「明くん」  掛けた声に。  振り向いた彼の。  瞳が、曇る。 「……あぁ、朔弥くん……」  落胆を顔に浮かべながらも、いつもと変わらない声がそう紡いで。  あぁ、きっとアイツが呼びに来てくれるのを待っていたんだな、なんて思った。  無意識のうちに、アイツを求めてるんだろうなと、思った。  全て忘れても、ココロの奥底では、アイツを求めてるんだと。 「寒くないの?」 「ん」 「嘘。唇真っ青だよ」  巻いていたマフラー外して、彼の首に巻き付けてやる。 「いいよぉ」  エンリョしながらも、思わず零れたのはホッとしたような溜め息で。 「いーから。してなよ。見た目が寒そうなんだもん。こっちまで寒くなるよ」 「……ありがと」  儚い笑みと一緒に、そう呟いた彼を。  守りたいと、この時に強く思った。  アイツの代わり、なんかじゃなく。ちゃんと、守りたい、と。 「……もうすぐ電車来るよ」  時計を見て嬉しそうに笑う君を、見つめていた。  言うなれば、デジャヴ。  新幹線を背にして、君と向かい合うこの瞬間に、思い出したあの冬の朝。  君の隣りに、アイツが戻ってきた時に。  オレの出番はなくなったんだと悟った。  だって、いつも泣き出しそうに不安定だった彼が、今はとても幸せそうな空気を身に纏っているから。  守りたいと思いながら、結局は守りきれなかったんだと思う。  彼が自分に頼ることは、一度もなかったから。 「頑張ってね」  そんな苦い思いを噛んでいれば、彼が。  そっと呟いたセリフに。 「うん、ありがとう」  取り繕って笑えば、彼も笑い返してくれる。 「帰ってくることがあったらさ、また遊ぼ?」  優しいセリフ。 「そうだね。連絡する」 「ん。待ってるね」  にっこりと、笑う彼。  鳴り響く、発車のベル。  彼が、顔を上げた。 「…………明くん」 「何? 朔弥くん」  紡がれた名前。  優しい瞳。 「…………元気でね」  いっそ好きだと言ってしまえばいいものを、どうでもいいセリフしか口に出来ない、自分の意気地のなさを笑う。 「……うん。朔弥くんもね」 「…………じゃあ、ね」 「うん」  乗り込む。  ドアが閉まる。  揺れる手の平。  泣きそうになって、焦る。  言いたいことも言えずに、別れることが、こんなにも悔しいなんて。  涙と一緒に息を飲み込んで、歯を食いしばるけれど。  彼が。 「絶対、また会おーね」  満面の笑みで。  大きく手を振りながらそんなことを言うから。  思わず笑ってから、目尻を涙が伝うのが分かる。 「うん」  大きく、頷くだけで精一杯。  動き出す新幹線。  彼が一瞬驚いた後で。  けれど、変わらない笑みが 「またね」  そう紡いで、遠くなっていく。  見えなくなるまで、手を振っていてくれた彼に。  同じように手を振り返して。 「…………だいすきだったんだ……」  呟けたのは、窓の外が見慣れない風景に変わった後だった。  *****  君の腕の中でホッとしながら、目の前にあった耳の端っこを軽く噛んでやる。 「っ!? 何、どしたの?」 「オレねぇ結人」 「何?」  慌てる君を、ぎゅっと抱いて。 「……あの日の結人に、もし今、会えても。……お前はそのままでいいんだよって、言うと思うんだ」 「……明?」 「…………たぶん、それでいいんだって、言うと思う」  肩に額を擦りつけて言えば、 「……どうして?」  そう問いかけられる。  うーん、と小さく呟いてから。傍の温もりに、もっと近付こうと顔を押しつけた。 「分かんないけど、でも……。……あの日、結人とちゃんとバイバイしてたらさ……オレは、待てなかったかもしれない。……結人が、帰ってくるの」 「明……」  驚いたような淋しいような、静かな声を聞きながら、ゆっくり口を開いた。 「待てなかったっていうか……待たなかったっていうか……。……きっとさ、……諦めてたと、思うんだ」  帰ってくるのか来ないのかも分からない人間と、トモダチを続けていくのは簡単でも。  愛、を。  続けて行くには、まだまだ幼すぎたと思うんだ。  始めのうちは、焦がれたかも知れない。狂おしく苦しんで、今すぐにも駆け出したくなったかも知れない。  けれど、3年。  互いに知り得ない時間が、その間、絶えず流れていく----。  バイバイ、と別れてしまえば、想い出に変わり。  愛は愛でも恋でもない、優しい記憶へと変化しただろうから。  今日、朔弥くんに言った「またね」と同じ「またね」は、言えなかっただろうと、思うから。 「……だからもう…………。……自分のこと、責めなくていーよ」 「っ……」  ぽんぽん。と背中を叩いてやれば。  君の体がギクリと揺れたのが分かる。 「……な、んで……」 「知ってる。結人、ずーっと、自分が悪いって、思ってたんでしょ?」 「……」 「でも、全然悪くないよ。……悪くないから。……自分のこと、許してあげなよ」  もう一度、かぷ、と今度は肩を噛んでから。 「ゆーとー」 「うん?」  震えた声で返事をするのに、笑いながら言った。 「今日晩ご飯、焼き肉しよ、焼き肉」 「………………。オレ噛みながら言うのヤメてくれる?」 「いーじゃん。焼き肉」 「はいはい」  いつかまた、君に逢えたなら。  言える気がするんだ。 「あの日のマフラー、嬉しかったよ。…………言わないでいてくれて、ありがとう」  君にとって残酷だとしても。

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