1 / 2
再会は痛みとともに
いつからか、人と関わるのが嫌いになった。
友達でも知り合いでもない人間に理由もわからず好かれる事に苦痛を感じるようになった。
人を好きになるのも苦手だった。
好きになっても、好かれても、いつか気持ちは変わる。
自分はまだ相手の事を好きなのに、相手に自分への気持ちがなくなる事を考えると怖くて人を好きになれない。
好きになったり好かれて悩んだり苦しむより、嫌われるほうが楽だと気付いた。
自分を嫌っている相手を好きになる事もないし、そんな相手の気持ちを気遣う必要もないから気楽だ。
人付き合いは苦手だし、他人を気遣うのも疲れるから。
だけど思うようにいかない。
僕の容姿は人目を惹くらしく、加えて異性よりも同性を引きつけるらしかった。
話した事もない同級生や名前も知らない後輩から呼び出されては告白され、その度にわざと酷い言葉を投げつけて振った。
嫌われるように仕向けて。
そのお陰か、高校を卒業する頃には誰も話しかけてこなくなった。
ただ1人の後輩を除いては。
1年下の、佐々木広喜(ささきひろき)という男。
同性の僕から見ても、見た目も中身も完璧に近い男だったと思う。
性格は真面目で誠実で非の打ち所がないくらい良かったし、頭も良かったし運動神経も抜群だったから、女子が放っておかなかった。
それなのに佐々木はそんな女子を差し置いて僕を好きだと言った。
何度振っても、諦めずに付きまとって来ていた。
佐々木の真っ直ぐな眼差しに見つめられるのが嫌で、そんな佐々木に好かれている事が苦しくて、他の誰よりも酷い言葉で振ったのに。
僕は臆病でちっぽけな、つまらない人間だ。
佐々木みたいな見た目も性格も良い奴に好かれるような大層な人間じゃない。
苦しくて仕方なかった。
そんな佐々木とも大学を卒業してからは全く会わなくなった。
同じ大学に進学して来た佐々木は大学でも時々僕に絡んで来ていたが、高校時代の同級生が色々と噂を振りまいてくれたおかげで佐々木以外誰も僕には近付いて来なかった。
だから大学生活はそれなりに孤独で、充実していたと思う。
社会人になってからは、流石に嫌われるような言動をする訳にもいかず、慣れない営業スマイルで上辺だけの付き合いをする日々だった。
好きでもない相手から、しかも同性からの秋波を気付かない振りをしてスルーするのにも精神的に疲れる。
かといって高校時代や大学時代のように、態度に出す訳にもいかない。
社会人は上辺だけの付き合いを必要とするから苦痛だ。
佐々木と再会したのは社会人になって2年が過ぎた頃だった。
商談の為に取引会社の人間とホテルのロビーで待ち合わせをした。
そこへ現れたのが佐々木だった。
最初、僕はその男が佐々木だとは全く気付かなかった。
「もしかして、西野さんですか?」
そう訊かれて、初めて男の顔を見た。
長身で、スーツの上からでもわかる引き締まった体。
柔らかい表情の顔に、高校時代から変わらない真っ直ぐな眼差し。
「⋯⋯佐々木?」
僕が問うと、佐々木は嬉しそうにうなずいた。
「こんな所で会うなんて思っても見ませんでしたよ」
佐々木は懐かしそうに言う。
高校時代と大学時代、僕が彼にした仕打ちを考えるとどう見ても不自然な態度だ。
どうしてこんなに懐かしそうに話せるんだろう。
正直言って僕は戸惑いを隠せなかった。
僕は彼にとって一番会いたくない相手の筈なのに。
「僕も驚いたよ」
まさか商談の相手が、佐々木だなんて。
「久しぶりの再会を祝して、この商談が済んだら飲みに行きませんか?金曜日のこんな時間に商談て事は、終われば直帰ですよね」
佐々木は腕時計を見ながらそう言った。
今の時間は午後5時過ぎ。
商談が成立すれば帰宅だった。
そう、商談が成立すればだ。
成立するかどうかは、全て目の前の佐々木次第だ。
佐々木がこの商談を断れば、僕は直帰できず会社に戻り、上司にどやされる。
どういう考えがあって佐々木が飲みに誘って来るのか、僕にはわからなかった。
