1 / 6
第1話 テスト
仮入部期間が終わり、今日からすべての部活が本格的動きだす。
俺はまた着るとは思わなかった馴染みきった練習着をまといスパイクをはいて、再びグラウンドに立っていた。渇いた砂埃の匂いが鼻につく。周りの、根拠もなく希望を抱いているような1年たちの顔に虫酸が走る。帰ってきたくはなかったが、背に腹はかえられなかった。
「なあ、お前ポジションどこ? 中学はクラブでやってた? それとも部活?」
たまたま隣に立った奴が無遠慮に話しかけてきた。今日から始まる新しいチームにテンションが上がっているのか、同学年というだけて馴れ馴れしいそいつの態度が、俺は気にくわなかった。
顔も向けず無視を決め込むと、そいつは舞い上がっていた自分の態度に恥じらいを覚えたのか、居心地の悪そうな様子になった。
すでに先輩たちもグラウンドに集合し、顧問や監督もやってくると、ざわざわしていた1年もぴしっとせすじを伸ばした。
改めて顧問・監督陣3人の自己紹介が始り、ここ泉野岡 高校野球部の理念やら方針やらの演説を必死で聞き流していると、ペンと布とピンが回ってきた。
「というわけで、この人数の自己紹介なんてしている暇はないので、デカく名前とポジションを書いて胸に貼っておいてくれ」
周りを見ると、渋い顔をしながらみんな名前を書き始めていた。
見ると先輩たちはすでにデカデカと名前を胸に貼っていて、彼らは数字も書いてあり学年を示しているようだ。ーーダサすぎる。
小学生の頃にダサいからと服やタオルのタグにすら名前を書くのをやめたのに、今になって胸いっぱいの名前を書くなんてなんの罰ゲームだ。
口許を引きつらせながらそう思ったが、たしかに全部員約80人の自己紹介なんて時間かかってしかたないし、けっきょく覚えきれるわけもないのだからする意味もない。だが名札は、ダサいが選手の顔と名前を覚える効率性はいいように思うので、しかたなく従った。
『須見千鉄 投手』そう書いた布を胸に貼る。
「全員がそれなりに覚えるまで貼り続けるから、さっさと覚えるように。特に1年、君たちは全員覚えなければならないのでがんばるように」
2、3年は俺たち だけを覚えればいいが、1年は2、3年どころか同学年の名前もほとんど把握していない。たしかに重労働だ。
だがこのダサい格好をいつまでもし続けるなんて勘弁なので、死物狂いで覚える。俺は心に誓った。
「さて、さっそく練習に入る。と言いたいところだが、まず1年生にはテストを受けてもらいます」
浮き足立っていた1年の空気が、あからさまに固まった。
「知ってのとおり、夏の大会まではたったの2ヶ月しかありません。申し訳ないがこの時期に君たち1年生を育てている暇はない。だが、即戦力となるような選手がいたらぜひ起用させてもらいたい。それを見つけるためのテストを、君たちには受けてもらいたい」
夏大会。言わずと知れた、甲子園大会の地方予選が始まるのが、だいたい2ヶ月後。甲子園が終わるまで1年生に出番がないなんてことも、学校によってはざらにあるだろう。だがこの学校は、1年生にもチャンスをくれるようだ。
「うちのチームは選手をAとBに分けています。1軍2軍というよりは、ベンチメンバー候補選手のAグループとそれ以外のBグループという分け方です。これから見つけるのはAグループに入れる実力を持つ選手です。1年生のわりには上手い選手というわけではありません」
1年チームの緊張感が一気に高まる。監督は優しい言葉を使っているが、ようは同期先輩顧問監督、ここにいる全員の前で自分の実力を晒し、品定めを受けるということだ。
チャンスと言えばチャンスだが、今の自分の実力を否定される恐怖のほうが断然勝る。1年なのだからAグループに入れないのは当然と言えば当然だが、入部初日に優性劣性を決められる。
