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第4話

「……は?」 「だから、雨でむしろよかったってサービスを考えればいい。たとえば、そう……あ、女性参加者には可愛い傘プレゼントとか」 「そんな簡単に――」  斬り捨てかけて思い出した。 「……市内に、雨に濡れると模様が浮かび出る傘を作ってるところがある」  実のところ椿はいつもラブラブアッチッチ課、もといご縁巡り課の仕事だけをしているわけではない。ご縁巡り課はあくまで開城四〇〇年記念事業の一環として臨時に設置されただけなので、メインは商工観光課だ。その「商工」の部分で市内の企業の資料を作っていたとき、目にした記憶がよみがえってきた。 「え、なんですかそれ。――あった。ああ、これは可愛い」  なんですかと言いながら、自分で手元のタブレットを早くも検索したのだろう。可愛い、なんて言葉を抵抗なく発して、一同に見えるようにタブレットを炬燵の上で滑らせる。 「ああほんとだ。無地に見えるけど、濡れると桜の花びらが……藤や紅葉もある。萩も大人っぽくていいね。秋口ならこっちかね」 「こんなの、城前の土産物屋にあったか?」 「ないと思いますよ。だって、旅先で大きい傘買う人いないでしょ。荷物になるのに」 「いやでもビニール傘買ってその辺に捨てて帰られるよりは……ほら、よく見たらちゃんと折り畳みもあるよ。なんだ、今度提案してみよう――ああ、ごめんごめん、商工課の話になっちゃった」 「いいえ。もし話題になったら、それに合わせて都内の県アンテナショップで展開とかもありですよね。これ、梓のこちらのメーカーでしか作れないみたいですし」  そんな晴臣の言葉に、また一同が「おおー」と唸る。今の時点で完全なる皮算用でしかないのだが、いつも「前例がない」「予算がない」しか言わない上司の顔が、久しぶりの晴れ間に見せるような笑顔になっている。  少し困らせてやろうと思ったのに、結局晴臣の株を上げてしまった。  いやそもそも、気に入らない奴をちょっと困らせてやろうとか、子供か俺は――ひとり恥ずかしいやらいたたまれないやらで青くなったり赤くなったりしていると、 「雨降ったらむしろ気になるお相手と相合傘で移動とか出来ますしね。さすが椿さん」   と晴臣がまたくそ眩しい笑顔を向けてくる。 「え?」  いや俺はただそういう商品があったって思い出しただけで、最初に傘って言い出したのはおまえ――と告げる前に、他のメンバーが 「いやほんと、よく資料見てるなあ、椿くん」「椿くんの資料いつもよくまとまってるもんね」 「地元にいい商品があるってなかなか気がつかないもんなんだよな」 「やっぱり一度外に出ると新しい角度で物が見られるっていうか」 「東京帰りは違う」 と絶賛し始めてしまった。  なんだこれ。  心証を悪くするよりはよかったのかもしれないが、持ち上げられるのも居心地が悪いものだった。  興の乗ってきた他のメンバーたちは、次々に意見を出し始めた。  曰く、 「この際だから神社さんにもお願いして、期間中特別な御朱印を出してもらおうか」 「それだったらオリジナル御朱印帳も作ったら」 「市内の縁結びの神社網羅した冊子ありましたよね。あれも帰りに配ったら、リピーターになってくれるかも。数ならうちの市のほうが本当は多いんだから。ご利益だって本当は――」  本当によく喋る。普段の会議でもこれくらい活発に発言して欲しいものだ。 わかってる。これもこの特別な空間の力なのだと。そしてそれをセッティングしたのはにっくきオープンゲイ、早坂なのだ。 「あの!」  怒涛のような川の流れを堰き止める勢いで、椿は声をあげた。 「夕日! 夕日はどうするんですか。傘が可愛かったって、暗い空に荒れた湖観に行ったってしょうがないでしょう」  それいったいなんの修行? という話だ。 「というか、カフェから湖まではタクシーって、その間運転手さんのスケジュールを押さえてるってことですよね? 当日ドタキャンになったら、タクシー会社さんには損失が出る。そんなんで協力してくれるとこありますか?」  怒涛の流れは、ぴたりとなりをひそめた。やはり「損失」の二文字の威力は絶大だ。 「このコース設定だと、夕日はメインイベントでしょう。メインが天候頼みっていうのはいかがなものかと」  かと言って、同じだけのインパクト、ボリューム感のあるものを市街地だけで賄うのは無理がある。ほかにできる梓らしい催しといえば和菓子作り体験くらいだが、それこそ恋人作り来てるのに、なにをどんだけ作らせんだ、という話だ。 「だいたい、市街地で賄ってしまったらどっちにしろタクシー会社にはうま味がない」  ダメ押しで言うと、船内はそれこそ水を打ったように静まり返った。  ちら、と晴臣を伺えば、さしもの笑顔も引っ込んで、なにか思案している様子だ。  いいぞ。