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第1話

「?」 見慣れないスマホが、カバンの中から出てきて。 俺は年甲斐もなく、目が点になってしまった。 駅の改札を通過しようとして、咄嗟にカバンに手を入れて掴んだのがコレ。 実際、俺のスマホはちゃんとカバンの中にあった。 お気に入りのアウトドアブランドのカバーをつけた俺のスマホと。 なんのカバーもつけていない、黒いスマホ。 画面には指紋汚れも見られないくらいピカピカしていて、傷も見当たらない。 まさに、新品。 そんな新品が何故、俺のカバンの中から出てくるんだ? とりあえず、落とし物だよな? 拾ったわけじゃないけど、俺んじゃないし。 このまま持っていると「占有離脱物横領」とか、レアな犯罪で捕まっちまうんだろ? 俺は改札口の列から抜けると、駅の隅に移動した。 そして、スマホの画面を軽くタップする。 どうせ顔認証とかで、ロックされちゃってるんだろ? とりあえず、その辺で拾ったってことにして、駅前の交番にでも届けよう。 そう思った、次の瞬間ーーー。 グルグル回って何やら考えていたスマホが、パッと明るくなった。 ……あ、あれ? ロックが……解除、された? な、なんで?! 驚きのあまり、そのスマホを落っことしそうになった俺は。 お手玉みたいな不格好な状態で、スマホを懸命に手の中に収めた。 その時。 俺は、スマホのどっかを強く触ってしまったんだろう。 『ご用件は、なんですか?』 と、スマホが機械極まりない声で喋りだした。 ……スマホのAIアシスタントが、起動しちまった。 慌てて、画面をタップするも。 『ご用件をおしゃってください』 『早くおっしゃってください』 って、執拗に連呼するAIアシスタントのせいで周囲の視線が痛かった俺は、たまらずスマホに話しかけた。 「や、やぁ……アイ。このスマホの持ち主を教えて」 スマホの画面に浮かび上がる光の輪がグルグル回って。 『ご冗談はよしてください』 「え?」 『岡本眞一さん、あなたのスマホです』 「いや、違うだろ」 『間違いありません。あなたが契約しているスマホです』 「……いや、してないし」 『どうされましたか? 記憶喪失にでもなりましたか? これは岡本眞一さん、あなたのスマホです』 「……」 全く身に覚えのないスマホなのに。 何故か、スマホに「おまえのスマホだ」と言いくるめられて。 素直に「あ、そうかな?」なんて思う俺自身の思考を殴りたくなる。 ……ま、そのうち、〝本物の〟持ち主から連絡くるだろ……。 というか、とにかく俺は早く家に帰りたい。 人工知能のおしゃべりに付き合ってる暇なんて、俺にはないんだよ! そう思って、俺は軽い気持ちで言ったんだ。 「あ、あぁ。そうだった、ありがとうアイ」 もう……色々、疲れてんだよ、俺。 仕事も、仕事に絡む何もかも……も。 その上、こんなワケの分かんないスマホの面倒ごとなんかに、付き合ってられっか。 俺は謎なスマホをカバンの中に放り投げ、本来の俺のスマホを取り出すと。 雑踏ひしめく駅の改札口を、足早に通過した。 ピリピリピリピリ、ピリピリピリピリ。 聴き慣れない電子音が、薄暗い部屋に鳴り響いて俺は目を覚ました。 ……なんだ、このアラーム。 こんな原始的なアラーム音なんて、設定したか? 俺。 そんなことを考えながら。 寝る直前まで、握り締めていたスマホを手にした。 ……あれ? これじゃない。 ついでにいうと、時刻は朝の5時半を表示していて。 朝っぱらからでた疲れが、ドッとのしかかるように体を支配する。 ……ひょっとして、あのスマホか??? 寝起きの極めて回らない思考のせいで、思いどおりにならない体をコントロールしながら。 俺は仕事用のカバンを手繰り寄せて、中をゴソゴソとかき回した。 徐々に、大きくなるアラーム音。 あ、これだ! 手に触るスマホの感覚をたよりに、俺はカバンからスマホを取り出した。 と、同時に。 『おはようございます! 眞一さん! 