1 / 2
前編
本棚に収まりきらず、あちらこちらに堆く積まれた革張りの書物。床に散乱した図面や走り書き。そして作りかけの魔道具と思わしき物体たち。勇み足で親友の仕事部屋の扉を開いてとびこんできた光景に、高ぶっていた感情がわずかに落ち着くのを感じた。
――ミツバのやつ、また大量に書物を買ったな。いつものことながら、きれいに片づけたはずの部屋がたった数日で見る影もない。とりあえず奥へ進むために足元に落ちている紙を拾いつつ、歩くのに妨げになるものを端に寄せる。うっかり壊したりしないよう、慎重に。ミツバの作る魔道具は目ン玉が飛び出そうなくらい値打ちがするのだ。
「ミツバ」
魔道具製作に没頭して、いまだにこちらに気づく気配のない親友の肩をぽんと叩く。
「ん、ヨモギ? いつからいたんだ」
「いま来た」
「区切りのいいとこまで終わらせるから、ちょっと待ってて」
「うん。悪いな」
ミツバが魔道具を弄ってるあいだ、おれは自分の座る場所を確保するために動いた。仮眠できる状態ではない仮眠用ベッドに乗ったものを全部退かし、ついでにシーツを清潔なものに取り替える。天気がいいので閉めきられていた窓を開けて空気の入れ替えをすると、床が見える程度に部屋を片づけた。
見てのとおり、ミツバは片づけが苦手だ。家のことは基本使用人がしてくれるためミツバがする必要はないんだけど、この作業部屋だけは他人を入れたくないらしく、荒れ放題。見かねたおれが数日に一度掃除をしていた。
「お待たせ」
切りのいいところまで終えたのか、作業机を離れたミツバがおれのいるベッドまでやってくる。長い脚を組んで座り、微笑みかけてくるその顔をまじまじと見つめる。ミツバは見目がよく、頭もよく、性格もいい。家柄もすばらしいし、魔道具を作る技術にも優れている。親友の欲目を抜いても、結婚相手と考えて申し分ない男だと思う。
唯一問題があるとすれば、すぐに部屋を散らかすところだろうか。いやおれはいいんだよ、おれはね。ミツバの散らかした部屋を片づけるのは慣れっこだし、そういうちょっとダメなところも愛嬌だと思っているから。でもここを掃除するのがクルミだと考えると、愛嬌では片づけられなくなる。
妹の姿を思い出し、その可愛らしさに悶えていると、それまで黙っていたミツバが着ていた上着を脱いでおれの肩にかけてきた。
「寒いなら窓を閉めようか?」
「い、いや寒いわけじゃないんだ。大丈夫、ありがとう」
震えていたんじゃなくて悶えてただけだし。たまに、ミツバが紳士すぎておれの恋人だったかな? と錯覚することがある。周りからも、つきあってるんだよね? と当たり前のように言われるけど、おれたちはとても仲のいい友人であって恋人関係にはない。
「そう?」
「うん」
「ならいいけど」
せっかくかけてもらったので上着は返さずにそのまま借りておくことにする。ありがたく羽織り直していると、上着からほのかにミツバの香りがした。顔がいいだけじゃなく匂いにも文句のつけようがないなんて、本当に完璧すぎる。
「それで?」
「え?」
「何か話したいことがあるって顔だけど、何かあったのか」
ミツバからの指摘に本来の目的を思い出してハッとする。あんなに意気込んでいたのに、忘れそうになっていた。おれは慌てて靴を脱いでベッドの上にあがると、正座をしてミツバに向き直り本題をきりだした。
「おれ結婚しようと思うんだ」
まっすぐにミツバを見つめて反応を待つ。すると突然、目の前の親友が噎せた。なんの前触れもなくおれから結婚すると告白され、相当驚いたのだろう。大丈夫かと尋ねると、ミツバはこほんと喉を鳴らしながら大丈夫だと返してくる。
