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「来たよ、伊織(いおり)」 勝手知ったる幼馴染みの家に、合鍵を使って入る。物心つく前から親同士が仲良くて、もうかれこれ20年以上の付き合いだ。 「ココア」 「うん、今用意するからちょっと待ってて」 伊織は高校生になった辺りからだったろうか。付き合っていた女の人と別れる度に、俺を家に呼んだ。 振られたら『ココア』とそれ一言だけのLINEが来る。 それだけで俺は伊織の家に飛んで行って、子供の頃淹れてやったのと同じココアを作ってやっている。 今年の春には24歳になったというのに。大学進学を期に始めた一人暮らし先の1DKへ伊織にこうやって呼び出されるのも、これでもう何度目か分からない。3ヶ月に1度は伊織の家に来ているような気もする。 「はい、どうぞ」 「ん」 ソファに座っている伊織にマグカップに入ったココアを渡してやると、静かなまま受け取った。25になった俺よりも身長が高く、男前な顔の明るい茶色のウルフカット。 店の名前は忘れたが、ハイブランドの衣料品を扱うアパレルショップの店員に相応しい格好良さだと思う。 童顔、と言われる俺より断然、大人に見える彼は昔から女の人にモテた。 特に何も話さない伊織の隣に腰を下ろして、自分用に淹れたココアを啜った。ぎしり、とソファがきしんで伊織が距離を縮めて座る。 伊織は特に破局した理由も話さず、ソファの隣に静かに座っているだけだ。 そして、ココアを飲んでいる間だけ、伊織は静かに俺の隣にくっついて座る。それこそ、昔みたいに。 今はココアをねだられる事くらいしかないが、昔は家でも外でも一緒で、寝るのも一緒だったくらいだ。俺の中での伊織は、甘えたでワガママで、寂しがり屋の可愛いままだ。 俺は伊織の事を可愛い弟、のように思っているけれど、本当は心の底から愛してる。 幸せになって欲しいと願ってる。 だから、もし、こっちを振り向いてくれたらキスでも甘い言葉でもなんでもして、慰めてやれるのに。そう思ってもできない。 きっと伊織は俺の気持ちを分かっているけれど、知らないふりをしている。 こういう時、いつもココアを飲みながら思い出すのは昔の事だ。 たしか小学生の頃だ。伊織が将来俺と結婚する、と言い出した。 しかし、伊織はその頃にはもう女の子から好かれていたので、気持ち悪いだのなんだのと言われていた覚えがある。 奏多君なんて気持ち悪いよ!という女の子を突き飛ばして泣かせた事もあったっけな。 中学校に上がった辺りから、伊織も気づいたら俺を避けるようになっていた。 どんくさくて口うるさい自覚はあったから、煙たがられたんじゃないかと思っている。 俺と違う高校に行って、伊織は女遊びをするようになった。 付き合っては振り、告白されては振られ、を繰り返すようになったのもその頃で、ココアをねだられるようになったのも同じ時期だ。 最初の頃は、それまでの時間を埋めたくて話しかけたり、別れた理由を聞いてやろうとした。けれど、伊織はそれを嫌がった。 『お前は黙ってココアを淹れてりゃいいんだよ!』 20歳を超えた今でも馬鹿みたいに従順にココアを淹れてやってるのは、そのときの言葉が心に痛かったから。痛いなら離れれば良いと頭では分かっているのだけれど。 俺だって、これまでに女の子と付き合おうとした事とか、告白された事も片手で足りるくらいだけど、ある。 それでも、どうしてもその子達と付き合おうとは思えなかった。 そうして気がつけば、自然と親しい友人もほとんどいなくて、恋人もいない、ただ幼馴染みに依存してるような大人になっていた。 だからきっと、ココアを飲んでいる伊織の温かさを離しがたいのだと、自分でも情けなく思ってはいる。

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