今日の天気は晴れ、最高気温24度。交通渋滞は今のところありません』 スマホのAIアシスタントのアイが喋り出した。 ……夢じゃなかったんだな、あのスマホ。 しかも、こちらが聞きもしないのに、AIが喋りだすとか……どういう設定にしてんだよ。 スマホを握り締めたまま、俺は再び、ベッドに倒れ込んだ。 つか、5時半とかさ……早ぇよ、マジで。 『眞一さん、寝てはいけません。今日は大事な日です。起きてください』 「……大事な日?」 そんな予定、あったか? なんて考えていると、スマホの面倒がグルグル回りだしてパッとスケジュール表を映し出した。 『本日、浪松商事との打ち合わせが午前10時から、原田課長代理の随行で出席します。その後、浪松商事会議室に乱入してきた刃物を持った男が原田課長代理を刺して逃走。原田課長代理は死亡する予定です』 ……え? 今……なんて言った? 血が足元に落ちたみたいに、一気に頭が冷たくなった。 『なお、この犯人は浪松商事の桑畑尚哉、22歳。原田課長代理刺殺後、自社ビル10階から飛び降りて死亡。原因は〝痴情のもつれ〟によるものだと思われます』 ……何? どういう……ことだ? あまりにも突拍子もないアイの言葉に、俺はベッドに正座をするような勢いで飛び起きた。 「……アイ、今なんて言った?」 『繰り返しましょうか?』 機械的に、そう感情のカケラとか。 全くないアイの言葉に、俺はすっかりびびってしまって。 思わず「いや、いい……続けて」と言った。 『分かりました。それでは、続けます。午後からは各種契約の来年度見直し作業に……』 そう言ったアイの言葉の直後。 スマホのスケジュールに、どんどん予定が刻まれていき。 箇条書きに発表された今日の予定に、だんだんと冷たい汗が額に溢れるのを感じた。 〝原田課長代理、死亡〟という言葉に、手が小刻みに変なリズムをきざみだす。 ……なんなんだ、これ。 このスマホ……なんなんだよ……アイ。 原田課長代理は、正直嫌なヤツだった。 嫌なヤツというよりは、大嫌い……。 機会があったら殺してやりたくなる、そんなレベルのヤツだ。 仕事もできて、背も高くてなかなかの男前な容姿は、女の子たちからも〝渋め系のおじさま〟と慕われて、人当たりもいい。 でも、それは表の顔。 1か月くらい前、俺はそんな原田の裏の顔を目の当たりしたんだ。 「今度の企画、練り直したいから。いっぱい飲みながら話さないか?」 その他意のない一言に、俺は一二もなく返事をした。 そして……気がついたら、ヤられてた。 男に……しかも、上司に。 今思えば、飲んだ酒に何か混ぜ込まれていたに違いない。 足に力は入らないし、言葉を話すこともままならないし、抵抗もろくすっぽできない。 どこに連れ込まれて、腕縛られたら……あとはもう。 原田が俺の体に残した痕跡が、感触が、新しい快楽が……次第に、俺を支配して。 最近じゃ、俺……。 その立場を利用した原田のいい〝オモチャ〟にされてたんだ。 だから、そう……アイが喋り出した原田の顛末に。 血の気がひいたと同時に、嬉しくなったんだ。 「原田から……解放されるんだ」って……。 そう思った瞬間、今日が〝怖いくらい幸せな一日〟に変化したんだ。 「……マジか、よ」 〝怖いくらい幸せな一日〟 よくよく考えるとAIアシスタントのアイが、勝手に喋ってるだけだって。 俺は気になりつつも、話半分で聞いていたんだ。 実際にそんなことが起こったらラッキーだし、でもそんなことあるわけねぇし。 ……だから。 会議室の重厚な扉が勢いよく開いて、刃物を持った若い男が現れた時。 俺は、思わず呟いたんだ……「マジか、よ」って。 皆、唖然として言葉を失う。 体の動かし方を、忘れる。 「原田ぁーっ!!」 潰れた、かすれた声で原田の名前を叫んだ若い男は、俺を肩で突き飛ばすと。 そいつは刃物を固く握り直して、原田めがけて突進した。 ズブッーーー。 っていう、肉が切れるような嫌な音がした。 「ゔわぁぁぁぁっ!!」 原田の悲痛な声が、その音をかき消していく。 同時に赤い液体がボタボタッと。 