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第2話 マウンド

 サイン確認も終わり、捕手を座らせ2、3球投げたところで30分が終わった。テストをやるまでもない。俺の球を受けたこいつは不合格だ。俺のアップ球すら捕球がおぼつかない。 「須見くんヤバイね……っ。MAX何キロ?」  どいつもこいつも馴れ馴れしい。俺は相手にもせず、監督のいるベンチ前に整列した。するとほとんどの先輩はいなくなり、 通りをはさんで向かい側にある市営グラウンドへ移動していた。  この学校の近くには広い公園があって、そこにはグラウンドがあるらしく、そこを第2のグラウンドとして使っているようだった。おかげでBグループもグラウンドを使えるので、力の底上げができる。この学校は環境もなかなか良い。 「ではこれからテスト試合を始めます。ポジションごとにこちらでチームを組んでいるので、まずはそれで試合をしてください。ただ随時メンバーは変えていくので、チームとしての点数は気にしなくていいです。あくまで今日は個人の実力を目一杯示してください」  緊張が高まっているのがわかる。さらに言うと、野球をしてる奴なんてバカばかりだ。たった30分で新しい情報を頭に詰めこみ、投手捕手陣の1年はすでに1試合やってきたかのような顔つきになっていた。 「一応言っておきますが、全員に平等にアピールのチャンスがあると思わないでください。我々も人間ですので30人全員を平等とはいきませんし、気になる選手は自ずと決まってきます。与えられたチャンスを逃さず、ものにするのも実力のうちです。回ってきた出番の中で最高のプレイをしてください。では、これから読み上げる選手から、試合をしてください」  監督の言葉でさらに空気ははりつめ、そんな中で1年の名前が読み上げられていく。  ちょうど30人いる1年は10人ずつの3チームに分けられ、それが一応のチームということだが、メンバーも実力の偏りも関係ない。とにかく自分の力をみんなに見せつければ勝ちだ。  俺はチーム3に呼ばれ、まずはチーム1、2の試合を見ることになった。睨むような監督陣の視線が刺さる中マウンドに上がった1人目の投手は、見ている方が気の毒に思うほどボロボロだった。1人目はストレートのフォアボール、2人目は3ボール後のデッドボール。まだ大して投げていないのに執拗に汗を拭っている。打者はまだ誰も一度もバットを振ってすらいない。振るまでもない明らかなボール球しか飛んでこないのだからしかたない。  たまらずタイムをかけた捕手がマウンドに駆け寄った。少しの間バッテリーは話をして、捕手は球を投手のグローブに入れてホームへ戻っていった。『落ち着け』とか『まず1球いれよう』とか、そういうことを言ったんだろう。  そこから投手は持ち直したようで、球はストライクに入るようになったがそれに勢いはなく、ただ置きに行っているだけの球が何球も投げられる。だが打者も打者で緊張しているので上手く打てていない。泥試合というのはこういうものを言うのだろう。  あまりにも固さが抜けない1年を不敏に思ったのか痺れを切らしたのか、周りで待機している上級生たちが声かけをし始めた。それにつられるように1年も声を出し始め、六番打者あたりでやっと試合が形になりだした。  これはあくまで試合形式のテストなので、ひとチーム10人すべてのメンバーがバッターボックスに立った。打順が一巡すると、まだ3アウトではないが 監督からチェンジがかかった。攻撃していたチームが休み、守備が攻撃へ。そして俺のチーム3が守備となった。  俺はマウンドに上がり、汚れた白球を手に取った。赤い糸で縫われた石のように硬い球。ここ数ヶ月で慣らした硬球用グラブに何度か叩きつける。革と革がぶつかる小気味の良い音がグラウンドに響く。  慣らしてきたとはいえ、硬球を試合で人に投げるのは初めてだ。軟式野球だった中学の部活とは勝手が違うだろう。とはいえ、そんなことは大した問題ではない。  俺は顔を上げてキャッチャーボックスを見る。マスクを被っているのは、さっき俺のアップ球をもたもた捕球していたやつだ。俺は今からこいつに投げ込まなきゃならない。その方が大問題だ。  こいつじゃ、俺の投球は捕れない。それじゃあ俺の実力が伝わらない。それでは困る。俺はできるだけ早くベンチ入りして、さっさと野球を辞めたい。そのためには、1年の捕手では役者不足だ。1年が捕れないと監督たちが判断すれば、きっと捕手を代えてくれるだろう。  そう思いながらボールを握りこんで手に慣らしていると、プレイの号令がかかる。  俺は捕手のサインを見た。ストレートをストライクに――。そんなアバウトなサインに俺は呆れた。要は『俺が捕れるところに投げて』と言っているのだ。  俺は言われた通りど真ん中にストレートを投げた。捕手の腰が引けたのがマウンドからでもわかった。  ど真ん中に投げてやったストレートが、ミットから弾かれる。もし打者が走っていたら余裕でセーフになるほどボールは弾けとんだが、打者もびびったのかバットを握ったままこっちを見て口を開けていた。  