なかなか酷なことをする。優しいようで相当シビアなテストだ。その辺の大会より断然緊張する。それでも、勝つこと、チームを強くすることを第一に考えている、いいチームだ。上下関係とか円滑なチームワークなんぞに重点をおいているようなクソチームよりずっといい。というか、スポーツやってて勝ちに重きを置かないとかナンセンスなんだ。
「定員はありません。私たちが上手い使いたいと思う選手がいたら何人でも取ります。逆にそういう選手がいなければ1人も取りません。ではルール説明をします」
要約すると、試合形式のテストだが、チームメンバーは監督たちがその都度指示していくので、チームの勝ち負けや得点は意味をなさない。
あくまで個人の能力を監督陣にアピールし戦力と思わせろ、ということだった。
「自分がどういう選手か、アピールポイントはどこか、どうすれば私たちに即戦力と思われるか、考えながらプレイしてください。また、上級生も何人か補佐役として試合に参加するので、ポジションごとに集まってアップと準備をしてください。30分後にテストを始めます。それでは始めてください」
「30分!?」とあたふたする1年と、「集合!」と各ポジションの先輩が声を上げたのはほぼ同時だった。
新チーム初日に浮かれまくっていた新入りたちは急転、崖っぷちへ追いやられ、きびきびと動きだす。そんな状態でぐだぐだと形式ばった練習をしてもなんの意味もない。
俺は野球なんてもうやる気もなかったけど、このチームはわりと好きかもしれない。甘えも恩情もなく、努力とか過程とかよりもまず実力。勝利に近づくための力を持っている人を評価してくれる。
俺のいた中学とは違う。鬱陶しいしがらみもなくて、ただ野球ができる。そんな環境のような気がした。
俺は投手の輪の中へ入る。ただそこは投手だけでなく捕手陣もいた。その中でも小柄な『③捕手 朝沢 怜里 』と赤字で書かれた先輩が流暢に指示を出していく。
「ここは他のポジションより連携が必要なところだから一緒に打合せするよ。先輩に投げ込んだり受けたりもするから、投手は球種を教えて、捕手はそれをしっかり覚える。さらにサインはこのチームの物を使ってもらうから1年生大変だけどがんばって。覚えられなかったら何回聞いてもいいし、ベンチに紙とペンもあるからメモってもいいよ。とにかく30分しかないからね。効率よく準備するよ。まず投手、球種とか得意コースとか順に言ってって」
「ハイ!」と1年は上擦った返事をし、先輩たちの勢いに必死でついていく。俺を合わせて1年の投手は3人。順に自己紹介 をしていき、そのままの流れで先輩の紹介へ入る。何人かいるが、俺は1人の投手にしか目がいかなかった。
「俺の球はお前らには取れねえから、投げ込むこともないし、覚える必要もない」
各々が持ち球や得意コースを発表する中、彼は仁王立ちでそう言った。
『③投手 飛鳥 紫月 』。赤字でそう書かれた彼は、高校球児であるにも関わらずキャップから髪がはみ出し、しかもそれはパーマを当てているようで茶色く輝いている。そんな出で立ちでこの発言。1年はビビり倒して誰もまともに彼を見ていない。
派手な見た目に目がいきがちだが、改めて見れば、背はここにいる誰よりも高いし、偉そうな立ち姿は一見細身に見えるが、この誰もを圧倒する迫力は、体幹も筋肉もしっかりしているからこそだ。
「俺の球は誰も捕れない」ってことは、速球派なのだろう。俺と同じタイプだ。
見るとこのグループに、飛鳥や朝沢の他にも名札が赤い人が何人かいる。その人たちの雰囲気から察するに、赤字はきっとレギュラー陣。そして、飛鳥はこのチームのエース。
――上等だ。この人より速い球投げて、ここにいる全員の度肝抜いてやる。そんでもって、さっさと野球辞めて寮から出て、死ぬほど彼女作って高校生活楽しんでやる。
ともだちにシェアしよう!