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第9章 第3話(1)

 シャワーを済ませた群司がリビングに戻ると、焼き魚の(こう)ばしい香りが漂っていた。  用意してくれていた着替えのTシャツとスウェットのパンツは、おそらく早乙女のものなのだろう。群司にはやや小さかったが、それでもなんとか袖を通すことができた。 「すみません、下着まで新しいの下ろしてもらって。ありがとうございました」  シャツの肩口が詰まって、スウェットの丈が合っていない群司の姿を見て、キッチンにいた早乙女は申し訳なさそうな顔をした。 「すまない。いちばん大きいサイズのものを用意したんだが」 「大丈夫です。っていうか、シャツ、伸びちゃったら逆にすみません」 「それはべつに、かまわない」  言って、早乙女は群司にキッチンカウンターわきの食卓を指し示した。 「それ、返しておく」  テーブルに置かれていたのは、群司の携帯だった。途端に母のことを思い出した。 「あ、え~と、家に電話、してもいいですかね? さすがにまだ、捜索願とかは出してないと思うんですけど」 「連絡は、してある」  え?と驚く群司に、早乙女は気まずそうな顔をした。 「昨夜、その携帯に親御さんから電話がかかってきてたから、かわりに出て事情を説明しておいた」 「え、事情って、まさか拉致監禁?」 「違うっ」  早乙女は即座に否定した。その顔が、心なしか赤らんでいた。 「だからっ、飲んでるうちに気分が悪くなってしまったようなので、今夜はうちに泊まってもらうことにする、と」  足枷を嵌めてまでの脅しはやりすぎたという思いがあるのか、早乙女はひどくばつが悪そうだった。  素の反応が新鮮であると同時に、やけにピュアに感じられて笑いがこみあげてくる。そんな群司の様子に気づいた早乙女が、ますます顔を赤くした。 「い、いいから早く、お母さんに連絡してやれっ」 「そうさせてもらいます。うまく話しておいてもらえて助かりました」  群司は笑いを噛み殺しながら携帯を手に廊下に出た。  玄関先まで移動したところで電話をかけると、すぐに応答した母はじつにあっけらかんとしたものだった。 『まったくもう、こんなんでちゃんと大学卒業できるのかしらね。酔いつぶれて会社の方にご迷惑おかけするなんて情けない』  群司がまだ早乙女の許にいることを伝えると、母は呆れたように文句を言った。  早乙女が機転を利かせてくれたおかげで大ごとにならずに済んだものの、群司の声を聞くまで気が気ではなかったのだろう。母の叱言(こごと)はなかなか止まらない。口にはしないが、大切な長男をあんなかたちで亡くしているのだ。どれほど不安なひと晩を過ごしたかは容易に想像できた。  群司はひたすら謝りつづけ、なんとか機嫌を直してもらったところで夕食はいらないことを伝えて通話を切った。そのタイミングで、坂巻からメッセージが入る。一瞬迷ったものの、ひとまず返信は保留にしてリビングへと戻った。

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