高校時代にあれだけ酷く振ったこの僕と再会して、それを懐かしむ事ができるほど佐々木は大人になったと言う事なのか。
困惑しながらも、仕方なく了解した。
「それじゃ、ここで始めましょうか」
佐々木はそう言うと、テーブルに書類を出した。
僕も鞄から書類や資料を出し、説明を始める。
商談は無事成立した。
僕は上司に電話し、直帰する事を伝える。
そして佐々木に誘われてそのまま近くのレストランへ向かった。
佐々木の奢りで夕食を摂ったあと、今度は佐々木が行きつけだというバーへ行く。
食事の間も移動中も、佐々木は高校時代の事を話そうとはしなかった。
大学を出てから今の会社に就職した事や、その後の近況など他愛もない雑談ばかり。
僕は淡々と近況を語る佐々木の顔を見るたび、胸が締めつけられるように痛んだ。
決して、佐々木が嫌いで振った訳じゃない。
同性だから嫌悪した訳でもない。
むしろ好きだった。
真面目で真っ直ぐな佐々木が。
だけどそれがかえって、僕には重くて苦しかった。僕は佐々木に好かれるような人間じゃない。
そして、ただ嫌われたいがために心にもない言葉で傷つけてしまった。
今更ながら、罪悪感に苛まれている。
だけど佐々木はそんな僕と再会して嬉しそうな顔をしていた。
あんな酷い振り方をした僕との再会を、懐かしむ事ができるほど傷は癒えたのだろうか。
佐々木に勧められるままに飲んでいたが、段々と意識が朦朧として来た。
思った以上にアルコールがまわったらしい。
「大丈夫ですか?」
佐々木が訊いてくる。
僕はうなずいた。
「大丈夫だよ。タクシー呼んで帰るから」
そしてそう答えて席を立つ。
佐々木も立ち上がった。
よろける僕の肩を支えてくれる。
帰る前に、昔の事を謝っておきたかった。
「佐々木、あの⋯⋯」
「相当酔ってますね。俺のマンションこの近くなんで寄ってってください。何なら泊まってもかまいませんよ」
僕が話を切り出そうとするのを止めて、佐々木が言った。
「いや、タクシー呼ぶから大丈夫だよ。それよりも⋯⋯」
「大丈夫じゃないですよ。それに俺、まだ西野さんに用があるから」
どうしてもタクシーで帰りたがる僕の言葉を遮って、佐々木は僕を見る。
高校時代と少しも変わらない真っ直ぐな瞳は、暗い光りを滲ませていた。
僕はそれを見て思わず背筋に悪寒が走る。
何か、得体の知れない恐怖を感じた。
佐々木が何を考えているのか、全く想像もつかない。
それが恐怖を煽っている。
「用って⋯⋯?」
僕は首を傾げて佐々木を見た。
「大事な用事なんです。だから俺のマンションに来てください」
佐々木は僕を真っ直ぐな眼差しで見つめる。
胸が痛かった。
締めつけられるように苦しい。
佐々木のマンションに行って、高校時代の事を謝って、帰ろう。
謝ればきっと、胸の痛みも苦しみもなくなる筈だ。
そう思っていた。
佐々木のマンションはバーから歩いて10分程度の距離にあった。
独身のサラリーマンが住むのには丁度いい広さだった。
案内された佐々木の部屋は、綺麗に片付けられていた。
リビングに通され、ソファに腰掛ける。
座って待っていると、氷水の入ったコップが差し出された。
「どうぞ」
「ああ、どうも」
僕はそのコップを受け取ると、その水を飲んだ。
冷たい水がアルコールで火照った体を冷やしてくれる。
思った以上に酔ってしまっていたらしい。
歩くのもままならなかったのが、座っている事すら困難になってきている。
それに、佐々木は一体、僕にどんな用があるんだろう。
やっぱり高校時代の事を恨んでいて、その仕返しをするつもりなんだろうか。
僕は恐怖に震えて佐々木を見た。
穏やかな表情とは裏腹に、どことなく狂気をおびた眼差しが僕を見つめている。
そしてその顔に薄い笑みを浮かべると、僕に近付いて来た。
「佐々木⋯⋯?」
「西野さん、高校時代の事とか、覚えてます?」
「覚えてるよ。あの頃の事は悪かったと思ってる」
うなずきながら、気付いていた。