こいつを困らせてやった――密かな快感を覚えていると、視線がぶつかった。  晴臣だ。  晴臣は――ふっと笑みの気配を乗せて、目を細めた。    は?  てっきり「反対意見ばっかり出しやがって」と敵意満々の眼差しでも向けられるかと思っていたのに、笑うって――それも不敵な感じでもなく、こんなにやわらかく。  一瞬見とれてしまい気がつく。  いや待て、それって、侮られてるってことか?  かっと顔が熱くなるのを感じる。そりゃ、こんな重箱の隅つつくみたいなやり方いいとは俺も思ってないけど――なにか言わなければと思いながらなにも言えずにいるうち、船首の龍介がひょいっと中を覗き込んだ。 「一番低い橋の下通るんで、頭下げてくださーい。こう、炬燵にぺたっとほっぺたつける感じで」 「え、え?」 「屋根下げまーす」  掛け声とともに、屋根を支えていた支柱が折れて、樹脂の屋根が下りてくる。こんな小さな船にそんな機構が組み込まれていることに驚いていると「椿さん、頭下げないと危ないですよ」と晴臣が忠告してくる。わかってるよ、と胸の内で毒づく間もなく、樹脂の屋根はどんどん下がって来きて、龍介の言葉通り、少し頭を下げる程度では駄目で、椿は炬燵の上にぺったりと頬をつけた。 「なにこれ。なんだかおもしろーい」  同僚がきゃっきゃとはしゃぐ声が後頭部に当たる。  しまった。  うっかり前方でなく、後方を向いて伏せてしまった。  後方、つまり晴臣のほうをだ。  晴臣も後ろを向いていてくれれば良かったのだが、当然こちらを向いていたから――がっつり見つめあうことになってしまった。 「――」  同僚たちはちゃんと全員前を向いているらしく、気まずい雰囲気は伝わってこない。 とっさのことと気まずいのとで目をそらせずにいると、晴臣も同じく目を見開いていた。まさか向き合うことになってしまうとは思っていなかったのだろう。ぱちぱちっと、男らしい顔つきの割に意外と睫の長いまぶたが瞬いて、それからぷっとふき出した。 「椿さん……」  くつくつと、伏せた肩が震えている。 「これは、たまたまこっちを向いてたからで……ッ」 「うん。椿さんて俺の顔よく見てますよね」 「は!? ――そんなことは、ない!」  前方の同僚たちに気づかれないよう慌てて声を潜め、しかし、はっきりと言ってやる。晴臣は意に介するふうもなく「そっか。俺が見てるからか」などとさらりと呟いた。  ……ッ! そういう、そういうとこだぞ……!  この、別に他意はありませーんみたいな。それでいてするりと人の懐に入り込んで来るみたいな。  うわっと叫んで逃げだしたい衝動にかられるのに、船の上、それもこんなふうにぺしゃんこの姿勢で動きが封じられている中ではどうすることも出来ない。  橋の下をくぐるのに一分とかからないはずなのに、苦手な相手とじっと見つめ合わなければいけない時間は、おそろしく長く思えた。 「ずっと思ってたんですけど」    ただでさえ居心地が悪いのに、さらに晴臣が邪気のない様子で話しかけてくる。 「椿さんて、凄くいいお名前ですよね。椿さんに合ってる。俺、好きだな」  またしても「好き」だ。  特別な意味などないとわかっているが――ないからこそ、そんな言葉をそれこそ犬猫にでも言うみたいに簡単に連発する男を、椿はどうあっても信用できない。 「それはどうも。潔く死ねって意味でつけられた名前ですけど」  え、と晴臣が瞬いたとき、船がちょうど橋の下を抜けたらしい。頭を上げられるほど屋根が上がった瞬間、椿は起き上がって素早く前方を向いた。背後で晴臣が「花……椿」と呟いているのが聞こえる。大方、椿が放った言葉の意味を検索でもしているのだろう。 「椿は梓市の市の花でもあるんですね。花ごとぽろっと落ちるから、昔は庭木には敬遠された……なるほど、それで――」  タブレットをスライドさせているのだろう。少しの間空白があって、晴臣が改めて「花か」と呟いた。 「フラワーパーク。あそこはどうでしょう」 「あ、そうか、フラワーパーク!」  女性職員がなにか気がついたように叫ぶ。 「なにかあったっけ?」 「ハートの形にお花が植えられてるところがあって、最近カップルに人気なんですよ」  彼女の言葉を受けて、晴臣がまた素早く検索する。 「これ、ほら、ハート。鉢のお花を使ってワイヤーで立体的にして、記念撮影スポットにしてるんですよね。秋口はミニ薔薇だそうです」  検索画面の中では、赤いベゴニアの前でポーズを取るカップル(という設定のモデル)がにっこり笑ってる。勿論仕事で市内の観光地のサイトを見ることもあるのだが、どうやらうかれっ調子のその写真を、自分は記憶の中から消し去っていたらしい。 フラワーパークは、田舎で土地が余っている利点を最大に生かして作られた三十ヘクタールもあるテーマパークで、大きな温室に様々な花と、南国の鳥、そして蝶が放されている。ペンギンのお散歩ショーなどもあったはずだ。 「あらー薔薇なの。ますますいいじゃない。