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「いらっしゃいませ、高瀬様」 「こんばんは、奏多(かなた)くん」 勤め先のリストランテに金曜日の閉店時間間際、常連の男性客が訪れた。 高瀬柊(たかせしゅう)という、28歳の会社員。目鼻立ちのはっきりした、優しい面立ちに、仕事の邪魔になるから、と黒髪をワックスで撫でつけている。スーツ姿がいかにも様になる人だと密かに思っている。 2年程前から常連になっている男の人で、最近では俺の仕事終わりに一緒にご飯に行くようになった。優しい良い人だ。 「今日はこの後空いてるかい?」 「空いてますよ。今日はどうします?」 「俺の家で新しく買ったワインを開けようかと思うんだけど、どうかな」 「あ、いいですねそれ。シェフにパスタ作って貰おうかな」 2年前、ぐでんぐでんに酔っ払って、引き連れられるように店に入ってきたのが柊さんが店に来るようになったきっかけだった。 結婚間近と思っていた彼女に他に好きな人がいて、土壇場で振られたのだという。友達たちに慰められている何次会だかで店に来たのだった。 そこで酔っ払いすぎて盛大に吐いて店のトイレを汚し、翌日に謝りにきてから痴態をさらせるのはここだけだから、という理由でちょくちょく来るようになった。 あるときも酔って彼女の事を思い出して泣いていた彼に付き合って、一緒にカラオケに行った事がある。そのとき、俺もずぅっと叶わない片思いをしていると話してから、一気に距離が近くなった。 『それはツラいね』 その言葉と共に、頭を撫でてくれた手の優しさが嬉しくて、心に痛かったのが今でもはっきり思い出せる。 それからは仕事が終わってから、一緒にご飯に行くようになった。2~3ヶ月に1度が月に1度になり、気づけば週に1度は一緒にご飯を食べている。特に、柊さんが休みになる今日のような週末に。 「じゃあ、2人前をテイクアウトでオーダー通して貰って良いかな。あと、まだ残っていればチーズの盛り合わせもお願いしたい」 「かしこまりました」 近頃となっては店で飲むと高くつくから、という理由で柊さんの家にお邪魔するようになってしまっている。 恐らく、俺の財布事情をさりげなく思ってくれているのだろうが、柊さんと一緒に過ごす時間は心地良くて、ついいつも甘えてしまのだ。 シェフにオーダーを通すと、今日もデートかい、とからかわれた。 柊さんの家は俺の六畳一間のアパートとは違い、3LDKの立派なマンションだ。 いつ来ても綺麗で、とても男一人の家とは思えない。 リビングのソファに並んで座って、ローテーブルに料理を広げ、ワインを飲みながら他愛ない話をする。 いつからか、柊さんは彼女の思い出話をしなくなった。代わりに、俺の話を聞きたがるようになっていた。仕事の事だとか、最近みた映画の話だとか。 今も、大型のテレビでは俺のオススメ映画が流れている。こうやって一緒に映画を見たり、好きな音楽の話をしたり、お互いの話をする時間が、とても好きだと思う。 「柊さんと一緒にいると俺すごい楽しいです」 美味しいワインを飲んでほろ酔い加減で、口が軽くなる。 「それは嬉しいな。俺も奏多君が相手してくれて嬉しいよ」 「相手だなんてそんな言い方。俺が完全に甘えちゃってる感じじゃないですか。今もこんなに美味しいワインもらっちゃって」 柊さんと、一緒にいると心が安らぐ。心からの言葉がつい、零れた。 「君が美味しいってにこにこしながら飲み食いしてる姿を見てるの、俺、好きなんだよ」 どきっとするくらいの真剣な声で柊さんが言った。 持っていたワイングラスを置いて、柊さんの手に肩を抱き寄せられる。 「君のことが好きだよ」 「でも、俺は・・・」 伊織の事が好きだからごめんなさい、と言わなきゃいけないのに。柊さんの為にも。俺の為にも。 それでもその目があまりにも真剣で、綺麗で、切なくて。 うまく声が出せなくなる。 「うん、分かってる。ただ、俺が君の事を好きなんだ」 優しく囁く柊さんにそのまま胸に抱き寄せられ、顎を掬われて口づけられる。 「愛してたい、だけじゃダメかい?」 今まで伊織に一方的に向けていた感情が、自分に向けられているのだと耳元で囁かされる。 大切なモノを扱うように俺の頭や背を撫でる手が優しくて、心臓の鼓動が早くなる。 家族以外に愛を与えられるのがこんなに嬉しいなんて、今まで知らなかった。 視界がぼやけて、心臓が痛いくらいドキドキして、顔が熱くて堪らなくて、助けを求めるように柊さんの背に手を回すと、深い口づけに呼吸を奪われた。

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