やはり佐々木は僕を許した訳じゃなかったんだと。
傷が癒えた訳ではなかったんだと。
「へえ?反省してるんですか?女王のあなたが、反省?」
佐々木は冷たい声で言うと、僕の背広に手をかける。
背広はゆっくりと脱がされた。
高校時代、陰で女王と呼ばれていたのは知っていた。
あの頃の僕の印象は確かにそんな感じだったと思う。
人に嫌われようとする態度が、人を見下しているように見えたのだろう。
だけどそれは。
「あの頃は、誰とも関わりたくなかったんだ。だから誰に対しても、心にもない酷い事を言って嫌われようとしていた」
「心にもない事?よくそんな事が言えますね」
僕の言葉なんて全く信じていない様子で、佐々木は僕のネクタイに手をかける。
「本気で言ってたように見えたなら、僕は演技が上手いって事だよ」
僕は自嘲気味につぶやいた。
嫌われるためだったらどんな嘘でもついていた。
どんな態度が一番嫌われるかもわかっていた。
僕は嫌われるために「女王」を演じていたんだ。
「そんな事でごまかされるとでも思ってるんですか?俺はあなたを、殺してやりたいと思ってましたよ。それでも大学を出てあなたと会わなくなってからはそんな事すっかり忘れていた。今日あなたと再会するまではね」
佐々木は唇の端を曲げて笑みを浮かべた。
僕のワイシャツのボタンを外していく。
もう何をされるのか想像はついていた。
覚悟もできていた。
僕を強姦して佐々木の気が収まるならそれでいいと思った。
そうされても仕方ないような酷い事を、僕は彼にしていたんだから。
「真面目な気持ちであなたに告白したのに、あなたの言葉は」
佐々木はそう言って僕を睨む。
「気持ち悪い。消えろ。変態。だったっけ⋯⋯」
僕は笑いながらそう言って佐々木を見た。
佐々木が目を見開く。
その顔が怒りに歪んだ。
乱暴に僕のベルトを緩めると、スラックスを下着ごと引き下ろす。
下半身が露になって、僕は目を伏せた。
何をされるかわかっていても、わかっているからこそ、恐怖で体が震える。
だけど抵抗はしなかった。
乱暴に口付けられる。
体の中心は佐々木の手で性急に快感を引き出され、すぐに果てた。
そして、濡れた指が後ろの蕾に当てられる。
指が侵入してきて、体がびくんと反応した。
「あ、あっ」
指の動きに思わず声が漏れる。
佐々木の顔を見るのが怖くて、目を閉じた。
彼は今どんな気持ちで僕を犯そうとしているんだろう。
「ぅあ」
指の数が増やされた時、圧迫感を感じて苦痛の呻きが漏れた。
佐々木の指は僕の内部で蠢いている。
もう片方の手は僕の体を這い回っていた。
やがて指が引き抜かれ、佐々木の熱く硬い欲望が僕を貫く。
こちらに快楽を与える気のない動きに体が硬直した。
佐々木はそんな僕などお構い無しに腰を打ち付けてくる。
「うっ、あ、ああっ」
声を抑える余裕をなくした僕は、苦痛の呻き声を漏らしていた。
ただこの行為が早く終わる事を願うだけだ。
体が揺さぶられるたびに激痛が襲う。
このまま死んでしまうかと思った。
だけど、それでもいいと思っていた。
これまでろくな人間を演じてきていないのだから、こんな最後でも仕方ないと思った。
やがて佐々木は僕の中に欲望を放って、僕の中から出ていく。
「どうして⋯⋯っ」
佐々木が苦しげな眼差しで僕を見つめた。
僕は奥がずきずきと痛むのを堪えて体を起こす。
しかし、思った以上にアルコールが回っているのか体に力が入らなかった。
「どうして抵抗しなかったんですか」
まるで抵抗してほしかったような言い方で佐々木が僕を見る。
抵抗したらやめるつもりだったんだろうか。
「⋯⋯さあ、どうしてだろう」
「どうして?俺の事、大嫌いなんでしょう?あんな酷い言葉で振るくらい、俺の事⋯⋯」
「子供の頃から僕は人見知りが激しくてコミュ障で⋯⋯特にあの頃は、人を好きになるのが怖かった。それと同じくらい、人に好かれるのも怖かった。だから誰からも嫌われたくて、誰も好きになりたくなくて、誰に対しても酷い言葉を投げつけてた。嫌われる事で臆病な自分を守っていたんだ」
