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第4話 入寮

 テスト試合が終わた次の日曜日。練習が休みのその日に、俺は野球部専用の寮に越してきた。 「教科書とか授業で使うやつはこっちの棚使っていいよ。野球道具は外に置いといていい場所もあるからそっちでも大丈夫」  ひと部屋2~3人の相部屋で、俺の入る部屋にいたのは2年の辻尾(つじお)匡一(まさいち)。坊主頭で巨漢の彼が、頼んでもいないのに甲斐甲斐しく俺の荷ほどきを手伝ってきた。  10畳ほどの部屋にあるのは、二段ベッドがふたつと、小さな棚が4つだけ。寝ることしかできなさそうな部屋だ。 「テーブルも椅子もないみたいですけど、ベンキョーとかどうするんすか?」 「学習ルームがあるんだ。まあ、ほとんど誰も使ってないけどね」 「テレビは」 「食堂にあるからそこで見れるよ」 「風呂とかトイレは」 「風呂は大浴場があって、トイレはその辺に何個かあるよ。掃除は全部俺らで当番制だから、あとでその辺も教えるよ」  全部共同かよ。荷ほどきする手が緩まる。このまま帰りてえ。なんでこんなむさ苦しい男の巣窟にわざわざ住まないといけないんだ。 「須見はさ、なんでこの時期に入寮したんだ?」  空になった段ボールをを潰しながら、辻尾が言った。 「なんか変すか?」 「変というか、昨日まで通いだったんだろ。家どこなんだ?」 「こっから徒歩10分ぐらいのところっすね」 「え、寮に入る必要なくない?」  この学校で寮があるのは野球部だけだが、野球部全員が寮に入らなければならないということではない。あくまで希望者のみで、通いで通学している人も多い。俺だって好きで寮生活をするわけではない。 「親の意向なんでね。しかたないんす」 「どういうこと?」 「偏差値50以上のとこか、高岡の全寮制男子校か、ここの野球部に入っての寮生活しか、進学の金は出さん。それが嫌なら働けって言われたんで、しかたなくここに」 「すごい親だな。ふつうどこでもいいから高校ぐらい出ろっていうのに」 「うち自営業なんで、家で働かせて監視できるんすよ。俺、中学んとき悪さしてたんで」 「マジか。ここで問題起こさないでくれよ。今年はほんとに甲子園狙えるかもしれないんだからさ」  この学校に野球部だけ寮があるというのは、越境選手をスカウトしたりするほど、野球に力を入れているためだ。何度か甲子園出場を果たしていたようだがそれはもう10年以上前の話で、ここ最近は選手もめっきり減って、寮の部屋も3分の1は空き部屋になっている。 「むしろ飛鳥先輩と円寿先輩が3年の今年がラストチャンスなんだ。ほんとに行けたらすごいよな」  飛鳥の球。テスト試合の投球が、今もまだ脳裏に焼きついている。それも全力投球じゃない、流して投げた球に、あれほどの力を感じたのは初めてだった。  吉浦先輩の打球も、なんなに簡単に外野へ持っていかれたことなどなかった。この2人は、たしかに群を抜いてすごい選手だ。 「甲子園とかどうでもいいですけど、別に問題起こす気もないんで安心してください。大人しくそれなりの成績で、まじめに野球やってレギュラー取らないと寮出られないんで。寮出ないと野球も辞められないし花の高校生活送れないんで、それまでは大人しくしてますよ」  辻尾が幽霊でも見るような目で、俺を見た。 「野球辞めるの? あんなすごい球投げるのになんで?」  すごい球。俺もそう思ってた。もう野球はどうでもいいけど、俺の投げる球自体はすごいものだと自負していた。 「すごい球だったらAチームに入れたでしょ」  俺は辻尾の上のベッドにシーツを広げた。ここが俺の指定された、自分の寝床だ。 「そんなことない、須見の球はすごいよ。俺は絶対Aに入ると思ったよ。先生も監督もすごい期待してたし、夏大会でも使う気満々だったと思うよ」 「俺も、入る気満々でした。