捕手は慌てて拾った球を返してきた。  声かけがやんだ。しんと静まりかえったグラウンドが心地良い。  定位置に座り直した捕手からの2球目のサインは、さっきとまったく同じ。俺もまったく同じ球を投げた。結果もおなじ。再び弾かれた球を見て、打者は振り逃げで一塁を踏んだ。だが関係ない。この試合の目的は相手に勝つことじゃない。自分がどれだけすごいか見せつけること。そのためにはランナーを出そうが点を取られようがどうってことない。  捕手が青い顔で返球してきた。再びキャッチャーボックスに座るが、完全に腰が引けている。もう投げるだけ無駄だ。これから捕れるようになるかもという希望すらない。  3球目。俺が投げるのを渋ったのが伝わったのだろうか、監督が捕手のチェンジを呼びかけた。しかし代わったのは他のチームにいた1年捕手。俺は帽子で顔を隠しながら舌打った。無駄な時間だ。そいつも俺のど真ん中ストレートを2球弾いた。  結局、1年捕手全員に投げることになったが、誰も俺の球をミットの中に入れることもできなかった。 「キャッチャー交代。朝沢、入ってくれ」  周りがざわついた。名札に赤い字で書かれた、3年の捕手、朝沢怜里さん。おそらくベンチ入りメンバー捕手の1人。体は小さいが、練習で指揮をとっていたし、3年生だ。おそらく正捕手だろう。ということは、このチームのエースの球を受ける人ということで、つまり、速球に自信ありげだった、あの横柄な3年投手飛鳥紫月の球を受けてるということだ。  やっとまともな球を投げれる。  俺は首を回した。息をつき、先輩が座り、試合が再開する。1球目。先輩のサインも、ストライクにストレートとだけ。ここからが本番。俺は気合を入れてボールを握りこんだ。マウンドを思い切り踏みこみ、腕を振った。1年に投げていた投球とはわけが違う。ボールを握るところから、足、腕、指先をすべて連動させた最高のストレート。それをど真ん中で、朝沢さんは受けとめた。  軟球とは比べ物にならない硬いミットの音が、マウンドまで届く。その音に、俺は鳥肌が立った。俺の放った球は、朝沢さんのミットにしっかりと収まっていた。 「ナイボ!」  小柄な体格に見合う少し高めの声で、朝沢さんはボールを返球してくる。  2球目。ストレートで内角低めのサイン。俺は言われたコースに、まったく同じストレートを収める。再び気持ちの良い捕球音が響いた。  バッターはまったく動かない。コースは違うがまったく同じストレートを投げているのに、バットを振りもせず、バッターボックスの中で固まっていた。  朝沢さんは体が小さく、座るとより小さくなるので、壁としては頼りなく感じるが、それを補って余りあるキャッチング力が抜群にすごい。受けてもらって、これほど気持ちよくなったのは初めてだ。  その後、俺は朝沢さんにチェンジがかかるまで投げた。サインは球種だけだったりコースだけだったりと自由なもので、捕る方は難しいのに朝沢さんはすべてを完璧に捕球した。1年の誰にも打たれることなく俺は自分の番を終えた。  打順が一周して監督からチェンジがかかり、俺はボールを置いてマウンドから下りた。俺の球を捕球するために急遽入った朝沢さんは、俺ににこりと笑みを浮かべ、グラウンドの外に出ていった。  ベンチに入り、俺は投球の余韻に浸った。硬球は硬いから、軟球よりも良い音がキャッチャーミットから鳴り響く。硬球だということを差し引いても、朝沢さんのキャッチングは天才的だった。気持ちよくて、いくらでも投げれるような気がした。こんな感覚は初めてだった。これが高校レベルなのか。それとも朝沢さんが抜群に上手いのか。俺の本気の球を初見であれほど完璧に捕らえられて若干悔しい気持ちもあるが、それ以上にうれしい。やはり何も気にせず球を放れることは、最高に気持ちいい。今までの野球人生で感じたことのない快感だった。  ミット音を脳内で反芻していると、あっという間に打順が回ってきた。俺は投手で、打撃に重きはおいていないが、投手も試合ではいちバッター。打てないよりは打てた方がいい。  右のバッターボックスに入る。1人打ったようで一塁が埋まっていた。  余韻に浸りすぎで投手をまったく見ていなかったので、1球目は見ることにした。1球目は変化球。手元で大きく外へ切れていった。ボール球。おそらくスライダー。俺も投げるが、俺より切れがある。だが当然、スピードは俺には及ばない。  1球目がボールだったので、もう1球様子を見る。2球目は内角の嫌なところへ食い込んできた。大きく外へ見せてからの内角。打ちにくいが、セオリーとも言える配球。  俺はサード方面にゴロを転がす。球足の早いそれは上手く内野を抜けてシングルヒットになった。俺は一塁を踏みながら息をついた。上出来だろ。投手がそれなりの打撃を見せて、十分なアピールになったはずだ。  その後目立つプレイもなく、監督からチェンジがかかった。再び俺は休みになり、同じチームの組み合わせの試合が始まった。てっきり違うチームとあたるよう組みかえるのかと思ったが違うようだ。

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