「ヨモギって交際してる相手いたっけ?」
「いや、交際相手はいないんだけど」
「そうだよな……聞いたことないし。うん。ちょっと意味がわからないから、わかるように説明してもらえる?」
さすがにいろいろと端折りすぎたかもしれない。おれは反省すると、結婚しようと思い至った経緯をミツバに説明することにした。
「実は密かに、妹のクルミに婚約の話が持ちあがってるんだ」
「え……クルミちゃんに? その割りには落ち着いてるみたいだけど。ヨモギ大丈夫? まさか相手のところに殴り込みに行ったりはしてないよな」
クルミのことを伝えると、途端に心配げに表情を曇らせるミツバ。頬を挟んで持ちあげられ、変化がないか探るように観察された。おれはそんなミツバの腕に手を添えると、安心させるために大丈夫だと口にする。
クルミは今年魔法学院の中等部に進学したばかりの、おれの可愛い可愛い妹だ。見ためもなかみも大変愛らしく、さらに治癒術まで使えるため、天使……いや女神といっても過言じゃない。先日その妹に婚約の話が出ていることが判明した。たまたま両親が話しているところに遭遇し、聞いてしまったのだ。
その場では相手が誰かまではわからなかったので、すぐさまどこの誰がクルミの婚約者候補になっているのかを調べさせた。結果一人の人物が浮上したのだけど、相手の名前を耳にしたおれはとんでもない衝撃を受ける。
「まあ、初めて婚約の話を聞いたときにそういうことをちらっと考えたのは否定しないけど、相手の名前を知ったあとはその気も失せたというか」
「ヨモギがその人をクルミちゃんの相手として認めたってこと? 俄には信じがたいな」
ミツバが驚いたように目を瞠る。おれがいかにクルミを大事に思ってるのか、幼少の頃から付き合いのあるミツバはよく知っている。だからおれが簡単に相手を認めたことを意外に思ったのかもしれない。
「クルミを任せられそうな男なのは確かだよ。ただ、いろいろ調査して総合的に二人の相性を考えてみた結果、婚約が決まる前に止めることにしたんだ」
「相性がよくなかったの?」
ミツバの問いにこくりと頷く。一時はこの相手ならクルミを幸せにしてくれるんじゃないかと思った。だけど一番重要なのは結婚をするクルミの気持ちだ。クルミが少しでも引っかかりを覚える相手とは、結婚させるわけにいかない。
「……この前クルミにさりげなく探りをいれたんだ。そしたらどうも、相手のことをあんまり好ましく思ってないことがわかって」
「ということはクルミちゃんも知ってる相手なんだ?」
「そう。あと二人揃って、片づけが壊滅的に苦手なんだ。だから個人的にはそれもすごく気になってる」
「ああ……それは確かに難しいかもな。俺とヨモギみたいだったらよかったのに」
「ミツバもそう思う? おれ、クルミにはクルミが幸せになれる相手と結婚をしてほしいんだよ。自由に恋愛させてやりたいとも思ってる」
「そうだな」
「けどうちの両親も相手の両親も、繋がりをつくれるこの婚約に積極的で。おれがただクルミを結婚させたくないって言っても聞いてくれそうにないんだ。だから、もういっそのことクルミの代わりにおれがお前と結婚しようと思ってるんだけど」
ここ数日のあいだずっと悩んでいたことを打ち明けると、それまでうんうんと相槌を打っていたミツバが不自然に固まった。そうしてゆっくりとまばたきをして、ぎこちない動作で自身を指差す。
「…………俺?」
妹のクルミの婚約者として名前が挙がっているのは、何を隠そうおれの親友だった。惚けた顔で確認してくるミツバに向けて、大きく頷いてみせる。おれが認めるのなんてミツバくらいのものなのに、今の今まで本当に気づかなかったんだろうか?
