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            光に目が慣れてくると、初めに濃紺のカーテンが目についた。次いで、壁に貼られたポスターが目に留まる。ぎょっとするほどリアルな、十字架に吊るされたキリストの絵だ。  よりによって宗教家の人間のところに来たのかと己の不運を嘆いていると、部屋に設置されたベッドの上から呻き声が聞こえてきた。  死が近い人間でもいるのかとベッドに近付こうとしたが、いつの間にか金縛りにでも遭ったように一歩も動けなかった。悪魔が人間を金縛りに遭わせることはあっても、悪魔自身が金縛りに遭うことはあり得ない。  異常事態に焦りを覚えるも、ジングのような下級悪魔には、ジェイマーやディレルのような力は使えない。それならば、せめて原因を探るべく辺りを見回そうとすると、耳元で声がした。 「お前がこの男を苦しめる悪魔か?」  声を聞いた途端、ぞわりと総毛立った。それは、その声が殺気に満ちていたからではなく、清浄過ぎる空気に当てられたからだ。悪魔にとって清浄な空気は毒に等しい。 「っ、ぐ……あっ……」  苦しさのあまり、咄嗟に傍にいたらしい声の主の腕を掴み、しがみつくようにしていた。  すると、その声の主は何を思ってか、そっとジングの背中に手を添えた。さらに、何故だか苦しみを和らげようとするように摩り始めてくる。 「っ、く……お、まえ、何のつもり、だ……」  あらん限りの力を振り絞り、その男の腕を掴んだまま睨む。こうしていないと立っていられなかったためで、決して望んでそうしたわけではない。 「いやあ、ごめんごめん。人違いならぬ悪魔違いだと分かったから、解放してあげるよ」  男は癖のない金髪を掻き上げると、先ほどの空気とは一転して朗らかに笑うと、口笛を吹いた。  その澄み渡った音色に更なる苦痛を予感して顔を顰めたが、思ったような痛みはなかった。それに気が付くと、もっと聞いていたいような気になってくる。  悪魔にあるまじき穏やかな心持で耳をそばだてていると、ふいに音色が止み、男が微笑んだ。 「ほら、もう軽くなったはずだよ」  言われた通り、いつの間にか金縛りが完全に解けていた。さらに、以前よりも体が軽くなったような気がする。  まるで、遥か昔に存在していた魔術師のような芸当に、ジングは思わず素直に感心しかけたが、口をついて出た言葉は疑念だった。 「お前は一体何者なんだ。こんな芸当、普通の人間にはできないだろ」 それは当然の疑問だったが、男は一瞬ぽかんとした後、おかしそうにくすくす笑った。 「何が可笑しい」 「ごめん。君がよほど物を知らないのか、それとも力がない下層の悪魔なのかと思ったら、可笑しくなって」 「なんだと?」  図星を差されて睨んで見せても、男は一向に気にした様子もなく、笑顔のまま芝居がかったお辞儀をした。 「初めまして、悪魔くん。僕はジャックス・クラーク。気楽にジャックとでも呼んで。君は……えっと」 「ああ、俺は……」  なんとなく流れで名乗ろうとしたのだが、それを手で制された。 「読めた。君はジングだ。よろしく、ジン」 「待て。その呼び名は何だ。俺はジングだ」  何故名前を言い当てられたのかなど、ツッコミどころは他にもあったのだが、まずはその呼び方を指摘した。 「え、いいでしょ別に」 「よくねえよ。馴れ馴れしい」 「ええっ、ショックだなあ。君とは仲良くなりたいのに」 「はあ?お前変な奴だな。普通、悪魔と仲良くなりたいとか思うか」  何故か悪魔の自分が人間に常識を諭すという、おかしな図が出来上がっていた。しかし、その状況のおかしさも気にしていないらしいジャックスは、ゆったりとジングの方へ歩みを進めてくる。 「な、んだよ。寄るな」  警戒心を露に後退するが、ジャックスは構わずに近付いて来て、ぐっと顔を寄せた。 「っ……」 「君、たぶん夢魔だよね?なのに何か初心っていうか。出会い頭に僕が押し倒されてもおかしくないのにさ」  伸びてきた手が顎に添えられ、顔を上向かせられる。それを叩き落とそうとすると、今度はその手を掴まれて、あろうことか手の甲に口付けを落とされた。 「っ!?何してるんだお前!」  真っ赤になって慌てると、ジャックスは嬉しそうに頷いた。 「うん、その反応ますますいいね。気に入った。君を僕の傍に置いておきたい。いいよね?」 「い、いいわけないだろ!というか、何でそういうことになるんだ!訳が分からん!」 「ううん?それはね……」  ジャックスはようやくジングから一歩離れると、服の中に隠れていた鎖を掴み、大切そうに大きな十字架を取り出した。 「僕がエクソシストだからだよ。だから、網の中にかかった悪魔をみすみす逃がすわけにはいかないんだ」 「え、くそしすと……?」  ぼんやりとその言葉を口にし、噛みしめながら、どうして早く気付かなかったのかと自分の馬鹿さ加減に苛立つ。  部屋に貼られたポスターを見た時から嫌な予感はしていた。しかし、あれはきっとジャックスの物ではなく、ベッドに横たわって苦しんでいる男の物だ。そして、おそらく今正に悪魔祓いの最中だったのだろう。  その憶測を裏付けるように、ジャックスは溜息を吐きながら言った。 「そうそう。君が出てきたのは計算違いだったけどね。本当は彼を苦しめているもっと大物の悪魔を呼び出すはずだったんだ。この僕が珍しく失敗した。でも、それで良かったかもしれない」 「良かったって……」 「だって、そのお蔭で君と会えた。今までいろんな悪魔に会ってきたけど、君みたいなのは初めてで……って、どこに行こうとしてるのかな?」  ジェイマーにここに飛ばされたのは恐らく何かの手違いで、きっと本当の試練の相手は別にいるのだ。そうと決まれば早々に逃げるに限る。  退散しようと悪魔界への扉を開きかけていると、強い力で腕を掴まれ、後方へ引き戻された。 「何をする。離せ」 「話をちゃんと聞かないで逃げる悪い子には、お仕置きしないとね」 「はあ!?って、ちょっとなにし……んっ」  言うが早いか、ジャックスはジングの襟元を寛げて、現れた首筋に吸い付いた。その途端、肌がカッと熱を帯びて、奇妙な疼きを覚えた。 「な、んだこれっ……ひっ」  離れ際にぺろりと舐められた上に股間を一撫でされて、甲高い声が出る。撫でられて気付いたが、いつの間にか緩く勃ち上がっていた。 「この力を使う時のオプションみたいなものだから、反応しても仕方ないよ。何なら抜くの手伝ってあげようか?」  にやにやしながら手を伸ばされたが、瞬時に叩いて逃れた。 「いらん!それより何をしたんだ」 「その首に手を当ててごらん。何か首輪みたいな物がついているでしょ?」  言われた通りにすると、確かに硬くつるりとした輪が手に触れた。引っ張っても何をしても外れない。 「何だこれは」 「それは僕のものだっていう証」 「ふざけているのか」  睨みつけると、ジャックスは笑った。 「ごめん。君の反応が面白くて。正確に言うと、この世界、つまり人間界に悪魔を繋ぎ止めて、あっちに帰れなくする物だよ。無理に帰ろうとすれば、君は消える。消えたくはないでしょ?」  あまりのことに言葉を失くしていると、ジャックスはそれを肯定と取ったのか、にっこりと笑って続けた。 「君は大人しく僕のものになるんだ」

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