僕は静かにそう言って佐々木を見る。
苦しそうな眼差しが見返してきた。
「許せなかった。俺がどんなに傷ついたってあなたは涼しい顔をしていて。いつか必ず復讐してやろうと思ってました」
泣きそうな声で佐々木は言う。
その方法が強姦て訳か。
「僕は自分を守るために色んな人を傷つけて生きて来た。大袈裟かも知れないけど、殺されたって仕方ないと思ってる」
「⋯⋯殺してやりたかった」
「殺してくれてもかまわないよ。そうすれば、これ以上僕に傷つけられる人間が出なくて済むだろう。だけど、これだけはわかってほしい。僕は、佐々木、君の事はずっと好きだったよ。今でも、やっぱり好きだと思う」
僕は佐々木を見つめた。
佐々木は驚きに目を丸くする。
「そんな⋯⋯だって!」
「人を好きになって、傷つくのが怖かった。だから誰からも嫌われようとしていた。佐々木を好きになったらやばいって思ったんだ。佐々木以外、何も見えなくなるくらい好きになってしまうだろうってわかったから。そうなったら、いつか佐々木が僕の傍を離れた時、生きて行けなくなるって思った。それが怖くて、ずっと佐々木を振り続けてた」
僕が静かに話すのを、佐々木はじっと聞いていた。
2人共裸同然の格好で、それは何とも間抜けな光景ではあったけど。
「僕は臆病者なんだよ。好きになって傷つくくらいなら、最初から嫌われたほうが気が楽なんだって、全てのものから逃げてた。だから佐々木にも酷い言葉を投げつけてた」
「西野さん⋯⋯」
「女王の皮を剥いだら、ただの臆病者だったってやつ。前より嫌いになっただろう?」
「俺、一度もあなたの事を嫌いだなんて思った事ないです」
僕の言葉に、意外にも佐々木は真っ直ぐな眼差しを返してきた。
「え?」
「好きで好きで仕方なかったから。だけどあなたは俺を嫌ってるって思ってたから悔しくて、それでもあなたを好きな自分が嫌で。今日、再会してやっぱりあなたが好きだったって自覚して。強姦してでも思いを遂げてやろうって。俺が今でもあなたをどれだけ好きで、どれだけ苦しんでいるか、体に刻み込んでやろうって思ったんです」
「佐々木⋯⋯」
「強姦した事は謝ります。しつこいかも知れませんけど、もう一度告白させてください。俺、あなたの事が真面目に好きなんです」
佐々木は、高校時代僕に何度も繰り返した言葉を再び言ってきた。
高校時代と変わらぬ真っ直ぐな眼差しで。
「こんな卑怯で臆病な男を、未だに好きなんだ?」
僕はおかしそうに笑みを浮かべて佐々木を見つめた。
佐々木は僕のどこがそんなに好きなんだろう。
どう考えたって好かれる要素なんてないのに。
「そりゃもう、強姦したくなるくらい」
佐々木はそう答えて僕を睨む。
だけどその瞳に暗い光はなかった。
高校時代と同じ、真っ直ぐな眼差し。
「趣味、悪いね。こんな見た目も貧相な臆病者を好きだなんて」
僕はそう言って笑った。
「言っておきますけど俺、自他共に認める面食いですよ。綺麗な顔にしか興味ありません」
佐々木も笑う。
「僕の顔が綺麗だって?」
「今まで出会ったどんな人よりも綺麗です。俺と付き合ってもらえませんか?」
「⋯⋯いいよ。一生かけて、傷つけた罪を償うよ。だけど僕と一生かけて付き合う覚悟ある?歳を取ったら顔なんてしわくちゃだよ?」
僕は笑いながら佐々木を見た。
佐々木は何も言わず、僕を抱きしめてくる。
今度は優しく僕に口付けを落とした。
熱を持った舌が僕の口内をゆっくりと犯す。
僕はその感覚に身をゆだねて目を閉じていた。
長いキスの後、佐々木は唇を離して僕を見つめる。
「しわくちゃな西野さんも愛する自信ありますよ。死んでも離しませんから、覚悟してくださいね」
そして佐々木はそう言うと、再び僕を抱き締めた。
「ふふっ。佐々木も覚悟しておいてね」
佐々木の腕の中で、僕はうっすら笑みを浮かべた。
もう、胸の痛みはなくなっていた。
終。
ともだちにシェアしよう!