ここなら広いから、前日当日の変更で二十人くらい押し掛けたってどうってことないし」 「なにしろ東京ドーム六個分だからねえ」 「ドーム行ったことないけどねえ」  上司の鉄板地方都市ギャグに皆笑う。ちなみに椿も行ったことはない。 「それに、ここなら市街地から離れててタクシーも使うことになりますから、ちゃんとタクシー会社さんにもいくらか落ちますよ」 「じゃあ、雨の場合はフラワーパークの縁結びハートの前で写真撮影ということでよろしいですか?」 「映え~だねえ」  またしてもいつもの会議とは比べ物にならないスピードで、どんどん問題が解決していく。なんだこれ、と呆然としていると、晴臣はまたにっこりとほほ笑んだ。 「俺はついなんでも楽天的に進めがちだから、椿さんが問題点をしっかり指摘してくれてほんと、助かります」  なんだこれ。いやほんとなんだこれ。  こんなはずじゃない。俺はこいつをちょっと陥れてやろうと―― 「ほんとにいいコンビだな、ふたりは」  課長までそんなことを言い出して、椿は堀に飛び込みたい衝動にかられた。  そのあとも、 「タクシーには「開城四百年」のほかに「ご縁巡り課」のステッカーも大きく貼ってもらおうよ。あ、それかいっそ駅でずらっと勢ぞろいして、お出迎えとかしちゃう?」などと言い出す課長を必死で押しとどめたり「女性に渡す傘はやっぱりピンクだろうな」と言い出す同僚の意見に「それはダサピンクといって……選んで頂けるよう数種類委託してもらって、残りを返す形にできるか業者さんに交渉します」と、うっかり自分の仕事を増やしてしまうなどしているうちに船は堀を一周して、元の船着き場に戻ってきた。 「いやー、充実した打ち合わせだった。たまにはこういう変則的なのもいいね」  いつもなら前例のないことを好まないはずの課長は、すっかり上機嫌だ。 「ほんと、早坂君と椿君のおかげではかどったわ。これコースに入れるのは絶対成功だね」 「今後もこの調子で頼むよ、おふたりさん」  ニコイチ扱いがここへ来てより強固なものになってしまった。    おかしい、こんなはずじゃなかった。  椿はすっかり憔悴しているというのに、晴臣は呑気な様子で「あ、見たことない鳥がいる。なんて鳥かな」などと堀を見渡している。   応じたのは龍介だった。 「渡り鳥だ。あいつらは在来種の餌を横取りする、卑怯者だ」  思いの他棘のある言葉につられて椿も堀に目をやると、渡り鳥はよく見る鴨の隣に待機していた。  横取りって、堀の広さに対して鳥の数が増えるとわけまえが減るってことか?  ぼんやり考えていると、在来の鴨が餌となる藻を加えて戻った途端、渡り鳥は鴨のくちばしを直接突いた。 「え、」  あまりに大胆なやり口に呆気に取られるが、もちろん鳥は人間の思惑など関知しない。まんまと餌を奪って飲み込むと、再び鴨が餌をとって来るのを待悠然と待っている。  ほぼ毎日通勤で堀端を通るのに、こんな生存競争に今まで気がついたこともなかった。思わず身を乗り出して攻防を見守っていると、龍介が釘を刺す。 「あんまり身を乗り出すと、落っこちるぞ」 「大丈夫だよ」 「昼飯を乾パンで済まそうとする奴の〈大丈夫〉があてになるか」 「その話はもうやめてくれ」  あれは梓に戻ってきたばかりの頃の話だ。 「おふたり、仲いいんですね」  晴臣の言葉に、やめろ、と思う。おまえが「仲がいい」なんて言うと、意味が生じすぎるだろう――同僚たちはもう桟橋の中ほどに移動しているが、どんな誤解が生じるかわからない。椿の声は無意識のうちに大きいものになった。 「龍介は一年の時から先輩の身の回りのこと全部やるっていう野球部の出だから、人の世話を焼くのが身についてるんですよ」  な、と長身の龍介を見上げると、なぜか笑ってはいない目で晴臣を凝視していた。一方の晴臣はそれに気がついていながら、まったく動じる様子もない。  なんだこの微妙な空気。どうしてくれるんだ。龍介は貴重な友だちなのに。 「じゃ、じゃあな、龍介。また打ち合わせかなんかのときに!」  そう告げて桟橋から観光船の待合所に移動する。さっさと切り上げて役所に戻ろうと思ったとき、晴臣が言った。 「じゃあ僕と椿さんは、城に回ってから戻りますね」 「は?」 「危険個所の確認、ちゃんとしとこうと思って。僕実はまだ一回しか行けてなくて」 「おお、そうだったそうだった。現場百回て言うしね」  それは刑事ドラマの科白だろう。東京の二週遅れの土曜の昼に再放送される。 「いや、早坂さんひとりでよくないですか」 「でも、椿さんのほうが細かいところによく気がついてくれるから」  嫌味か。 「でもこのあとの仕事が」という言葉は「おお、行ってこい行ってこい。傘屋さんへの折衝はこっちでやっとくから」と先回りされてしまった。  こんなはずでは。

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