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14.顛末

「はっ……」  呼吸が乱れた。  空気がなくなって息が詰まるような感覚に陥り、到流の座っていた椅子が重たい音を立てて倒れた。  相変わらず祖母は何も言わない。まるで体裁を整える為だけに配置されたモブのように、手出しもせずにそこにいる。  ふと父からの手紙が脳裏に浮かぶ。  どこか違和感の強い、漢字の含有率が少ない手紙には、各行の頭文字だけを拾い読むという、非常に単純な暗号が仕込まれていた。  ──目覚めなければ死。  何故急に思い出したのだろう。  今は、それどころではなかった。  首を締め付けてくる手の感触は父ではなく、自分自身だった。父は既に到流から手を離していた。  父も祖母と同じようにモブと化していた。これはなんだ。何が起こっているのだ。わからない。混乱する。頭がぐらぐらとする。電気信号がちかちかと明滅する。  ──それからのことは、途切れている。 「……荒療治だったかな?」  男はモニターを眺めながら、一人呟いた。すっかり冷めた飲みかけのコーヒーに口を付けて、横たわる少年Aに視線を移す。  体が小刻みに痙攣している。刺激が強過ぎたのかもしれない。 「さて」  どうなることやら、と男は目を細める。  少年Aがこのまま目覚めなければ、恐らくは死、或いは廃人の運命が待っているだけなのだ。どちらにせよ今年度末には打ち切られるプロジェクトだった。  目覚めて欲しいと願う自分がいることを、男は知っている。勿論それは担当者としての立場からだったが、もし不具合が起きて少年Aがこのまま意識の海に沈み、浮かぶことがなかったとしても、それはそれで仕方なかった。  どの道不毛な作業だ。  終わりは早く来た方が良い。  考えていたら、掠れた声が小さく聞こえた。 「父さ……」  横たわり、仮想現実を見ている少年Aの口から、登場人物である「父」を呼ぶ声が漏れた。  苦悶の表情だった。  男は座っていた椅子から立ち上がり、少年Aの傍に歩み寄る。触れることは出来ない。ガラス張りの向こうにいるのだ。  一筋の涙が頬を伝ったのが見えた。苦しいのか、悲しいのか、感情の伴わない涙なのか、それはわからない。けれどその涙を、美しいと感じた。  冷たいガラスに触れてみる。  透明の牢獄に閉じ込められた少年Aの名前は、なんと言っただろうか。  男はふとそんな基本的な情報が気になり、手元の資料に視線を落とした。  ──少年A。  中瀬文雄、事件当時17歳。  電機店を営む父親を、意見の不一致による諍いの末、撲殺。犯罪者更正プログラム・カメリアのβ版、人体実験の最初の被験者である。  更生後の理想とされる人格を、「自分以外の他人」として登場させるのが今回の試みだった。  少年Aが目覚めてくれない今、その試みが成功だったのか否かは判断出来かねた。  もしこのガラスを叩き壊して向こう側に行けるならばと、不意に脳裏を掠めた。手の届かない少年Aの頭部からプログラムを繋ぐコードを引き抜いて、すべてを終わりにしたい。そんな衝動に駆られる。  いずれ失うのなら、自分自身の手で壊したい。それは叶わぬ欲望でしかなかった。男は少年Aから目を逸らし、再びモニターに向かった。  ざらざらとしたモニターの画像は、バグを吐き出し始めていた。  コンクリート壁に這い回る蔦があらゆるところに蔓延し、暴走する。  潮騒のようなノイズがざわざわと聞こえてくる。  いつか目覚めるのだろうか、少年Aは。  このまま目覚めなければ、自分だけの被験者であり続けるだろうか。  ……そうではない。終わりは来る。期限は既に切られた。その日が来たら、さよならだ。  立っていられない程の眩暈を覚えて、男はその場に座り込んだ。  相変わらずのノイズが、二人だけの空間に静かに響いていた。    end

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