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13.余生
意を決して父に連絡した数日後、祖母と父がカメリアにやってくることになった。
本当は祖母の家に出向こうとしたのだが、到流が働いている場所を見たいという祖母の意向があったらしい。
マスターの好意により、平日の午前中の一時間だけ店を貸し切りにしてくれた。気を遣ってくれたらしいマスターが、少し出かけると言って今は席を外している。
いつもはフロア担当なのでろくにやったこともないが、コーヒーサーバーから三人分のコーヒーを注ぐ。三人しかいない店内には、いつものように懐メロが流れている。
父は年を取っていた。
十年会わなければ、老けもするのだろう。苦労したのか、高校生の時に見た父よりも痩せており、髪も大分白くなっていた。祖母は父の横の椅子に座り、到流の淹れたコーヒーに口を付けている。
静かだ。
なんとなく話し出すきっかけが掴めなくて、気まずい沈黙が流れる。
「……到流」
父の声が、掠れて聞こえた。
祖母は特に何も言わない。
「俺がムショに入ってから一度も会えなかったが、大きくなったな」
「……そりゃ、まあ」
何年も経過している。大きくなるのは当たり前だが、もう成長は止まっているはずだ。
「到流、俺はな……今生きているこの時間を、死に向かうだけの『余生』だと感じていることが、ままある。それが何故かわかるか?」
「余生……」
余生、と表現するほどに父が年を経たわけではないと思う。まだ50そこそこのはずだ。何故そんな言い方をするのだろう。
殺人の罪で捕まって、人生にけちがついたからだろうか。
考えていたら父が静かな声で、しかしはっきりと言った。
「おまえの母さんが、この世からいなくなってしまったからだ」
心臓が一瞬、止まった気がした。
「ある時を境にして、俺はとても大切なものをなくしてしまった。そこからの人生は、単なる余生である、というそれだけのことだ」
父は淡々と話す。その声が本当に父であるのかわからなくなる。こんな声だったろうか。こんな言い回しをするような人間だったろうか。
「死のうと思ったことは、不思議とない」
父は嘘のように穏やかに微笑んで、目の前の席に座る到流に手を伸ばした。
首にごつごつとした父の手が触れた。
「こうやって母さんの首を、絞めたのか。何故だ?」
「──俺は」
父が冤罪であると、到流は知っている。真犯人は別にいる。だからこそ父を許せなかった。何故罪を被ったのだ。
手を下したのは、到流自身だ。
目を瞑った。
「なんで……俺を庇ったりしたんだ、父さん」
船の上の密室。そこには二人しかいなかった。
到流と、到流の母の二人だ。
父は漁で家をよく空ける。そんなことが日常になっていたが、いつからか母は父のいない間に違う男と出掛けるようになっていた。到流に隠すでもなく、開き直ったように。
「俺は別に良かったんだ。俺が家にいる時だけ、俺の女でいてくれさえすれば」
「父さ……」
「どうして俺からあいつを奪った」
「父さん……」
父を平然と裏切る母が許せなかった。やめてほしかった。二人でそのことを話す為に、ある夜母を船に連れ出したのた。だが殺すつもりなどなかった。
……なかったのに。
どうして、殺してしまったのだろう。
話すうちについ激昂して、
そんなつもりは、……
あれは、想定外のことだったのだ。
椿の赤い花が到流の脳内に咲き乱れ、ぼたぼたと散りゆく。椿には「罪を犯す女」という意味があるのだと、どこかで聞いたことがあった。
首を絞められた母の顔はどす黒く、恐ろしく歪んでいた。それが本当に母であったのかも、今になってはわからない。そんなはずはない。あれは母でしかない。
罪深い、母の死に顔。
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