外されるなんて、思いもしませんでしたよ」  けっきょく俺は、Aチームには入れなかった。シーツを伸ばしながら、俺はあのときの投球を思い返す。  調子はよかったし、想像以上に上手いキャッチャーに、むしろいつも以上の球が投げられた。監督たちの反応もよかったし、打たれたのも吉浦にだけだ。その吉浦に投げたのも、俺だけだった。  期待されたと思った。たしかに飛鳥には勝てないかもしれないけど、負けてもいないはずだ。飛鳥からエースをとれるかはわからないけど、レギュラー候補にすら入れないなんて、絶対何かの間違いだ。 「なんで入れなかったか監督に聞いた?」  シーツを敷く手を止めた。 「いや、聞いてないっす」 「自分で納得してないなら聞いた方がいいよ」 「そう、っすね」  目から鱗というか、そんな行為が俺の選択肢になかった。監督や先生なんて、選手の言い分になど聞く耳を持っていない。自分がルールで、言うことを聞かせることにしか興味がない。選手の気持ちとか事実なんてどうでもいいのだ。何を言ったって無駄だと、俺は諦めたから。  でもここの監督たちは、聞いてくれるのかもしれない。でなければ、辻尾はこんなこと言わない。日頃から監督陣と選手たちで意見し合っているのだろうか。ふつうの大人もいるんだなと、俺は何となくホッとした。  荷ほどきが終わった頃、ちょうど昼時となった。 「もう昼ごはん食べれるけど行く?」  辻尾の提案にのり、俺たちは食堂へ向かった。食堂は40人の寮生全員が入れるほど広く、食事はセルフで自分の食べれるだけよそう方式だった。  さすがは野球部用の寮というだけあり、量は溢れるほどありいくら食べてもなくならなそうだ。だが量だけということもなく、栄養バランスもしっかり考えてあるようで、栄養価が詳しく書かれた紙が壁に張りつけてあった。 「最低限食べる量決まってるから、いくら食べてもいいけど食べないのはダメだよ。食べて体作るのもトレーニングのうちってことで。体調悪かったりしたら、監督に言ってな。料理も当番制だから、そのうち須見も作ることになると思うけど」 「マジっすか。俺料理なんてしたことないけど」 「最初は先輩のいうとおりに食材切ったりするだけだから大丈夫だよ。そのうち味付けとか栄養のこととか叩き込まれると思うけど」  料理なんてめんどくさい。いよいよ寮生活をさっさと終わらせたくなってきた。  朝から引っ越しで体を動かしたので腹ペコだった俺は、全ての料理をこんもりと盛り席についた。 「よく食べるね。好き嫌いとかないの」 「ないっすね。肉が好きだけど、出されりゃなんでも食いますよ」 「それはいいね。みんな野菜嫌いだから、泣きながら食ってるやつ多いよ」  豪快に笑いながら俺の前に座った辻尾は、山盛りの俺のさらに倍ほどの料理が皿の上に乗っていた。体格と相まったその量に失笑した。  学生が作ったにしてはしっかりと味のついた料理に驚きつつそれを口に運んでいると、辻尾が誰かを見つけ手を振った。 「世古(せこ)」  辻尾につられて目を向けると、世古と呼ばれた男が気の進まなさそうな顔でゆっくりとこちらにやって来た。 「須見、俺らと同室になったから。こいつは世古、俺と同じ2年」  紹介されたので一応会釈する。しかし世古は、嫌そうな顔で俺を見下ろしてきた。 「いちいち言わなくたって知ってるっつうの」  鼻につく尖り声に、細くつり上がった目は陰険な雰囲気を出している。 「それだけ? それだけならもういいよな」  世古は足早に去っていった。それを見た辻尾は、気まずそうに坊主頭を掻いた。 「なんかごめんな」 「なんで先輩が謝るんすか」 「いや。あいつも大型ルーキーの登場に気が立ってるんだと思う」 「あの人投手なんですか?」  辻尾は頷いた。 「気難しいやつだから気にしなくていいよ。