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第17章 第2話(9)

「いま、救急車を手配してもらってるから、それまでここで待機ってことで」  群司と如月に後部座席を勧めた立花は、みずからは助手席におさまりながら「狭くてごめんね」と振り返った。 「あの、兄貴のことはやっぱり如月さんから?」 「うううん、それはまた別ルートから。彼は僕のこと、知らないと思うよ」 「え?」  眼鏡の奥で笑うその目を見ながら、レンズの向こうの歪んだ輪郭に意識が向く。如月と違って、立花は本当に視力矯正のための実用品として眼鏡を装着しているのだな、などとどうでもいいことを思った。 「でも、おなじ麻薬取締官として潜入捜査をされてたんですよね?」 「そう。僕は薬学部卒業後に入省してわりとすぐ、この任務が割り当てられることになってね。一年間びっしり研修を受けたあとに『豊田雅俊』として天城製薬に新卒採用枠で潜りこんだ」  だから実年齢より三年ほどさばを読んじゃってる感じかなと笑う。天城製薬の新薬開発に関するきな臭い噂は、すでに十年前からいろいろと囁かれていたそうである。  老若男女を問わず不審死を遂げる事件が相次ぎ、それらすべてが薬物中毒死。捜査を進めていく中で天城製薬の存在が浮上したものの、やり口が巧妙で、なかなか尻尾を掴めずにいたという。 「僕はちょうど、社内に捜査官を送りこむという方針が定まったタイミングで入省したものだから、運良くというか悪くというか、潜入に最適の人材として大抜擢されてしまってね。気がつけば天城製薬に入社して七年。いつのまにか公務員でいる期間より遙かに長く研究職に従事してて、すっかり普通の会社員の生活に馴染んでしまっていたと」 「如月さんは、天城製薬に入ってまだ二年とか、それぐらいっていう話でしたよね?」 「そう。扱う案件が深刻で大きいだけに、新卒だったり中途採用だったりでバラバラに捜査官が入りこんで任務をこなしてたけど、はじめのころは身内に対してもそれらの情報が開示されることはなかった。万一、会社側に身元がばれた場合にも、他の捜査員の存在が芋づる式に明かされることを防ぐためという名目で」 「じゃあ立花さんも、最初は如月さんのことは知らなかったってことですか?」 「そうだね、知らなかった。いろんな意味で目立つ存在ではあったけど、薬理研究部の研究員という認識しかなかった。でも途中で、組織の方針が変わった」  去年の夏頃の話だという。 「営業部の伊達さん――警視庁の秋川警部の事件をきっかけに、そうせざるを得なくなったんだ」  沈痛な面持ちの立花に、群司はなんと言えばいいのかわからず、無言でその顔を見返した。 「任務の遂行も大事だけれど、なにより捜査官の生命と安全を第一にという信条のもと、捜査官同士で連携を取ることになった」 「ほかにも天城製薬に潜入していた捜査官がいらしたってことですね」  全部で五人いたという立花の答えに、如月ひとりが単独で任務にあたっていたわけではなかったのだとほっとした。

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