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第3話 第二ラウンド

 1人目のピッチャーが再びマウンドに上がり、最初の数人は同じ打者との対決だったが、すぐに監督の指示で上級生がバッターボックスに上がった。このチームは無駄なことをしない。投手もそれなりの球数を投げている。もう一度同じことをするわけがなかった。1年でも2度目3度目とバッターボックスに立つ者もいる。しかし上級生が入ってきたことにより、上がれない選手も出始めた。これが、平等じゃないチャンスということだ。お眼鏡に適った選手が、2度3度とチャンスを獲得していき、それ以外は除外される。1人目の投手もすぐにマウンドを下ろされ、上級生がマウンドに上がった。  入れ替わり立ち代わり打撃が試され投球が試され、後半はもはや試合形式ではなくなっていた。そして再び、俺の番が来た。マウンドに上がり、朝沢先輩を待った。また気持ちよく投げたい。3年をの先輩はこの夏で引退だ。テストでもキャッチボールでもいい。一球でも多く先輩に投げ込みたい。  しかし俺の前に座ったのは、朝沢先輩じゃなかった。名札を見れば『②捕手 笠木(かさき)(めぐる)』の文字。かろうじて赤文字であるが、2年生だし、およそ控えの選手だ。俺は愕然とした。一球でも多く先輩にと思っていた矢先に代えられるなんて、悪夢だ。  笠木はマスクをかぶり、キャッチャーボックスに座った。朝沢先輩より体は大きいが、細身であることにはかわらない。ここの捕手は、頼りない体格の人しかいないのか。捕手なんて大体は体の大きい人がやることが多い。少し見回すだけで、彼らより体格がいい選手はたくさんいるのに、なぜよりにもよって線の細いやつが座るのか。嫌がらせにしか思えなかった。  バッターが入ってくる。相手は1年。さっきからコンスタントにヒットを打っているやつだ。笠木がすっと視線をバッターに向けた気がした。少し考えたのか、笠木がサインを出してくる。ストレート高め。そもそも彼に、俺のストレートが捕れるのか。それがわからないと思いきって投げられない。それでも言うとおりには投げる。どこに投げても打ち取れる自信しかない。  足をあげ、腕をしならせ、笠木に投げ込む。彼はビタリと、俺の球を止めた。驚いている俺に、笠木は何も言わず返球してきた。表情も変えず、無表情のまま座り直した。強めに返された球がグラブの中で鳴いた。『こんなもんか』そう言われた気がした。眉間に力が入る。  ――なめんな。あんたの力を確認しただけだ。  俺は強くボールを握りこむ。サインはインローまっすぐ。俺はインコースが好きだ。俺の球を見て、のけ反る打者の姿が見ていて気持ちがいい。  俺の得意コース。ビビれ笠木。俺は目一杯投げた。苛つきも球に乗せて、一直線に飛んでいく。打者はのけ反り、球はしっかりとミットの中に収まった。再び無言で返球される。  何てことないように止めた。俺の球を。表情ひとつ変えずに。  腹が立つ。朝沢先輩だって俺の球を捕った一球目は、驚いた表情をした。俺の球を見た人はみんなそうだ。驚いて喜んだりビビったり、反応は様々だが、無反応なんてありえない。確かにさんざん投げたから、それを外から見てある程度はわかっているだろうが、外から見るのと、実際受けるとではまるで違うはず。ムカつく。俺はマウンドの土をえぐった。足場をならして前を向くと、笠木は泰然とサインを寄越した。  笠木は朝沢とは正反対に、細かく球種とコースを指示してきた。試されているようでいい気はしなかったが、他の投手をバシバシ打ちこんでいた上級生たちから、面白いように三振が取れた。俺なら迷うようなシチュエーションでも、俺のセオリーにない球を要求してきて、それが上手いことハマる。  同じチームで選手のことを知っているからとはいえ、俺のことは知らないくせに、したり顔で俺を使う笠木に腹が立ってしょうがなかった。 「次のバッター、吉浦」  監督のその声に上級生たちがざわついた。「はい」と立ち上がったのは、先輩たちの中でも群を抜いてデカイ選手だった。身長はもちろん、腰回りなどもしっかりしていて厚みもある。重量感だけでいったら笠木の倍はありそうだ。だがそんなガタイに乗る顔つきはシャープで爽やか。ごつさなどどこにもなく、はっきりした表情からは明朗快活な雰囲気が漂う。  『③四番 吉浦(よしうら)円寿(えんじゅ)』。赤文字でそう書かれた彼が、このチームで一番の打者ということだ。 「しゃす!」  誰よりも元気に入ってきた吉浦は、左打席でバットを構えた。投手と言うのは、初めての打者でもヤバい奴かそうじゃないか、直感でわかるものなのだが、これほど分かりやすく体が反応したのははじめてだ。じっとりと手に汗が滲んだ。怖いわけじゃない。負けると思っているわけじゃない。むしろ逆。手に汗をかいた方が、球は走る。滑る心配がなくなり、思いっきり投げれる。彼を打ち取ることができれば、もう確実だろう。野球を辞めることに王手だ。  笠木が吉浦を見た。じっくりと舐めるようにみていると、吉浦もにやりと笑い返している。自信たっぷりなその笑顔に、俺は気を引き締めた。