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「へぇ。色々大変だったんだね、千隼」
「そう、色々大変だったんだ。心配かけて悪かったね、ユウ、ハル」
夕陽で紅く染まる廃工場。自分と何より大切な賢人に危害を加える恐れがある邪魔者を排除し、自宅に戻って数日後。千隼は自分で築き上げた小さな王国へ勇吾と悠馬を呼び出した。
呼び出しの理由は彼等に「姿を消したことに対する詫び」と「自分がいなかった間、賢人を守ってくれていたことに対する礼」を言うためだ。それだけの理由で呼び出した。
用事が済んでしまえば、自分がいなかったせいで心身ともに衰弱してしまい、どれだけ「ご褒美」を、甘い蜜を脳と身体に注ぎ込んでも完全に体調が復帰せず、結局入院を余儀なくされてしまった賢人の元へ行くつもりであった。
そのつもりだったのだが――どうも、この二人はそれを許してはくれていないようだ。
理由はなんとなくわかる。だが、わかるが故に、千隼は頭を掻き、目を泳がせた。
「……怒ってるのかい?」
「……当然。千隼は自分がしたことわかってるの? ケンちゃんのことあんなになるまで放置してさぁ……ねぇ、ユウちゃん。ユウちゃんも何か言いなよ」
「俺は、千隼が帰ってきたならそれでいいから」
「千隼の前だと直ぐ良い子ぶる! ケンちゃんには散々酷いこと言っていたくせにさ? 俺、あれ、許してないよ」
「お前だって、賢人の前だとかわい子ぶるくせに」
「はぁ?」
「んだよ?」
「……二人とも、「喧嘩をするのは止めろ」」
千隼の声に、悠馬と勇吾は身を震わせ黙り込んだ。悠馬は恐怖の、勇吾の方は悦楽の表情を口元に浮かべ、静かに千隼の方を見る。黙って利口に自分の命令を聞いた二人に、千隼は静かに一笑した。
「二人とも、「いい子」だ」
身体が震える。慣れない快感に抗おうと、悠馬は自分の腕に爪を立てた。腕の皮が薄く剥けるくらい強く爪先を食い込ませれば、痛みが甘く堕ちそうになっていた脳を引き上げてくれる。
舌打ちをして隣を見れば、勇吾は完全に「やられた」らしく、埃っぽい床に両膝をつき、悲しそうに、嬉しそうに千隼を見上げていた。
「……ケンちゃん以外に命令しないでよ。千隼はケンちゃんだけの「Dom」なんでしょう」
「でも、こうでもしないと、君たちは喧嘩を止めなかっただろう」
悠馬は千隼の言葉に苦笑すると静かに溜息を吐いた。
「まあ、そう言われると、ぐうの音も出ないけどね。もう止めてよ。千隼がケンちゃん以外に命令するのを見ると身を引いたのが惨めに思えてくる……ほら、ユウちゃん、立って」
「どう、して。どうして、千隼、俺じゃダメなの? 俺が、「Sub」じゃないから? 俺がこんな、中途半端な「Sub」じゃなくて、ちゃんとした、完璧な「Sub」だったら、賢人じゃ無くて、俺を選んでくれた?
