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2. 修理に来た男
先ほど降りてきたばかりの急な階段を上りながら、背後についてくる気配を居心地悪く思っていたら、文雄が声を発した。
「到流くん、ここは長いの?」
「……今年の初めくらいから、ですが」
どう見ても到流よりは年上だったので、一応敬語を使ってみる。
「へえ。何歳?」
「25です。……電機屋さんは」
聞いた方が良いのかと思って、一応聞いてやることにする。
「確かに電機屋さんだけど、さっきマスターが紹介してくれたろ? 中瀬文雄です。文雄でいいよ」
「はあ」
どうせ次回会ったりする機会もないのに、何故親しげに下の名前で呼ばなければならないのか。しかし面倒なので、あえて反論はしない。
「僕は今年30でね。学生の頃、ここのマスターには随分世話になったんだ。まかないが旨くてさ、それが目当てだったと言っても過言ではないな。到流くんは、どうしてここで働くことを選んだの?」
親しげに会話を続ける文雄に、少しばかり苛立ってくる。世間話をしたいわけではなかった。
「特に意味は」
基本的に到流は食そのものに興味がなかった。
旨いに越したことはないのだろうが、とりあえず腹が満たせればそれで良い。正直味覚音痴なところがあり、よくわからない。祖母の家にいた時も、祖母自体は好きだったが、出される料理についてはどうでも良かった。
「そう……ここの仕事、楽しくない?」
到流の硬い声音に苦笑しつつも、マスターの部屋に勝手知ったる感じで入っていく文雄を見て、やはり相手など必要なかった、と会話とは関係のないことを考えていた。
「給料貰えれば、なんでも」
「──ふうん。僕なんかは、実家が電機屋なもんだから、選択肢なんかなかったんだけどね」
文雄は調子の悪い暖房器具の傍に座り込み、作業を始めながら世間話を続ける。いつまでこの会話が続くのだろう。作業中ずっとそれに付き合わなければならないのだろうかと、到流は無意識に眉根を寄せた。
「すぐ戻るんで。作業しててください」
マスターの部屋はひんやりとしていて、ただ突っ立っているだけだと寒かった。おまけに暖房をつけようにも作業中だ。一枚引っ掛けるものを取ってこようと、到流は会話を中断させた。
部屋に戻り上着を羽織りながら、なんとなく間が持たないというのもあり、一度一階の店舗に降りてゆく。
「マスター、あの人にコーヒーかなんか、出します?」
「おお、そうだな。到流くん気が利くようになってきたじゃないか」
マスターは破顔して、コーヒーサーバーから二人分のコーヒーを注ぐとトレイに載せて到流に手渡した。
コーヒーの銘柄はよくわからないが、温かく良い薫りの湯気を上げるそれを受け取る。再び二階のマスターの部屋に戻ると、文雄が工具をかちゃかちゃといじりながら作業をしているのが目に入った。
真面目そうな男だ。
人当たりも良く、誰にでも好かれそうなちゃんとした人物に見える。
何故ここで働いているのかと問われて、心がひりひりする感覚を覚えた。
正社員として志望していた企業に入社出来なかった。面接での心証がいけなかったのか、あるいは履歴書で落とされているのか、企業側は答えをくれたりしない。今後益々のご活躍をお祈りされて、それで終わりだ。祈られても迷惑だった。
──祈ることに、なんの意味があるだろう。
そもそも到流が何故生まれ育った漁師町を離れ、祖母の家に移り住んだのか。それには到流の家庭環境が関係してくる。
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