毛足の長い高級な絨毯に落下し、赤いシミ広げるように吸い込んでいく。 ……マジだ……マジだよ……!! 突き飛ばされて、床に倒れ込む形で尻餅をついた俺は、目の前で繰り広げられている惨劇を止めることもできず。 ただ、原田の力がゆっくり抜けていくのを見つめているだけだったんだ。 「……桑畑、おまえ」 誰かが、そう呟くと。 静寂の堰を切ったように、その場が騒然となった。 「け……警察ッ!! 誰か、警察をッ!!」 「桑畑、やめろ!!」 そんな声が聞こえて、正直、俺はそっから先はよく覚えていない。 というのも、床にへたり込んでいた俺は。 原田を刺した桑畑という男が逃げる際に、腹を蹴られてそのまま気を失っていたんだ。 「?!」 無機質な造りのベッドに、妙にあたたかな色合いの薄いカーテンが目に飛び込んできて。 俺は、ここが一瞬どこだか分からなかった。 ほのかに鼻をつく、独特の消毒液のような匂いで、俺は自分が病院にいるんだって自覚した。 あぁ……そうか。 俺、あの男に蹴っ飛ばされて……それで、病院の簡易ベッドに寝かされているんだ。 ようやく状況を把握した直後、「あの人大したことないのに、まだ寝てるわよ」って言う、女性のかったるそうな声が聞こえて。 いたたまれず、ソッと体を起こした俺は。 カーテンの向こう側にいる看護師であろう女性に気づかれないように、静かに部屋の外にでた。 「!?」 部屋の外は、長い一本道が左右に伸びた廊下で。 その通路に置かれた長椅子に、困惑した顔の男性やスーツを着た人、泣きながら話をする女性が座っていて。 それを取り囲むように、安っぽいジャケットを着たガタイのいい人が何人かいた。 その中の一人が、俺に気付いて人懐こい笑顔を見せる。 「岡本眞一、さん? 気がつきましたか?」 ガタイがよくて強そうな体の割には、童顔で穏やかな表情で話しかけるその男に。 俺は、小さく頷いた。 「あ! 自分、立山警察署の土居といいます。土居謙治です」 「……警察の、方でしたか」 「はい。いきなり名前を呼ばれて、驚かれたでしょう? 失礼しました」 「いえ……」 「体の方は、大丈夫ですか?」 「あ、あぁ……。さっき中の人が『あの人大したことないのに、まだ寝てるわよ』って言ってたので……。おそらく大丈夫です」 土居と名乗った警察官は、俺の言葉に楽しそうに笑うと。 俺の肩に手を回して、長椅子に座るよう促した。 「少しお話を伺いたいんですど、よろしいですか? 岡本さん」 「あ……はい。でも、俺。だいたい意識とんじゃってたんで……」 「あぁ、大丈夫ですよ。覚えている範囲でいいんで」 「……その前に、お伺いしたいことが」 「はい、何ですか? 岡本さん」 「あの……人は?」 「はい?」 「あの人……あの若い男の人は……」 土居はにっこり笑うと、長椅子に座る他の人に背を向けるように俺との距離をつめる。 間近に土居の顔が迫り、俺は感情の読み取れない土居の目から視線を外すことが出来ず。 見つめ返していた。 「ここだけの話ですよ、岡本さん」 小さく囁くような声で、土居は俺の頬にその息がかかる距離で言った。 「自殺しました。原田さんを刺した桑畑という男。ビルの屋上から飛び降りて、亡くなったんです」 『本日、浪松商事との打ち合わせが午前10時から、原田課長代理の随行で出席します。その後、浪松商事会議室に乱入してきた刃物を持った男が原田課長代理を刺して逃走。原田課長代理は死亡する予定です。なお、この犯人は浪松商事の桑畑尚哉、22歳。原田課長代理刺殺後、自社ビル10階から飛び降りて死亡。原因は〝痴情のもつれ〟によるものだと思われます』 土居の言葉に重なるように、アイの言葉が脳裏で響いて。 俺の心臓が、ズドンと落ちたように鼓動が一気に遠くに鳴っているように感じた。 ……マジか、マジかよ。 本当に……本当に、なっちまうなんて……。  マジかよ……。 頭が、手が、キンキンに冷えた氷水を浴びせられたように。 冷たくなっていくのがわかった。 「大丈夫ですか、岡本さん?」 