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エピローグ

 「今日は来てくれてありがとうね」  だいぶ年季のいった一軒家の玄関を開け、室内へと足を踏み入れる。  昔と変わらない、まるで実家にいるような匂いがする。とはいっても、今年の初めにリフォームをしているから、外観とはそぐわない傷のない綺麗なフローリングや、張り替えた畳の匂いなんかがするので、今感じた匂いはただの雰囲気の問題である。  遠慮なくリビングへと足を進めると、そこにはすでに人が集まっていた。 「あ、随分久しぶりだな!元気にしていたか?」  その中から、背の高い真面目そうな男が話しかけてくる。 「はい、まあ、それなりに」 「ハハハ、どうした?何かあった?」  言葉尻を濁す俺に、その人は快活に笑いながらも、話を聞くよと促してくれる。 「それが、愛香のつわりが酷くて…今も頼子さんとトイレに……」 「ああ、なるほど」  ふむ、とひとつ頷いて、その人、律の兄である優希は力ない笑みをこぼした。 「もう二人目か…俺と違って、愛香は親孝行だなぁ」 「いやいや、優希さんだって十分親孝行じゃないですか。また昇進したって聞きましたよ」 「まあね。でも、たいして給料があがるわけじゃないのに、仕事ばっかり増えてさ。今日だって有給もぎ取るのに先週は残業続きだった」  俺より六つ歳上の優希さんは、大手の証券会社に勤めている。昔から優秀な人で、確かそれを、律はうんざりしたような、でも誇らしいような顔で語っていたっけ。 「君はどう?仕事大変?」 「まあ、ボチボチです」 「そっか。しかしまあ、二人揃って考える事が同じで驚いたよ」 「ハハ、そうですね」  俺は今、とある病院で看護師をしている。律が死んでから色々あって看護学校に入ったのだ。そして、偶然にも同じ学年に、律の妹の愛香がいた。  多分、俺たちは後悔していた。  あの時、もっと何かできる事があったんじゃないかとか、もっと律の気持ちを理解してやることができたんじゃないか、と。  まあ、そんな単純な理由で、今の職についたわけだけど。  そこでまた、色々あったわけで。  あれから十年。  俺には今、愛香との間に二人子どもがいる。  ひとりはまだ愛香のお腹の中。もう一人は、本日三歳の七五三を終えたところだった。  そんな今日は、律の命日でもあった。  だから久しぶりにみんなで集まろうという話になったので、俺はこうして、律の実家にきたのである。 「パパぁ…」  俺の背後に隠れていた娘の結が、ふぁあと小さなあくびをこぼす。朝早くに衣装を着付けてもらったからか、とても眠そうだ。 「結、おじさんたちに挨拶しなさい」  今更か、とは思うが、一応娘を前に押しやる。優希さんとその奥さんがニコニコと結に微笑みかける。だけど結は人見知りで、いつも打ち解けるのに時間がかかる。 「すみません…」 「大丈夫だよ。まだ三歳だもんねぇ」 「人見知りなんて一時的なものよ」  優希さんと優希さんの奥さんには子どもはいない。理由は聞いた事ないけれど、二人ともキャリアだし、忙しいのかもしれない。  その代わりのように、二人は結をとても可愛がってくれるのだが、当の本人がこんな調子だから、いつも申し訳なくなってしまう。  また俺の背後に隠れてしまった結に、俺は苦笑いをこぼした。 「健くん、本当に気にしていないから、君もどうぞ寛いで」  優希さんが気を遣ってくれて、俺はまた少し申し訳なく思いながら、勧められた椅子に腰掛けようとして、そういえばと思い出す。  今日は律の命日だ。先に挨拶してやらないとな。 「俺、先に律の顔見てきます」 「ああ、そうだな。きっと律も結の顔を見たいだろう」  俺は結を連れてリビングの奥の和室へと向かった。  十年も前なんだな、と思うと、なんとなく感慨深い。  大学へ入学して、新しい土地での生活を始めた頃、俺は律と出逢った。  同じ学部で殆どの講義が被っていて、いつの間にかよく話すようになって。  いつもどこかつまらなそうなヤツだなと思っていた。日々惰性で生きているという点で、俺と似ているなとも思った。  だけど時々、とても良い顔で笑うのだ。  そこに惹かれた。  俺はクズな人間で、その頃はホント、バカみたいに遊びまくっていた。だからその延長線上で誘ってみたら、最後の最後で拒否られた。  あれはあれで良い思い出だ。その頃俺が抱いていた自信をへし折ってくれたのだ。  だからというか、余計に律を好きになった。どうしてそんなに好きなんだと自分でも訳がわからなかったけど、多分律もそれをわかっていて、俺には応えてくれなかったんだと思う。  俺と律は似ている。漠然とそう思っていた。  でも実際は、律は俺よりスゴいヤツだった。  病気になってからの律は、きっと俺にはわからない葛藤や恐怖、悲嘆を抱えていただろう。それでも懸命に生きていた。