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第6話 ゴールデンウィーク

 世の中はゴールデンウィークに入った。クラスのツレは揃って帰宅部で、休みを謳歌しているようだ。俺も誘われたが、野球部というところに、ゴールデンな週などない。毎日練習か試合が入っていて、寮生活の俺は合宿でもしているような24時間野球漬けの毎日だ。  毎日ある朝練の、さらに前に起きて朝ご飯を作り、朝食当番じゃなかったとしても昼食か夕食には必ず当番がある。練習試合の多いAチームの手伝いをして、それがなかったら学校で練習。それも監督はAに引率しているので、顧問の監視のもとに行われる基礎練だけ。  やりがいも楽しみもない、さらに試合の機会もない俺には、監督陣に俺の実力を再アピールする場もない。生産性のない毎日に、俺は焦っていた。夏の地方予選まであと2ヶ月しかない。Aチームに認めてもらうには、つまらない練習をサボるわけにもいかず、投球練習すらまともにない練習を毎日こなしていた。  明日でゴールデンウィークも終わりというこの日、俺はAチームのサポートに来ていた。30人ほどいるAチームは、分ければ2チーム作れる。それがBチームが練習試合にも出れない理由のひとつだ。今回はAチームにいるもうひとりの投手、2年の日比野(ひびの)(みつる)が投げる試合のボールボーイとして、グラウンドに立っていた。  このゴールデンウィーク中の練習試合で、Aチームにいるすべての投手を観たが、すごいと思えるのはやはり飛鳥だけだった。世古はサイドスローで、投球フォームが独特な投手だった。タイプ的には打者のタイミングをずらし、凡打にしてアウトをもらう投手のように思う。しかし球速は大したことはないし、慣れれば誰でも打てそうだった。  そしてこの日比野。こいつはさらにひどい。朝沢に受けてもらっているが、球速はまるで小学生並み。フォームもまったく迫力なく、コントロールはいいようだが、さっきからバカスカ打たれて、スコアは3回ですでに5点も取られている。Aチームの不甲斐なさをこの目で見て、俺のフラストレーションは急上昇だ。俺はこんなやつらに負けているのか。やっていられなかった。  丸一日練習試合の手伝いをさせられ、寮に帰った頃にはもう日が暮れていた。こんなことなら学校で基礎トレーニングしているほうがまだマシだ。球を投げることもなく、ただグラウンド脇に突っ立って、球に飛んでくるボールを拾いに行き、ボロボロの試合を観させられる。ストレスしかたまらない毎日に、ほとほと嫌気がさしていた。  夕食のあと、俺はジムの脇にある投球練習場へ行き、軽くストレッチをしながら体を伸ばす。投球練習どころか基礎トレーニングもない日は、投げられずにはいられなかった。だからここ最近は、毎夜ここで投げている。毎日のフラストレーションを投げることで発散しないと、ろくに寝ることもできないのだ。  辺りは暗いが、投球練習場には屋根があり電気も付いているので、いつでも投げられる。マウンドはないが、ネットが備え付けられていて、ひとりでも投げ込みができる。  さあ投げ込もうと気合いを入れた瞬間、地面に置いていたケータイが鳴った。どうやら電話のようだ。気をそらされたが、それよりもこの苛立ちを解消することのほうが大事だったので、俺はネットに向かってめちゃめちゃに投げた。フォームもコースも気にせず、とにかく投げた。俺のストレス解消方法は、昔からこれだ。とにかくボールに当たる。そうすると驚くことに、数球で心が静まるのだ。  ガス抜きが終わり、本格的な投球練習に入ろうかと思った瞬間、再びケータイが鳴った。また電話。俺はケータイを手に取り相手を確認する。しかたなく通話ボタンを押した。 「ハイ」  めんどくささを全面に出していく。だが、通話の相手には一切通じない。 『どうだ、Aに上がったか』 「そんな簡単じゃねーんだよ。試合すら出てねーんだから」  親父だ。俺がこんな学校生活を送ることになった元凶が、不躾な言葉をつらねる。 『明日は試合に出れるかもなんだろ? 観に行くからな』 「マジで来んかよ。勘弁しろよ……」  明日の練習相手の学校は部員が多い。もしかしたらBも試合を組めるかもと言われていたのだ。そのことをゴールデンウィーク序盤に、電話をかけてきた親父に伝えていた。 『バカ野郎、これはお前がしっかり学校生活送ってるかどうかの監査だ監査。お前に拒否権はねーんだよ』  俺が寮を出て野球を辞めるためには、野球をしっかりやって学業も怠けずしていると認められなければならない。それはこの親父の一存で決まるのだ。だから親父からは頻繁に連絡がくるし、練習の様子とかもこっそり視察に来ているようだ。それが練習をサボれない一因でもある。実家から徒歩10分の弊害だ。 「わかったから、こっそりにしろよ」 『へーへー、お前がどれだけチームに貢献してるかしっかり観るからな。ちゃんとやれよ』  言うだけ言って親父は通話をきった。ガサツで荒い親父に、俺は頭をかいた。それでなくても気分がよくないのに、ダメ押ししてくんじゃねえよ。  イライラとケータイを握りしめながら頭をかいていると、再びケータイが鳴った。 「今度はなんだよしつけーな」  自分から切っといて二度がけしてくるとはどんな了見だ。ろくに発信者の名前も確認せずに出ると、どう考えても男じゃない高い声が耳元に響く。 『何、他の女にしつこくされてたの?』  電話をかけてきたのはゴールデンウィーク前に階段で紙を渡してきた女だった。あれは案の定ラブレターで、俺は告白を受け入れた。