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第2話

 そもそも街コンをしてはどうかという案は、観光協会に所属する旅館や商店の若手からちらちらと上がっていたらしい。  しかしなにしろ前例のないことにはおいそれと取り掛かかろうとしないのが田舎というものだ。  毎年行われている梓城祭りが、今年は開城四百年であり、特別に盛り上げることをしなければいけないのでは? とやっと気運が高まったのが前期末。  ずっと議題に上がっては立ち消えになっていた街コンを今こそ催すべきなのでは?  ついては街コンに詳しいコンサルタント的な人間に教えを請うたほうがいいのでは?  とちゃんと考えたのはいいとして、そのあとがいけない。  金はそんなに払えない。給料は高額ではないが、家賃を無償にするかわり少なくとも数年はこちらに住んでくれて、あわよくばずっと住んでくれる若いIターン人材がいないだろうか?  ――という無茶な募集に東京から応募してきたのがこの男だと聞いていた。  そもそも、若い男で婚活やら街コンやらのコンサルを名乗っている時点でなんだかもう怪しい。そのうえゲイであることをオープンにして、この田舎でよく雇ってもらえたものだ。   そして椿にとってなにより驚くべきことは、晴臣はそんな自然体のままで、職場にも街にもすっかり溶け込んでいるように見えることだった。  職員の発言をものともせずに歩き出す晴臣の背を負いながら、椿はぐぬぬと臍を噛んだ。 俺なら、こうはいかない。  もし仮にゲイであることがバレてしまったなら、もっとこそこそとして過ごさなければならないだろう。  役所は当然辞める。自分が辞めても父や親戚はまだ勤めているのだから、彼らからの怨嗟も一身に浴びる。田舎の無遠慮な奇異なものを見る目、きっと蔑まれるであろうそれに、自分は堪えられない。  要するに、いきなりやってきて、ゲイをオープンにしたまま周囲に受けいれられている晴臣が憎たらしいのだ、自分は。  もうずっと、自分の中に生まれたそんな子供じみた感情を、椿は持て余していた。  梓に戻って二年。せっかく目立たず穏やかに暮らしていたというのに、心の中の水面は、いつも微妙に波立っている。白波が立つほどではないけれど、鏡面のような凪でもない。    晴臣と一緒にいると、やがてそんな心が冬の日本海のようにざばばーんと荒れ狂って、自分もぼろが出てしまうのではないかと恐れている。  たとえば、ふとした会話の端々にもゲイテイストが出てしまうのではないかと気が気ではない。いつだったか「早坂君と椿君東京ですれ違ってたかもねー」なんて話を振られて「俺は二丁目にはあんまり行かなかったですから!」とうっかり言ってしまいそうになったのをぎりぎり押しとどめられたのは、我ながらライン際の超ファインプレーだった。  自分がオープンにしているゲイだからと言って、他人にまでそれを求める輩もいるのがまた問題だ。敵は呑気なノンケだけでなく、こちら側にもいる。  晴臣がどういうタイプかはわからないが、この閉鎖的な田舎でいきなり馴染んでしまったことを思えば「おまえもカムアウトしちゃえよ☆なんにも恥ずべき事じゃない☆」勢かもしれず、わからない以上椿は極力晴臣と接することを避けたいのだった。  だが、どういうつもりか、晴臣のほうではちょいちょいと用事を作って声をかけてくる。  なにしろ提供された住居というのが同じ単身者用宿舎だ。 「廊下の電気切れてますけどどこに連絡したらいいですか」 「家電買い足したいんですけど、この辺で大きいお店ってどこですか」  程度のことで、頻繁にインターホンを鳴らされる。フロアが違うのに!    今日の電話だってそうだ。わざわざ奴がかけてきた。街コンの責任者である上司でなく。    上司や同僚も「若い者同士、都会のセンスを知っている者同士」などと、なにかと晴臣と椿をニコイチで扱うことにも閉口する。  観光課と観光協会は連携して業務を進めるものではあるが、別団体だ。大雑把にいうと観光課が公的な関係各所に許可を取ったりする事務部隊、観光協会は企画と当日の実際の運営をする実働部隊といったところか。  観光協会の運営費用は自治体によって様々だが、梓市では主に温泉街と商店からの会費、共同で開発した土産物や開催したイベントの収益の一部、当然それだけでは足りず公費の一部も投入――となっている。  準公務員のような扱いではあるが、晴臣の応募書類まで見せてもらったわけではないから、素性のすべてを知っているわけではない。   だいたいなんで大してよくもない条件の求人にわざわざ応募してこんな田舎にやってきたのか。家賃が無償とはいえ、車がなければそれこそ大型家電店にも行けないから、維持費を考えればとんとんなはずだ。そして店舗の絶対数が少なく競争が発生しないため、物価はさほど安くない。ザ・地方都市。そんな梓に。  なにか企んでるんじゃないのか。  もしくはなにか問題を起こして逃げてきた、とか?  愛郷精神などかけらも持ち合わせてはいない椿でも、そう思う。  地方の地域振興で気を付けなければならないのは、結局委託した都会のコンサル会社だけが儲かるという最悪の結末だ。大山鳴動してあとに残されるのはゆるキャラ一匹(しかも微妙な)、という例はいくらでもある。 その点晴臣はどこかの会社に所属してはいないまったくの個人で、実際住民票もちゃんとこちらに移しているらしい。  だったらなおさら、なにが目的なんだ――  大人だから、仕事の場であからさまに態度に出そうとは思わないが、ともかくあまり深く関わらず、隣の市のおこぼれで街コンなんて、盛り上がらないに決まっているイベントはさっさと終わって欲しい。  赤字はそこそこにとどめつつ、二回目を開催するモチベーションは上がらない程度の結果に終わって欲しい。  そしてその結果を受けて晴臣にはさっさと東京に帰って欲しい。  万が一にも成功して、来年もやろう、いや年に数回やろう、などと言われたら死んでしまう。椿の心が。  目的地に歩いて向かう道すがら、ちらっと見上げると、晴臣が視線に気が付き、微笑みかけてくる。恐ろしいほどきらきらした笑顔だ。椿は信号を見上げるふりで目をそらし、眼鏡を押し上げた。  なにを企んでるのか知らないけど、だまされないぞ、俺は。……東京から来た男なんかに。

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