やっぱり、俺が、ちゃんとしてないから、兄さん達みたいにちゃんと、できてないから、」
「勇吾、「立て」」
悠馬の声に勇吾は嗚咽を漏らしながら立ち上がる。そしてそのまま両手を拡げた悠馬に倒れ込む様にすると、大人しく彼の腕の中に収まった。悠馬はそんな勇吾の頭を優しく撫で、そのまま額へ口付けを落とす。
その様子を、千隼は唯々目を丸くして見つめていた。
「……君たち、」
「そうだよ。負け犬は負け犬同士、傷を舐め合ってるの。でも、揃いに揃って往生際が悪いからさ。チャンスがあれば直ぐに飛びついて行っちゃう。
だからさ、絶対に、もう二度と、ケンちゃんから離れないでよ。いなくなったりしないで。千隼はケンちゃんのことを幸せにしてくれるって信じてるから、俺はケンちゃんに自分の気持ちも、自分が「Switch」だってことも明かさないでいるんだよ。
……千隼がまたこんなことしたら、俺はケンちゃんの首輪無理矢理切って、自分で買ってきた首輪をその首に巻くからね。覚えておいて」
悠馬はGlareと呼ぶにはあまりにも弱い視線を千隼に向ける。その気になれば跳ね返してしまえるはずの威圧に千隼は刃向かうことなく、顔を歪めた。
改めて、自分の罪の重さを感じる。ここで二散発打たれても構わない。そんなことを思っていると、涙でぐちゃぐちゃになった勇吾が小さく千隼の名前を呼んだ。
「……なに、ユウ」
「本当は、俺達、ちゃんと、わかってるんだ。ち、はやは賢人のことしか見えてねぇし、賢人も千隼のことしか考えてねぇって。きっと、俺が「Sub」だったとしても千隼は俺の事選ばねぇし、悠馬が「Dom」だったとしても、賢人は悠馬のことは選ばねぇ。わかってるから、わかってるけど、やっぱり、俺は千隼のことが好き。
好きだから、もう、俺には、俺達には優しくしないでくれ。変な期待させないでくれ。あと、もう、人助けも止めろよ。アンタはもう、賢人だけのヒーローなんだから。「Dom」なんだから。もう、人助けなんてしなくても、賢人かいればそれでアンタは「満足」なんだろ。
今回みたく、急に消えられたら、俺達も困る。もう、心の中ぐちゃぐちゃにされるのはごめんだ。だから、」
だから、と勇吾は黙り込んだ。面を食らって、呆然と立ち尽くす、みっともない恩人に、悠馬は今日何度目かさえももうわからない溜息を吐くと、時計を見た。
「行かなくて良いの? ケンちゃんの病院の面会時間、大丈夫?」
「あ……あぁ、そうだった。ごめん、ごめんね、二人とも。本当に、ごめん」
「もういいよ。あんまり、千隼の惨めな姿見たくないし。反省してるならそれでいいし! ケンちゃんのこと幸せにしてくれるならもっと良いし! ほら、だから、もう、行きなって」
「うん、ありがとう。でも可愛い弟分に「シッシッ」ってされるのはお兄ちゃん地味に傷つくから今度からは止めてね。えぇ……ユウも「シッシッ」ってするの……?」
わかったよ、と切なげに眉を下げ、千隼は工場の出口へと向かった。夕陽を浴びる千隼の姿が眩しくて二人は少し目を細めた。
「ごめん、千隼。最後に一つだけ」
悠馬に呼び止められ千隼は静かに足を止める。悠馬は少しだけ言うのを悩み、意を決したように――いや実際に意を決し、口を開いた。
「変な奴らに絡まれてたって、嘘じゃないんだよね」
「……どういうこと」
「変な奴らに襲われたのも、怪我してたのも嘘で、ケンちゃんが、本当に自分の事を信用しているのか――自分の「Sub」なのか、それを試す目的で行方をくらませて、わざとケンちゃんのことを、放置したんじゃないかってこと」
「おい、悠馬!」
「そうだよ」
間髪入れない千隼の声に空気が一瞬で凍り付いた。悠馬も勇吾も目を見開いたままに静止する。本当は腹の底から湧いてきた怒りをぶつけたいはずなのに、顔がこちらに向いていないのにもかかわらず、痛いほど感じるGlareのせいで怒りは恐怖へ変換されていった。
千隼の行動の意味がわからないわけではない。寧ろ怖いほどにそれを理解できるからこそ、実際にそれをしてしまった事実が恐ろしい。込み上げる恐怖に思わず膝をつきかけた二人に見つめられながら千隼は楽しそうに笑った。
「嘘だよ」
一体、何が。
そんなことを訊けるはずもなく、悠馬は歯を食いしばった。
「……わかったでしょ。ケンちゃんは間違いなく千隼の「Sub」だよ」
「うん。そうだね」
よかった。そう小さく呟いたような気がした。しかし二人ともそのことに言及できずに、出口に向かって歩き出す千隼を唯見つめる。
「ケンが退院したら、みんなでご飯行こうね」
そう言ってこちらを一切見ずに手を振る千隼に、悠馬と勇吾は小さく手を振る。そして、彼の姿が完全に見えなくなると、そのままその場に崩れ落ちた。
声を出さないままに眼から雫が流れる。ふと目が合えば、そのまま二匹の野良犬は何かを求める様に、むなしさと寂しさと恐怖を快楽で上乗せするように唇を重ね合った。
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