新人にあんな投球されちゃ、投手としては意識せざるを得ないよな」 「あの人どっちグループですか?」 「Aだよ」  俺は掴んでいた揚げ出し豆腐を落とした。 「球速いんすか」 「テスト試合で投げてたけど、覚えてないんだ」 「全然覚えてない」 「須見打ってたよ。シングルヒットだった」 「マジっすか」  ということは、大したことなさそうだ。それでAグループ。ますます俺がAに入れなかったか理由がわからない。俺はトマトにフォークを突き刺した。 「そういや、先輩はどっちなんすか。てかポジションどこっすか」 「俺は捕手だよ」  俺はトマトを吹き飛ばした。 「マジで!」 「え、そんな驚く? 見たまんまじゃない?」  汚いなあと、辻尾はトマトを俺の皿に返してきた。 「このチームの捕手は小さい人がやるんだと思ってたので」 「なにそれ」  辻尾はケタケタと笑った。 「あの2人が上手いだけだよ」 「で、先輩はどっちグループなんすか」 「俺はB」 「へえ意外。投げやすそうなのに」 「俺こないだまで体小さかったしね」  耳を疑った。辻尾の身長は飛鳥や吉浦と同じかそれ以上だし、幅も厚みもまるでプロレスラーのようなのだ。 「俺入学したときは160cmぐらいしかなかったんだけどさ、ここ3ヶ月で急激に伸びて、30cmもでかくなったんだよ」 「3ヶ月で30cmって、そんなことあんの?」 「あるみたい。体重はもともとデブだったからそんなに変わってないんだけど、ここの食トレのおかげかな」 「それって、大丈夫なんすか。なんかヤバそう」 「ヤバかったよ。成長痛。歩くのも痛くて学校休んだ時期もあった。だから野球どこじゃなかってっていうか。でも最近落ち着いてきたから、ちょっとずつ練習始めてるよ。まだじわじわ成長してるけど」 「もうよくないっすか?」 「そんなこと言われても」  成長期の不思議に舌を巻きながら俺たちは山盛りの昼食をさらにおかわりし、満足したところで手を合わせた。 「うちジムが併設されてるんだけど、見に行く?」  野球部専用のジムがあることは知っていた。しかも24時間いつでも使えて、施錠時間はない。  この寮の規則は意外と緩かった。門限の10時を守ればいつ外出してもいいし、消灯時間も決まりはなかった。決まりがあるとすれば、食事の時間と風呂の時間ぐらいだった。おかげで、俺はなんとか入寮を受け入れることができた。  ジムは食堂から寮の裏に出て、外を挟んだ別棟にあった。敷地の奥まったところにあるので、外部からの進入の心配もないし、四六時中鍵をかけなくても安全面はそれほど問題ないのだろう。  今日は日曜日で練習も休みということもあり、寮にいる選手もまばらだ。休息日に筋トレをする人も少ないという辻尾の説明を聞きながらジムにやってきたが、どうやらまったくいないわけではないようだった。  ジムは、30人は一斉にトレーニングできそうな広さだった。マシンは使いこまれてはいるが、しっかり整備しているようで、大事に使われているのがわかる。だが、そんなことはどうでもよくなるような場景が、人気のないジムで繰り広げられていた。  ベンチプレスで使うベンチで、男ふたり向かい合って座り、キスをしていた。しかもわりとがっつりと。舌は入ってたし、お互いのティシャツに手を突っ込んでまさぐっていた。  俺たちが入ってきて、その男ふたりは弾かれたように飛び退いたが、その光景は俺の目にばっちり写った。唖然とする俺を横目に、辻尾はただため息をついた。 「共同の場所でそういうことするなって、ルール決めただろ」  辻尾は驚いたようではなく、ただ呆れているような反応だ。 「わ、わりい。イヤ、俺たちまじでトレーニングしに来たんだっ。ただつい……。いや、ごめんごめん」  ふたりは謝りながら恥ずかしそうにジムを出ていった。俺が言葉を失っていると、辻尾が気まずそうに声を出した。 