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第1話-1
「ナルちゃん、こんな所で寝たら風邪ひくよ?」
俺はナルちゃんを飼っている。
この子は昔実家の神社で兄貴と一緒に拾った子。
拾った当時から姿形が変わらないから、きっと人間ではないんだろう。
俺はナルちゃんを抱っこしてベッドに連れていく。
熟睡しているみたいにスースー寝息を立てて可愛い。
ベッドに降ろして布団をかけてあげる。
「ナルちゃん、お休み」
俺の実家は都内の山奥の神社で、昔からちょっとしたトラブルを対処してきた。
俺の兄貴が今は神主をしている。
俺は次男だから、自由に出来るかと思いきや…
トラブル対処の末端として働かされている。
もうすぐ30歳にもなるのに、未だに結婚も出来ず、俺の傍にはナルちゃんがいる。
仕事仲間とナルちゃん…それくらいしか人?と接していない。
一応、俺の許嫁が実家で帰りを待っていてくれるが、ナルちゃんがいる限り結婚は難しいだろう。
「圭ちゃん?一緒に寝てよ…」
微睡んだ目で俺に手を伸ばすから、声を掛けてやる。
「はいはい、今行くよ。」
枕もとの明かりをつけてから室内の電気を消して、ナルちゃんの隣に寝る。
「抱っこして…」
「じゃあ、もっとこっちに来て」
俺がそう言うとナルちゃんは体をゴソゴソと動かして俺にピッタリくっついた。
「ナルちゃん、お休み」
「ん~」
ふわふわの髪の毛の匂いを嗅いで寝る。
兄貴はナルちゃんを天使だと言った。
親父はナルちゃんを神様の使いだと言った。
許嫁はナルちゃんを悪魔だと言った。
正体不明のナルちゃんは何故か俺に懐き、片時も離れず一緒に居る。
許嫁の日菜子は俺の彼女だったけど、ナルちゃんを拾ってからはセックスするのも一苦労で、彼女はナルちゃんを嫌ってる。
無理やり檻に入れようものならナルちゃんは凄まじい力を発揮するので、誰も何も出来ない…無敵状態なのだ。
そんなのに懐かれて、俺は仕事をこなさなければならない…
眠るナルちゃんのほっぺを触る。
プニプニして可愛い。
白い肌のナルちゃんはふわふわの癖っ毛。頭に角の様な小さな突起がある。
奥二重の可愛い目は怒ると怖くなるけど、普段はトロンとして可愛い。
人間だと、若くて16歳。いってて20歳くらいの見た目で、身長だって172㎝と高い。
手足が細くて、しなやかで、綺麗なんだ。
見た目は美しくて可愛いナルちゃん…。
でも、中身が…凶暴な赤ちゃんだ。
抱っこしてる手が気に入らないのか、ナルちゃんが唸った。
怖い怖い…
唸るから“うなるちゃん”と呼ばれていたが、略称されて“ナルちゃん”だ。
「圭ちゃん、圭ちゃん、お腹空いた。」
「ん、今起きる…」
ナルちゃんは早起きだ。
俺は眠い体を無理やり起こしてベッドに座る。
俺の膝の上に乗るとスリスリ顔を擦り付けて甘えてくる。
「圭ちゃん、お腹空いた~!」
俺はナルちゃんをそのまま抱っこして持ち上げてリビングに連れていく。
「ナルちゃん、おはよう」
「文ちゃん、おはよう。お腹空いた。」
ここに住んでるのは俺とナルちゃんだけではない。
うちの神社に回ってくるトラブル対応専門集団が住んでる宿舎だ。
俺はナルちゃんと共有の部屋で、後3人。ここに住んでる。
朝ごはんは当番制で、今日は文ちゃんこと、文二 が担当のようだ。
「ナルちゃん、降ろすよ?」
「ん~、圭ちゃんチュウして?」
可愛い…
俺はナルちゃんにチュッとすると頭をなでなでした。
「圭吾 がナルちゃんに悪戯する…」
そう言って俺の背中を叩いたのは紅一点の新子 。今年24歳。彼氏なしだ。
「ナルちゃん、可愛い…ニイちゃんのとこにおいで~」
「ニイちゃん!好き~」
新子が優しくて好きなナルちゃんが抱きついて頬ずりしてる…。
それを彼女はウハウハした目で感極まるのだ。
ナルちゃんは見た目、美少年だ。
24歳の彼氏なしの新子は、ありとあらゆる妄想をナルちゃんにぶつけている。
俺よりも彼女の方がよっぽど危険だ。
「欽史 は?」
新子がまだ起きてこない欽史を探しながら箸をテーブルに置いていく。
「ナルちゃん、欽史起こしてきてよ。」
「ん~」
そう言って欽史の部屋に向かうナルちゃんの後を追った。
「欽ちゃん、起きて~」
扉を開けてベッドに向かうと布団に乗って笑ってる…。
どうやら欽史を跨いだようで暴れる欽史がまるでロデオの牛の様だ。
「ナル!やめろ。振り落とすぞ!」
欽史は所謂ツンデレだ。
そんな強い言葉を言っても、ナルちゃんが落ちないように支えてる手が愛しいよ…