「……はい」 「顔色が……真っ青」 「……」 土居のあたたかな声が緊張味を帯びて耳に届いた瞬間、目の前にザーッと砂嵐が現れた。 「岡本さん!!」 目の前に起こった砂嵐は、キーンと耳まで圧迫して。 土居の声までかき消す。 俺はちゃんと体を真っ直ぐにして、長椅子に座っていることすら困難になったんだ。 だんだんと暗闇に引き摺り込まれる意識の中。 あのスマホが、キラキラ輝ながら俺に向かってゆっくりと落ちてくるのが見えた。 そして、俺の手にすっぽり収まって、チカチカ光出す。 ……アイ? おまえ、何者なんだ……? ……何者、なんだ? 「岡本、大変だったな」 「……すみません。部長」 「今週いっぱいは休んでいいぞ」 「え……でも」 「いいから、仕事の心配はするな」 「……はい」 「早く帰って寝ろ。顔色、尋常じゃないくらい悪いぞ」 「……はい。すみません。……お先に失礼します」 そう言って頭を深く下げた俺は、最後まで部長と目を合わすことなく部長室の扉を開けた。 そのまま、手にしていたビジネスリュックを肩にかけ。 エレベーターのボタンを押す。 あの……あと俺は、また、ぶっ倒れて。 気がついたら目の前に、心底心配そうに眉を八の字にした土居の顔があった。 今度は警察官の土居に介抱されていたらしい。 ただ、土居は。 あのカーテンごしの看護師より、俺のことを心配してくれていて。 俺が落ち着くまで背中を摩って、ゆっくりと根気強く話をしてくれた。 そして、公用車で会社まで俺を送ってくれたんだ。 普段の俺なら「すっげぇ! 覆面パトカー乗っちまった」とか、くっだらねぇ興奮をしていたに違いない。 ……でも今は、とてもじゃないけど。 そんな気になれない……というか。 赤い血溜まりと、鋭く光る刃物の先と、あの桑畑という男の声が。 頭の中で断片的に、スライドショーみたいにグルグル駆け巡って。 そんな馬鹿みたいなことを考えることすら、口にすることすらできなかったんだ。 タクシーで、帰ろっかな……。 スラックスのポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出した瞬間、俺はまたサーっと血の気がひいてしまった。 ……これ、あのスマホじゃないか!! いつの間に?! カバンに入れたはずだぞ!? なんで?! なんで?!?! 固まった表情の俺の顔を読み取ったスマホは、あっさりロックを解除して。 AIアシスタントが、勝手に起動する。 『大変な一日になりましたね、眞一さん』  アイが、至極機械的に俺に話しかけた。 「……おまえ、何者なんだ?」 『私は、AIアシスタントのアイです。それ以上でもそれ以下でもありません』 「じゃあ、なんで! 今日のは、一体……」 『あと一分で、立山警察署の土居警部補が、眞一さんを迎えにきます』 「は?!」 『残念ながら、プライベートカーで。覆面パトカーではありません』 「はぁ?!」 『好意に甘えて、自宅まで送っていただきましょう』 「おま……おまえ、何言って!!」 『到着しました。黒いSUVです』 そうアイが言い終えた瞬間、目の前に黒い車が止まった。 ……まさか、まさか?! 「岡本さん、大丈夫ですか?」 助手席側の窓が開いて、中から土居の人懐こい笑顔が覗いて、あたたかな声が響いた。 「……土居、さん」 「自分、今から非番なんで、家まで送りますよ」 「え?!」 分かっていたこととはいえ、改めて言われると驚いて声が出なかった。 カスカスした喉が、俺の行動すら邪魔をする。 「いいから、早く乗ってください」 「……」 「早く乗らないと、自分、警察官のくせに駐停車のキップ切られちゃうんですけど」 「あ……すみません」 「遠慮なさらず、早く! 岡本さん!」 アイに、振り回されているのか。 それとも、これがもともとあった必然なのか。 俺は引き寄せられれように、助手席のドアに手をかけて。 その車に体を滑り込ませた。

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