別に好きになったわけではなく、告白されたから受け入れただけ。よく知らないからお試しという文句で中途半端で自由な交際を肯定的にしてある。毎日練習があってさらに寮生活でやることもやれないが、断る理由はなかった。嫌なら向こうからふってくるだろう。 「ああ、今度遊ぼうってよ。俺モテモテだから」 『でも断ったんだ。ありがとう』 「別にお前のためじゃねーから。ブスなのにしつけーからよ」 「千鉄ひどーい」  ひどいことを言ってもへらへら笑って流せる女が、俺は楽で好きだ。お互い何も気にせず、気楽に適当に付き合いたい。 「ねえ、ホントにどっか行けない? せっかく彼氏できたのに、どこにも行けないのつまんないんだけど」  俺はため息をついた。 「部活だつったろ。同じこと言わせんなよ」  こいつには連休に入るときに、野球が忙しくて遊べないと伝えてある。  俺はしつこいヤツは嫌いだし、同じことを何回も言わせる馬鹿も嫌いだ。だが、付き合うのが楽なこういうタイプは馬鹿が多い。そこはどうしようもない。 「試合も出れないのに何が楽しいの? そんなのやめて遊んだ方が楽しくない?」 「うっせーな。いろいろ事情があんだよ」 「あ、でも甲子園とか出場できるんだったらもしかしてスゴくね? やっぱ千鉄も甲子園行きたいの?」 「そんなのどうでもいいわ」 「じゃーやっぱりやってる意味ないじゃん」 「とにかく、明日も遊べねーから。じゃあな」  何か言っていたのを無視して、俺は一方的に通話を切った。馬鹿で付き合うのが楽なのはいいが、馬鹿がゆえに空気が読めないのがたまに傷だ。  やっとのことで俺はケータイを置き、投球練習に入ろうとグラブをはめた。 「もう彼女? やっぱモテるんだな」  思わぬ自分以外の登場に、俺は胸を突かれた。見ると巨漢が練習場のネットをくぐっている。 「ま、人並みにはモテますね」 「羨ましい限りだな。でも頼むから問題は起こさないでくれよ。誠実なお付き合いを心がけてくれ」  真顔の辻尾がそう言った。 「大丈夫っすよ。問題は起こさないんで」 「お前の電話の感じからあんまり信用できないぞ。女の子にあの態度はどうなんだ」 「盗み聞きっすか。趣味悪いっすね」 「聞こえちゃったんだっ。ごめんなっ」  同じ部屋の辻尾には、俺の行動は筒抜けだ。何も言わず部屋を出てきたが、辻尾には俺の動きが読めたのだろう。何せ、最近は毎日ここに来ていた。 「ところで、投球練習するなら、俺に受けさせてくれないか」  辻尾の手にはミットと、その他の防具があった。この連休の練習中に、辻尾には何度か投げ入れる機会があった。ありがたいことに、練習を重ねれば、辻尾とのバッテリーは形になりそうな雰囲気があった。まだ完璧とは言えないが、辻尾は俺の球を捕ることができる。  明日試合ができるなら、おそらく俺は辻尾と組むことになるだろう。Bチームの中には、他に俺の球を捕れるやつはいない。俺が頷くと、辻尾は防具を装着していく。完全防備に身を包むと、辻尾はネットの前に座り、ミットを構えた。  最初は軽めに流し、少しずつ力を入れていく。捕れたり捕れなかったりで、まだまだ安定しない。どうしたって明日までには間に合わない。そもそもまともなバッテリーとしての練習などしていないのだ。形になるはずもない。  こんな状況なのだから、きっと明日は試合に出れたとしても、本気は出せないのだろう。まともに捕れるやつはいないし、登板できたとしても捕手が捕れる範囲の球で、のらりくらりと試合をするしかない。  まったくやる気が起きない。それがさらにイライラを増大させ、ボールを投げる腕に力が入る。  力の入った球が辻尾のミットを弾き、辻尾のマスクに当たった。 「大丈夫っすか」  肝が冷えた。怪我をさせるのはさすがに後味が悪い。しかし辻尾は笑って謝ってきた。俺は胸を撫で下ろす。 「ごめんな。俺がまともに捕れるようになれば、明日の試合でお前はアピールできるのにな」  思わぬ言葉に、俺は反射的に声を出した。 「俺の球がそう簡単に捕れるわけないんでね。別に先輩のせいじゃないっすよ」  辻尾は優しい。本気で俺をAチームに昇格させようと思っている。俺がBいるのはおかしいと、ずっとそう言ってくれる。これほど手放しに後輩を思ってくれる先輩に、俺は会ったことがなかった。  不思議な人だと思う。俺の球を上手に捕ってくれるわけではないが、辻尾には妙な安心感があった。辻尾が俺の球を捕ってくれるようになったら、すごく投げやすいだろう。俺の気持ちを汲み取って、投げやすい球を投げさせてくれそうだ。  朝沢先輩も投げやすかったが、それとは違う安心感が辻尾にはある。捕手は投手の女房役とは、辻尾のことを言っているに違いない。俺:(投手)を立ててくれて、仕事をしやすく支えてくれる。 「明日の試合でアピールできればAに上がれるかもしれないのに、お前の球をまともに捕れるやつがいなきゃアピールどころじゃないもんな。練習してせめて捕るだけでもできるようになったらと思ったけど、そう簡単じゃないな」 「そもそも明日俺が出るかわからないですしね。投手は俺だけじゃないし。まあなるようになるでしょ」  アピールできる場があるとは思えない。このまま今年は何もできずに終わるかもしれない。そんな気配を感じていた。  温まった体を、まだ冷たい夜風が撫でていく。投げれば体は温まるが、気持ちは冷静な状態が続いている。どこへ向かっていけば良いかわからない。そんな日々を過ごすのは初めてだった。

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