こんな事を言うのは失礼かもしれないけれど、病気になってからの方が生き生きとしていたかもしれない。  それが眩しくて、眩しくて。  太陽のような律の生き様に当てられた俺は、なんだかんだで看護師なんかになって。  感謝している。  今の俺がいるのは、律のおかげなんだよ。  愛香という最愛の人に出会えたのも律のおかげだよ。  あんなに遊んでいた俺なのにさ、真面目に働いて、子ども養ってるんだよ。  律が死んだ日、夢を見たんだ。  お前にコンコンと説教される夢だった。  部屋を片付けろだの、遊びすぎんなだの、講義は真面目に聞けだの。  それでお前は死んだんだなぁと理解したけど、それにしたって説教はひどい。もっと他に言う事があったんじゃないか。俺はいい友人だっただろ?  十年か。  まだ死んだ事が嘘のように思える時がある。  お前はきっと、どこかで、自由になった体で、俺たちのそばにいるような気がする時がある。  まあ、気のせいなんだろうけど。むしろさっさと成仏してくれ。  なんて思いながら、仏壇に線香をあげるわけだ。  最後に見た律は信じられないほど痩せ細っていたのに、写真の中のお前はどうしてこんなに元気そうなんだ。 「健くん、そろそろ食事にしよう。結の好きなもの、たくさん買ってきたからね」  手を合わせて物思いに耽っていると、律の父親の正行さんがやって来て言った。 「はい、今行きます」  結が食べ物の良い匂いに釣られたかのように、和室を飛び出していく。俺もその後に続いてリビングに戻った。  リビングでは、正行さんの言う通り、これでもかと豪華な食事が並んでいた。出来合いのもと手作りのものが半々。  結は愛香の隣にちょこんと座り、すでに好物のポテトサラダを食べている。 「そういや律もポテトサラダ好きだったよな」  優希さんのひとことで、そこから律の思い出話に花が咲く。  律が死んでからしばらくは、誰も触れないようにしていたけれど、十年もたてばそんなこともなくなって。  今では共通の話題として、律のことを話しながら食事をすることも多い。  あいつが聞いていたら、顔を真っ赤にして怒りそうな話題が続いたあと、ふと気付くと結の姿がなかった。  食事に飽きて、和室にでも行ったのだろう。そこには頼子さんと正行さんが孫のためにと買ったおもちゃがたくさんあるから。 「それにしても、結ももう三歳なのね。お腹の子は、女の子?男の子?」  頼子さんが笑顔で愛香の大きなお腹を撫でる。愛香はまだ青い顔をしているけれど、愛おしそうに表情を緩めて答えた。 「男の子よ。優兄みたいな優秀な子になって欲しいなぁ」 「まるで律みたいになるなって言ってるみたいだろ」  俺が笑ってそう言うと、愛香は俺の膝を叩いた。 「違うわよ!健くんみたいになったら嫌だって思ったの!!」 「えっ!?」  酷い!と傷付いた顔をして見せる。みんなが声を出して笑った。  この暖かい空間を、俺にくれた律に感謝しなければな、としみじみ思っていると、和室から結が顔を出した。 「結?どうした?」  結は時間が経って慣れてきたのか、笑顔を浮かべている。 「あのね、パパ」 「ん?」  みんなが結の方を見た。 「お兄ちゃんがね、おめでとうって言ってって」 「え?」  何の話だと結を見れば、なんだか嬉しそうに笑っている。 「あとね、ありさわはバカだけどいいやつなんだって」 「結…?」 「おはなしいっぱいしてくれたの。それでね、これ、くれたの」  結がとてとてと歩いて、俺と愛香の間に座る。その手には、可愛らしいフォルムの狐のキーホルダーがあった。 「お守りに、くれたの。さっき、あっちのへやで」  思わず立ち上がった俺は、慌てて和室へと飛び込んだ。  そこに律のいた痕跡は、もうない。ただ仏壇に、写真があるだけだ。 「しゃしんのお兄ちゃん、パパのおともだち?」  律はやっぱり、俺たちのそばにいる。見守ってくれているようだ。  俺は結に視線を合わせるように膝をついた。そして、小さくて暖かい体を抱きしめる。 「あのお兄ちゃんはな、ママのお兄ちゃんで、パパの一番の友達なんだよ。きっと結のことが可愛くて、会いにきてくれたんだな」  涙が出そうだった。でも、子どもの前で、無様に泣いてやるものかと、変なプライドが邪魔をして。  代わりに俺は言ってやった。 「なんだよ、律のヤツ。俺にも顔見せろっての」  今でも思い出せる。  律の顔を。笑った時の、花火のような明るい笑顔を。  家族にも、律みたいに笑っていて欲しい。  だから俺は頑張ってんだよ。律に言われなくたって、頑張ってんだよ。  お前の代わりにはなれないけれど、俺はお前の大事にしていたこの家の人を、お前の分まで守るよ。幸せにするよ。  だから、律もどうか、幸せでいてくれよ。  完

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