「えっと、なんかごめんな」 「先輩が謝ることじゃないっすよね……」  男同士のそういう関係は初めて見た。そういうこともあるだろうけど、まさか俺の周りで起こるとは思わなかった。 「てか、先輩驚かないんすか」  だがどちらかというと、あの光景を見て辻尾が平静でいることのほうが驚く。 「ああ……。うちの部、意外と多いんだよね。というか、そっちの人にはわりと有名なんだよ。うちにそういう趣向の人が集まるって」  ということは、あのふたりだけじゃないということか。 「むしろそれ目的でこの学校に入学して、野球部に入る人もいるみたいだよ。寮に入るために」 「まじっすか!?」 「うん。だから、まあ、須見は大丈夫だと思うけど、たまーに言い寄られたりすることもあるから、気をつけてね」 「え、俺?」  ハトが豆鉄砲を食らうとはこういうことを言うのだろう。すぐ周りにそういう性癖の人がいることに驚いているのに、そのベクトルが自分に向くかもという可能性は、かててくわえて予想できなかった。 「そりゃあ、須見がタイプの人がいる可能性は否定できないし。須見はガタイいいし大丈夫だと思うけど、たまに無理矢理みたいなこともあるから」 「まじか……」  恋愛とかそういうのは個人の自由だし何を言うつもりもないけど、今回のようにそれを見せつけられるのは正直気持ち悪いし、ましてや無理強いされるなんて想像するだけで粟立つ。俺にそういう趣味はない。  そう言えば、辻尾はちょっと前まで体が小さかったといっていたような気がする。 「てかそれって、先輩の実体験すか?」  そう聞くと、先輩はからからと笑った。 「違う違う。俺はチビだったけどデブだったから、そもそもモテないし、抵抗するぐらいできるよ。そういう話も聞くってだけ。あと、俺もそういう趣味はないから、安心してね」 「そっすか、ならよかった。両方の意味で」 「須見もそっちじゃないんだよね?」 「俺は彼女作るためにこの学校に来たんで」 「そうだよね。いやさ、入学してからその噂を聞いて、途中入寮してくる人が毎年数人いるみたいだからさ。もしかして、須見もそうなのかなあって思って、最初は思ったんだよね」  俺は息をつきながら辻尾を見た。荷ほどきしているとき、早々に入寮の理由を聞いてきたのはそういうことか。合点がいった。 「俺は、ギリギリまで寮生活したくなかったんで、仮入部終わってから越してきたんですよ」 「じゃあ、お互い安心ってことで。仲良くやってこ」 「あの世古って人はどうなんすか?」 「さあ、どうだろ。そんな話は聞かないな。彼女がいるってのも聞いたことないけど」 「まああんなヒョロガリ、どうとでもなるか」 「あの、一応先輩だからね」  もともと食後すぐだし、見にくるだけのつもりだったので、俺たちはジムを後にした。それでなくてもあんな光景を見て、トレーニングもないだろう。  今回はキスだけだったがあの感じだと、もしもう少し後に来ていたら、行為真っ最中に乗り込むことになっていたのではないだろうか。ということは、きっと今までもそういうことがあったはずだ。あのジムで何人の男が乳くりあったのか。せっかくの専用ジムなのに、できればもう行きたくない。変な想像がどうしても頭をよぎる。  ゲイがそれなりの数いるということは、チーム内で恋愛が繰り広げられるということだ。女子マネージャーと選手が付き合うとなっただけでもめんどくさかったのに、部内で何組もカップルができるとか考えたくもない。  こんなことなら、寮の規律の厳しいふつうの野球部のほうがいくらかよかった。よりいっそうさっさと寮を出たくなった。そのためには監督に今回なんでAに入れなかったのか聞いて、さっさと対策して、ぱっぱとレギュラーをもぎ取ろう。そう決心し、俺は監督の居場所を辻尾に聞いた。

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