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第29話 少名毘古那の神③猫とねずみ

(どうしよう……)    天神通りを歩く詩の腕には、少名毘古那(すくなびこな)の神の腕ががっつり絡みついている。  あれから彼を振り切って行こうとしたものの、この神はちゃっかり着いてきてしまったのだ。  今日は店が休みでソンミンはいないけれど、このまま戻って店の前で祓戸とばったり、なんてことになったら面倒なことになるんじゃないだろうか。 “少名毘古那の神には注意しろ”と言われていたのに……。 「ねえオニーサン、一緒にりんご(あめ)食べない?」  彼が通り沿いの店を指さした。 「食べたいの?」 「あんな大きなりんご、食べにくそうだから遠慮したいけどちょっと味見だけしてみたいかな。それにオニーサンが食べるのに苦労しているところはぜひ見たい」 「なるほど……」  祓戸が言っていた“ひねくれている”というのはこういうところなんだろうか。 「ほら、あの子もきっとインスタ映え狙って買ったけど持て余してるよね」  彼が店の前にいる女の子を指さした。  でも、困っている人を笑うのは詩の主義に反する。 「でもまあ、楽しめればいいんじゃないかな?」  言いながら詩はまた歩きだす。 「だったらオニーサンも僕と楽しもうよ」 「りんご飴で顔を汚したくはないよ」 「違ーう、お付き合いのほう……!」  少名毘古那の神が詩の腕を引っ張った。 「おっと!」  その勢いで詩は、彼を巻き込んで転びそうになる。  けれど自分より小柄な相手を下敷きにするわけにはいかないと思った。  後ろに倒れかけた少名毘古那を慌てて抱き寄せ、詩はその場に踏み留まる。 「危なっ……――」  なんとかふたりとも無事だった。  詩は細い体を抱きしめたまま息をつく。 「ごめんね、びっくりさせて……」  突然のことに動揺が収らない中、抱きしめる腕をそっとほどいた。  すると少名毘古那の神は詩の顔を指さして笑いだす。 「今のあわてた顔。オニーサンてば、かーわい♪」 「からかわないでよ……」 「だって……!」  彼はひとしきり笑ったあと、ふと真面目な顔をした。 「僕はオニーサンのこと、ごくごくフツーの人間だと思ってたけど……」 「……?」 「ふんわりしてるくせにしっかりしてて優しくて、自分を持ってる感じがいいんだろうな」 「どういう意味……?」  たぶん彼は、からかっているようで褒めている。 「つまり、今時めずらしい聖人君子だ」  また通りを歩きながら、少名毘古那の神が続けた。  詩は少し反応に困ってしまう。 「聖人君子だなんて……。僕にも人並みに欲はあるし、小さな店をやるので精いっぱいな小市民だよ。神さまが興味を持つほどの人間じゃないと思う。だから……」  いつの間にか天神通りを抜け、北口の交差点に近づいた。  調布銀座にある珈琲ガレットまでの道のりは、あと半分というところか。そろそろこの神を説得しなければ……。 「だからあきらめてくれって、そう言いたいの?」  少名毘古那の神が詩のそでをつかんだ。 「まあ、有り体に言えば……」 「だったら大人しく僕の言うことを聞いて」  言いながら彼は意味ありげな流し目を寄越してくる。 「……っ、それは無理」  詩は視線を逸らした。  ダメだ、押されている。完全に向こうのペースだ。  そのうちに駅前のスクランブル交差点に差しかかった。歩行者信号は赤だ。  DKスタイルの神に密着されたまま、詩は横断歩道の前に足を止めた。  このまま店に帰るのはまずい。信号が変わったらどっちへ行けばいいんだろう?  少名毘古那の神が話を続ける。 「僕と寝るのに抵抗あるなら、まずはふたりでデートてもしてみる?」 「その言い方だと僕、デートのあと襲われそうなんだけど……」 「デートの後ならいいでしょ?」 「よくないって」  からかっているだけなのかなんなのか、少名毘古那の神はくすくすと笑っていた。  そんな時詩は待っている交差点の向こうに、見覚えのある姿を見つける。 (疱瘡(ほうそう)さん?)  彼は詩に気づいて片手を上げかけたが、急に表情を強ばらせ、回れ右して行ってしまった。 「あれ? 疱瘡さん……」  詩がきょとんとしていると、少名毘古那の神が低い声で言う。 「あいつは僕が怖いんだよ。僕の逆鱗(げきりん)に触れて消されかけたことがあったから、ああやっていつも逃げ回ってる」 「そうだったんだ……」  さっきのおびえた顔を思い出すと気の毒だ。  祓戸は少名毘古那の神のことを“神としての力は認めざるを得ない”と言っていたが、相当に強いのか。  自分はそんな相手から逃げられるんだろうか……。  そう考えていると信号が青になり、人の波が動きだす。 (仕方ない、駅前広場の方にでも行こうか)  そうして交差点に足を踏み出したところだった。 (え……?)  さっき疱瘡の神がいた道の向こう側から、祓戸の神が歩いてくる。 (どうする!?)  祓戸は明らかにこちらに気づいていた。彼の上だけ雷雲がかかったみたいに、一触即発の空気を帯びている。 「よお、少名毘古那」  人の流れる交差点の中、祓戸の神が目の前まで来て足を止めた。 「俺の詩にちょっかい出すとか、戦争でもしたいわけか」 「僕とお前じゃ戦争になんてならないでしょ。猫がねずみにするみたいに、一方的にいたぶることになっちゃう」  少名毘古那の神が挑発的な笑みを浮かべた。

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