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第12話

 街コンの宿泊地にもした温泉街は、奈良時代開湯と言われる、この地方有数の名湯だ。     梓の駅前からもバスですぐの立地だが、いかんせん梓まで来るのが一苦労なのだから、全国的な知名度では今一つふるわない。しかも旅行会社のパックツアーなどでは、隣の市の超有名神社とセットにされていることが多いから、なんとなく隣の市の所在だと思われている節もある。なんとも梓らしい温泉地ではある。  打ち上げは金曜の夜にセッティングされていた。観光協会の会員でもある旅館側のご厚意で、飲んで、風呂に入って、お泊りもといういまどき打ち上げとしては贅沢なコースだ。  それだけに断ることも出来ない。  課長たちは上機嫌だが、椿にとって温泉は鬼門だった。  もちろん、風呂くらい普通に入れる。誰かれ構わず意識してしまったりなどしない。だがうっかり上司と一緒に入ったりなどしようものなら「裸の付き合い」と称して「恋人はいないのかね」「結婚は考えていないのかね」攻撃が始まることは目に見えていた。もちろんそれは酒の席でも延々と続くことだろう。  全然くつろげない。  それに――もしも晴臣と一緒に入ることになってしまったら?  いや、あいつだからどうなんてことはない。断じてない!   けれども。  関係者それぞれ仕事を終えてから現地集合することになっていたのだが、旅館に到着する頃には椿はまたぞろ考えすぎで疲れ切っていた。 「どうした、椿。また昼飯乾パンしか喰ってないのか?」 「――ちゃんと食べた。お疲れ、龍介。早かったな」 「ああ、先輩が船のメンテ代わってくれて――ども、」  靴を脱ぎながら龍介が出迎えてくれた女将に頭を下げる。その背後にもうひとり人影があった。誰よりも早く仕事を終えて役所を出ていった課長だ。 「お疲れ様。よ、イケメン船頭!」  早くも一杯ひっかけているようだ。  こうなるともう、多少どころかかなりの無神経発言も覚悟しておいたほうがいいだろう。鬱々とした気分で椿も靴を脱ぐ。 「椿くん~、早坂君は?」  危うく上がり框を踏み外すところだった。  なぜ俺に、訊く。 「えっと……すみません、観光協会さんの今のスケジュールまで把握していなくて。電話で何時ごろ来られるか確認しますか?」 「いやいやそういう話じゃないよ。もう、真面目だな椿君は~。ただてっきり一緒に来るのかなと思ってたから。じゃ、荷物置いたら宴会場ね」  言うだけ言うと、トイレにでも行くのか、ぺたぺたとスリッパを鳴らして消えていく。  やれやれ、と思ったところで今度は女性の同僚がやってきた。 「椿君、お疲れ様。あれ、早坂君は?」  なぜ俺に、訊く。 「……すみません、観光協会さんの今のスケジュールまで把握していなくて。電話で何時ごろ来られるか確認しますか」  数秒ぶり二度目の問いに、椿は淡々とくり返した。なんだこれ。甲子園常連校か。 「やだ、そういう話じゃないわよ。そっか、別々なんだ。てっきり一緒にくるのかと思って。ところで、課長見なかった? 商店会長さんが探してるんだけど」 「さっきそっちに行ったんで、お手洗いじゃないでしょうか」 「そっか、ありがと!」  ひらっと手を振って、同僚は身をひるがえす。やはりぺたぺたと能天気に遠ざかっていくスリッパの足音を、椿は苦々しい気持ちで聞いた。どうも彼らの中で椿と晴臣のニコイチ扱いは街コン成功を経てより強固なものとなってしまったらしい。  「……みんなおまえに早坂さんのこと訊くんだな」 「ああ、みんなすっかり早坂ファンだからな。イケメンのマネージャー業も疲れるよ」  ため息をつきながらせめて皮肉を交えてやると、なぜか龍介は立ち止まったまま椿の顔をじっと見つめていた。 「龍介?」  なにか言いたいことでもあるのか。だが、見つめ返せば、ふい、と目をそらす。 「俺、ここ中まで入らせてもらうの初めてです。こんな造りになってるんですね」 「あらまあ、どうぞまたどんどんいらしてくださいねえ」  なんだったんだ、今の間。  そう思いながらも歩き出せば、ちょうど自分のいた場所が中庭に面していたのだと気づく。  温泉街華やかなりし頃の名残で、朱塗りの橋が掛けられた池では錦鯉が優雅に身をくゆらせていた。池は硝子張りの廊下の下をくぐって奥まで続き、雅致ある風景を生み出している。部屋のいくつかはせり出し、まるで池の上に浮かぶようだ。  正直、表から見ればどこにでもある古い旅館のひとつにしか見えないから、この趣向には椿も一瞬気鬱を忘れた。非日常に癒される。  龍介もこれを見てたのか。  船頭をしていれば、お客様にお勧めスポットを訊かれることもあるだろう。きっとそういうときのために知識を蓄えているのだ。渡り鳥のことといい、本当に勉強熱心だなと思う。観光船の船頭なんて若い体力だけを重宝されるかといえば、そうでもないということだろう。  椿は打ち上げなんてひたすら面倒だとだけ思っていた己を恥じ、自分も記憶の片隅に旅館のことを刻み付けると、ふたりのあとを追った。

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