「待って。まず、クルミちゃんとの婚約の話が初耳なんだけど」
「まだ確定してないからな」
それを聞いたミツバはこめかみに手を当てて、しばらく言葉を失う。驚くのも無理もない。ミツバもまさか、おれの口からそんな話を聞かされるとは予想もしてなかったんだろう。
「婚約の話があるのはわかった。それで、ヨモギが俺と結婚しようとしてる話だけど、ヨモギは別に俺のことが好きってわけじゃないだろ?」
「? 好きだよ」
「それは友人としてって意味? それとも恋愛対象として?」
「恋愛……はよくわからないけど、友人としてならミツバのことすごく好きな自信がある」
これまで恋愛をした経験がないから、恋愛について聞かれると困るんだけど、友人としてだったら迷いなくミツバを好きだと言える。自信満々で答えたおれに、ミツバはなぜか渋い顔をした。
「じゃあ俺はヨモギとは結婚できない」
「っどうして。もしかして同性なのが問題? でもいまどきそう珍しくもないよな。子供はつくれないけど、絶対に跡継ぎが必要なわけでもないし。……ミツバは子供が欲しいの?」
「子供が問題なんじゃないよ」
いつも優しいミツバに素っ気なくされて、ショックで眩暈がする。正直なところ親友のこの反応は予想していなかった。すぐに承諾してくれると思っていたのだ。結婚相手がミツバならきっと毎日が楽しくなる、そう考えるのはおれだけ? もしかして実はあんまり好かれてなかったとか? そんな悲しい考えが頭を巡って、気持ちが沈む。
「ミツバはおれのこと好きじゃないんだ……」
「どうしてそうなるかな。好きに決まってるだろ。好きだけど、それが友人としてなら結婚には頷けないって言ってるだけだよ」
「友人としてじゃ、いけないのか」
おれの知り合いに、友人同士で結婚している人たちがいる。それで上手くやっているようだったし楽しそうでもあったから、そういう関係もありなんだと思っていた。けどこういうのは少数派なのかもしれない。
「友人関係で結婚っていうのも、利害の一致があればなくはないんだろうな。でも俺は恋愛感情ありきの結婚がしたいんだ。だからヨモギが俺と結婚するんなら、まずはヨモギが俺をそういう意味で好きになってくれないと話にならない」
きっぱりと断言されて、ようやくミツバの考えを理解する。結婚のまえに恋愛がしたいといわれれば、もっともな話だと納得できた。妹の婚約のことがあって、おれは少し周りのことが見えなくなっていたのかもしれない。自分の気持ちばかり押しつけていたと、いまになって気づく。
「ごめんミツバ……」
「いいよ」
反省して落ちこむ。つい暗くなっていると、見かねたらしいミツバに頭をぽんぽんと撫でられた。労るような手つきに、強ばっていた体が緩んでいく。さっきは突き放されたようで悲しかったけれど、こうやって優しくされればすぐに立ち直ることができた。我ながら現金だと思う。多分おれはミツバの行動で天国にも地獄にもいけるんだろう。
クルミのことがあって今回初めて結婚を現実的に考えたけど、改めて将来誰の隣に立っていたいかを想像したとき、思い浮かぶのはやはりミツバだった。それ以外となるとどうにもしっくりこない。おれはミツバと結婚するべきなんじゃないか? そんな考えが頭をよぎる。だけど今のままじゃミツバとの結婚は難しかった。
「……いや待てよ?」
さっきのミツバの言い方だと、恋愛的な意味で好きになりさえすれば、おれにもまだ機会があるのでは? そのことに気づいて目からポロリと鱗が落ちる。
「ミツバ」
「うん」
「キスしてみてもいい?」
「ッ!?」
とにかく行動あるのみと、思いきってそんな確認をした直後、ミツバが吹いた。ごほごほと盛大に噎せている親友の背中を慌てて擦る。今度は気管に入ったらしくなかなか落ち着かない。しばらくそうやっていると、ようやくミツバが顔をあげた。よほど苦しい思いをしたのか顔が真っ赤になっている。かわいそう。
ともだちにシェアしよう!