13 / 40
第13話
通された部屋には湯飲みが三つ。
そういえば、部屋割りまで聞かされていなかったが「若い者チームで」となるのは当然予想してしかるべきだったのに、ぬかった。
ここに泊まるのか? あいつと?
いや、あいつとじゃない。龍介と三人だ。大丈夫だ。なにもない。
――って、なにもってなんだよ。
野球部の遠征生活で慣れているのだろう龍介が淡々と荷物を片付けている間、ひとりぐるぐると考えてしまう。心の水面は凪どころかちゃぷちゃぷと白波が立っていた。
水からの連想で、はたと気がつく。
仕事の都合か、晴臣はまだやってきていないようだ。だとしたら――
「龍介、(先に)一緒に風呂に入ろう!」
「――」
浴衣の入った乱れ箱をちょうど取り上げたところだったらしい。龍介は床の間の壺の上で取り落としそうになったそれをどうにか支えると、はーっと深いため息をついている。
「あ、悪い。驚かせた」
つい焦りが声量に反映されてしまった。
「いや。……風呂、先に入るのか?」
「あ、ああ。飲んだり食ったりしたあとだと億劫になるから」
万が一にも晴臣と一緒に入ることになったらなんだか嫌だから――なんて子供じみたことは言えず、適当な理由を口にする。幸いに龍介は「そうだな。そうするか」と応じてくれた。
祖父が生きていたころは寝間着に着せられていたから、浴衣は慣れている。手早く着替えて露天風呂に向かうと、運よく客の切れ目に当たったらしく、他に人影はなかった。早速洗い場で体を洗い、広い風呂につかる。
見上げた夜空は珍しく晴れていた。
まるで誰かがひとつひとつ丁寧に穴を穿ったのかように、無数の光が呉須色の天幕に輝いている。
色々と不自由の多い田舎の暮らしだが、この星空だけは誇れる、と素直に思った。
宿は温泉街の中でも高台にあるから、目線を下方に移せば、温泉地のほんのり橙色をした街灯の連なりも見えた。辺りを山に囲まれて、そこだけが光に包まれているのは、固い石の隙間から貴石の結晶が覗いているさまにも似ている。
そろそろ秋も終わるとはいえ、まだ肌寒いというほどでもない。露天風呂にはうってつけのシーズン、湯量はたっぷりとしていて、気遣わしい上司もいない。
「贅沢だな……」
思わず呟いていた。
「ああ」
「高校生の頃は、風呂で唸るおっさんになんか絶対ならないと思ってたのに」
「まだおっさんって歳でもないだろ」
龍介が笑う。
「実年齢でいったらそうか。どうも帰ってきた時点で人生の大半終わりみたいな気がしてて……」
温泉の心地よさか、龍介しかいない気安さか、つい、そんな言葉が口をついた。
詮無い愚痴ってやつか。いよいよ本気でおっさんだな――そんなふうに笑いに変えようとしたとき、
「そんなこと言うな」
思いの他強い怒気を孕んだ龍介の声に、椿は用意していた言葉を嚥下した。
――龍介?
一瞬戸惑ったが、考えてみれば龍介は地元の伝統的な甲子園強豪校に進学し、そのまま地元に就職しているのだ。ここでの人生が「終わり」だなんて、気分がいいはずもない。
「悪い、」
だが龍介は「そうじゃない」と椿の言葉をさえぎった。
気がつけば、並んで星空を見上げていたはずの龍介がこちらをじっと見つめていた。瞳に映るのは星空ではなく、椿の顔だ。
「おまえの人生が終わりとか、そういうことを言うな。なんか問題でも抱えてんなら、ちゃんとそう言え」
相変わらず、怒気を呑んだ声は低い。
どうしたんだ?
龍介は椿にとって唯一といっていい友人だった。家が近所で、中学まで同級生で――高校大学は別で、たまたま再会して。
再会したとき、龍介の言葉を借りるなら自分は「この世の終わりみてーな顔」をしていたらしい。
でも龍介は「東京で、なにかあったのか」とは訊いてこなかった。
ずけずけ踏み込んでこない。田舎には珍しい、心地よい距離感をちゃんと保ってくれる、数少ない相手。
「龍介? 悪い、俺ちょっと疲れてて、つい愚痴が出ただけだから」
怒りの出所がわからない以上、そう言うしかなかった。
「せっかくいい気分で風呂入ってたのに、変なこと言ったよな。ごめ――」
その場しのぎの謝罪は、最後まで紡ぐことは出来なかった。
罪悪感にかられて、が理由ではない。
湯が揺れた、と思ったときにはもう、龍介の腕に抱き寄せられていたから。
ともだちにシェアしよう!