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第28話 少名毘古那の神②一万円札と未成年

少名毘古那(すくなびこな)の神に手を合わせたというか……正確には、よく知らずにただ拝殿にお参りしたってだけなんだ」  詩は祓戸に説明する。 「賽銭(さいせん)は?」 「それは確か、百円玉1個だけ」 「100円……コンビニコーヒー1杯か……。うーん、それで店の売り上げ大幅アップじゃ、さすがに向こうが気前よすぎるよなあ」  祓戸が腕組みしてうなった。  詩としても同意見だ。 「それに、僕があそこへお参りに行ったのは今回が初めてじゃないんだよ。去年も今年も初詣で行ったし。今回だけものすごい御利益(ごりやく)があるっていうのは変な気がする」 「じゃあ、あいつは関係ないか……」  納得しかけた祓戸が、思い直したように口を開いた。 「……いや。あのヤローのことだから、何か企んでるってこともあり得るぞ? 詩、注意しろよな」 「注意って言われても……」  神さま相手に何を注意すればいいんだろう。  そこで客が入店し、祓戸の隣に座っていた詩は持ち場へと戻る。 「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」  それから少ししてさっきの席を見ると、すでに祓戸は煙のように消えていた。  *  それから数日後――。  詩はもう一度、布田天神に足を運んだ。 (売り上げアップのこと、もし少名毘古那の神のおかげなら、お礼をしなきゃいけないよね?)  何か催し物がある時や、それこそ正月や祭りの際にはにぎわう神社だけれど、何もない平日の今日、境内はがらんとしている。  詩は高い木々の影が差す参道をてくてく歩き、正面にある拝殿の前まで進んだ。  財布を開くと、思い切って一万円札を賽銭箱の中に投げ落とす。  売り上げアップ分からしたらひと桁少ないけれど、日頃の赤字を考えるとこれで精一杯のお返しだった。 (商売繁盛、ありがとうございます……!)  柏手(かしわで)を打って祈って拝殿の奥を見つめる。  拝殿の入り口は開け放たれているものの、見える範囲に人の姿はない。そんなものが感じ取れるのかどうかはわからないけれど、神の気配も感じ取れなかった。 (少名毘古那の神、か……)  少年神の姿を想像する。  それからひと息ついて立ち去ろうとすると、さっき賽銭箱に入れた一万円札に目が行った。  それが惜しいわけではないけれど、確かめるように見てしまうのは、詩にとってそれなりの金額だからだ。 (やだなあ、ただのお金なのに……)  執着してしまう自分に心の中で苦笑いし、詩は(きびす)を返した。  そして木漏れ日の降るのどかな景色を横目に、通りへ出ようとした時……。 「待って!」  よく通る涼やかな声に後ろから呼ばれた。  振り返ると制服姿の少年が、参道を追いかけてくる。  高校生だろうか? キラキラと光り輝くような美少年だった。色素の薄い肌と瞳が美しい。  小柄だが目ヂカラが強いせいでとても堂々として見える。  彼はこちらをまっすぐに見つめながら駆け寄ってきて、詩の目の前で足を止めた。 「これ、落とし物」  細い指が、一万円札を握っていた。  折り目からして詩が賽銭箱に入れた一万円札に似ているが、同じものなのかどうかはわからない。 「僕のじゃないよ」  詩は答える。  もしあの一万円札だとしても、それはもう自分の手から離れたものだから。 「違うの?」  少年はパチパチとまばたきして詩を見つめた。 「じゃあ、これは僕がもらっちゃっていい?」 「うん」  詩はうなずいた。詩自身、自らのとっさの言動が不思議だったけれど、それは目の前の少年が少名毘古那の神だという気がしたからだ。  少年がにんまりと笑った。 「オニーサン、面白いね」 (え……?) 「けど僕にお礼をしたいなら、これだけじゃ足らないかな」  彼は制服のポケットに一万円を突っ込む。 「足りないなら、どうすればいいの?」  聞くと、用意されていたみたいにすぐ返事が返ってきた。 「僕と付き合って」 「えーと、どこへ?」 「違う、交際しましょうって言ってる。もちろんオトモダチ的な意味じゃなく、オニーサンが僕のものになって、僕がオニーサンのものになるっていう意味の」 「…………」  詩はもう一度、神らしき少年の姿を見つめた。  見た目は可愛い。神というより小悪魔的。こんな子に言い寄られたら、未成年だと思ってもころっと心が動いてしまう人間もいるだろう。  しかしそんな彼の魅力の分だけ危険な匂いもした。これが(わな)でなければなんなんだ。 「ごめん、それはできない」  やんわり拒否する余裕もなく、詩はばっさりと切って捨てる。 「なんで」  少年が詩の腕にしがみつき、唇をとがらせた。 「ちょっと、近いって……!」 「付き合ってくれるって言うまで放してあげない!」 「……っ、何が目的?」  詩の耳元で少年が告げる。 「オニーサン、祓戸の神のお気に入りでしょ? 面白そうだから味見してみたい」 「味見って何……?」  聞き返したけれど、嫌な予感しかしなかった。 「想像してる通りだよ。僕はオニーサンとエッチしたい」 (ああ……)  詩は十年前の自分を思い出しながら、青少年の有り余る性欲を思う。  こう見えてこの神は、千年単位で年上なんだろうけれど。  頭が痛くなってきた……。

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