俺のストレートでも、少し甘く入ったら持っていかれる。そんな威圧感がある。  ボールから入ってもいいぐらいの心構えでいたのに、笠木からのサインに、俺は思わず声を出しそうになった。ど真ん中まっすぐ。見間違いかと思った。だが間違いなくサインはそう。  何をバカなことをと首を降ろうかと思ったが、笠木のサインには妙な説得力がある。  俺は構えた。全力で、笠木のミットめがけて球を放る。そしてあたかも当然のように、それはきれいにミットに収まった。吉浦は微動だにしなかった。俺の球を見ると決めていたのだ。それが笠木にはわかっていたのだろうか。  鳥肌が立った。こんな形でストライクを取ったのははじめてだ。投手として、最高のストライクのはずなのに、手には気持ち悪さが残った。俺のもとに返ってきたボールが、生き物のように体温を持っているような気がして、気持ち悪さが増した。 「お前はほんとイヤらしいリードするよな」  しっかり意表を突かれたようで、吉浦も笑いながらヘルメットを直した。  そのあとも俺は笠木の言うとおりに投げて、吉浦を2ー2と追い込んだ。正直わけがわからなかった。なぜあの球で吉浦が見送ったのか、ストライクをもらえたのか、何もわからずに今俺は吉浦に勝とうとしている。でも俺は少しもうれしくなかった。むしろぶつけようのない苛立ちでいっぱいだ。ひとつも納得していない球で、俺は勝利に手がかかっている。  ムカつく。とにかくムカつく。前を見ると、いつの間にか真剣な顔つきになった吉浦が構え、笠木がやはり吉浦を観察している。構えから何がわかるのか、表情から何がわかるのか、俺には何もわからない。  サインが示される。インローのボールになるスライダー。これがなんの指示かはわからない。ゴロを打たせるつもりなのか、はたまたは遊び球かつり球か、真意はまったくわからない。言うとおりに投げておけば勝てるのかもしれない。だがこれで勝とうが負けようが、俺には何も残らない。  俺は首を振った。笠木も吉浦もぎょっとした顔をした。でも笠木はすぐに次のサインを出す。それにも首を振った。次のサインはすぐには来なかった。笠木の瞳がバッターではなく、俺をじっと見ていた。そしてサインが来た。  インローまっすぐ。この人は、本当に人の心が読めるのかもしれない。俺は頷いた。  グラブの中で、念入りに指を縫い目に食い込ませる。力を抜いて、グラブを腹の位置においた。  俺の好きなコース。ただそれだけ。笠木にはプランがあったかもしれない。吉浦を打ちとるために、一球一球組み立ててきたのかもしれない。でも、俺が自分の実力で勝つためには、自分の全力をぶつけるしかない。打たれる気はない。得意コースと球種で、俺は吉浦を打ちとる。  動悸が、今日一番の強さで鳴る。試合でも緊張しないのに、たかが部内のテストでこれほど緊張するとは思わなかった。  俺は足を上げ、慣らしたマウンドに踏み込む。足から指先まで体重を移動させ、すべてのエネルギーを球にこめた。  俺の、今投げられる最高の球だ。それは吉浦の振り切ったバットに捕らえられ、高く宙に上がる。内野はゆうに越え、外野も届かなかった球はセンターの後ろに落下し、ワンバウンドでスタンドに当たった。三塁打だった。 「ピッチャー交代。飛鳥、上がってくれ」  呆けていると、マウンドに現エースの飛鳥紫月が悠然とやってきた。横幅はないが背が高い。身長に対して長い腕は、良くしなりそうだ。 「どけよ」  性格は横柄で王様のよう。ふつうなら嫌がられる性格だが、ピッチャーとしては頼もしい。実力が伴っていればだが。  俺は飛鳥にボールを渡し、マウンドを下りた。キャッチャーは代えないようで、引き続き笠木が座っている。名前を呼ばれた1年がバッターボックスに入る。  ぱぱっとサインを交換すると、飛鳥が投げた。豪速球がマウンドを駆ける。革の破裂音のような音が響いた。1年は手も足も出ないようで、早々に諦めたようだった。飛鳥の実力は本物だった。まるで重力を感じさせない球は、空間を滑るようにミットまで走っていく。認めたくはないが、急速は俺より速い。  その後も何人か打撃に強みがある1年が打席にたたされるが、1年の手におえるような代物じゃない。飛鳥は流すようにスパスパと三振を量産し、現エースの実力を見せつけられ、1年のテスト試合は終了した。  結果は明日に知らされるらしい。早々に明日から、夏大会に向けてチームがスタートする。しかし俺はそれどころではなかった。衝撃だった選手が多すぎた。俺の球を完璧に捕球する選手が2人もいるわ、俺の全力投球を簡単に弾き返す打者がいるわ、俺より速い球を投げる投手までいた。  上には上がいると言うのは本当なのだなと、俺は人生ではじめて実感した。この人たちと野球をしていけば、今までとは違った野球ができるのだろうか。  俺は自嘲した。今更だろ。俺は野球のない学校生活を送るためにここへ入学した。もう野球はいい。高ぶった体温が急速に冷める。それでいい。  誰もいないマウンドに、小さなつむじ風が吹いた。俺の頭上には、晴れやかな春の空が浮いていた。

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