「欽ちゃん、起きないと眼鏡潰しちゃうから!」
それはまずいだろう…乱視だから…
俺はナルちゃんの傍に行って言った。
「ナルちゃん、物を壊すのはダメ」
「ん、は~い」
可愛いかよ…
ちょっとふてくされて言うナルちゃん。
この子モデルにしたら稼げそうなんだよな…。
ナルちゃんに跨れた欽史がまんざらでも無さそうに下からナルちゃんを見ている。
「欽史はツンデレだ。ナルちゃん大好きっこだ。」
俺がそう言うと、むくりと起き上がった。
「そんなんじゃない、勘違いするな」
ツンデレのクールな欽史。
起き上がった欽史に向かい合う様に跨るナルちゃんが眼鏡をかけてあげる。
「欽ちゃん、見える?」
「ん…」
「ナルちゃんおいで」
嫉妬じゃない。
俺はナルちゃんを抱っこしてリビングに戻った。
「お腹空いた…納豆食べたい。」
みんなで食卓に着いて、ご飯を食べる。
一応みんな神社職員だから、朝起きる時間はちゃんと規則正しくしている。
遅れて欽史がテーブルに着く。
いただきますをする前にナルちゃんが納豆を開けたけど、みんな怖いから何も言わない。こうやって甘やかされるから、ダメになっていくんだ。
「ナルちゃん、いただきますしてから」
「…うう、いただきます…」
お利口に、ちゃんという事も聞けるナルちゃん。
でも、俺の言う事しか聞かない。
なんてったって気に入られてるからな。
驚異のパワーを持った俺はある意味無敵なんだ。
例えば、ナルちゃん!あれ、やっつけて!と頼むと、一瞬でやっつけてくれる。
ボッて燃えたり、シュッと消えたり…
様々な超自然的な方法で、ナルちゃんは俺を助けてくれる。
今の生業になってる事では、それがとても重要なんだ。
「ご馳走様~」
新子はあっという間にご飯を食べると洗面に向かった。
立ち去り際にナルちゃんの納豆を見てうげっ!という顔をしていった…
ナルちゃんの納豆を練るの…いつも注意してるのに…
面白がって治らない悪い事の一つだ。
箸を平行に持って優しく優しく練っていく。
ナルちゃんが言うにはテレビでこうやっていたのを見たらしいが…
なんか、汚いっていうか…いつまでもやってて飯がまずくなると言うか…
「もうやめなよ、ナルちゃん…」
「お前がこの前納豆の箸を買ってやらなかったからいけないんだよ」
ツンデレの欽史が買ってやればいいじゃないか!変態め!
「見て~?欽ちゃん、ネバネバ~?エッチだね?」
語尾は新子が最近教えた。
「な、何がエッチなんだ!!」
反応しすぎだよ…全く。
「もう食べちゃいなよ。ほら、ナルちゃんあ~んして」
俺はナルちゃんの手から納豆を取ると口に流して入れた。
「あふふふふ!!」
口に沢山納豆が入ると嬉しそうに糸を引いて笑うから、変態の欽史が興奮する。
「あっ!そんなに入れたら!あぁ!あ、糸が…あっ!あぁ…!」
絶対こいつ、ナルちゃんを眼鏡の奥で性的な目で見てるよ。
「ナルちゃん、卵焼き食べてね?」
文二が言うとナルちゃんは、は~い。と糸を引かせながら返事した。
先に洗面に行った新子が化粧を施して帰ってくる。
「ニイちゃん、可愛い!」
ナルちゃんはこういう所、抜け目ない…
「ナルちゃんのおちんちん、触らせて」
言っておこう、ここは神社の職員の宿舎だ。
決して隠語パブではない。
「ナルちゃんのおちんちんは圭ちゃんしかさわれないよ?」
誤解を招くだろ…それは誤解を招くだろ…
「ナルちゃん、ご馳走様して、片付けるから」
そう、今日は俺が片付け当番の日だ…
さっさと片付けて打ち合わせを済ませたい…
今日抱える案件だって、どうせまたナルちゃんの瞬殺だ。
俺達にはナルちゃんという武器がある。
怖いものなしだ。
「都内の住宅。家族からの相談で、引きこもりの息子の様子がおかしいと連絡あり。2年前から引きこもり始めた長男は、引きこもる前“誰かが見てる”など口走り、おどおどしたかと思えば、笑い始めるなどの奇行を繰り返して、今現在は部屋に閉じこもって生活しているとのこと。」
俺は兄貴から受け取った書類に目を通してみんなに話す。
「統合失調症の診断は?」
欽史が眼鏡を拭きながら聞いて来る。
「いや、まず外出できる状態じゃないようだ。」
突然何かのきっかけで、今まで普通に生活していた人が統合失調症になる症例もある。俺達の扱う案件はこういう症例によく似た症状を表すから、精査は慎重に行う必要があるんだ。まずは、お宅訪問するしかない…か。
「ナルちゃん、8時には家を出るよ。」
俺の部屋に戻って寛いでるナルちゃんに声を掛ける。
ベッドの上でうつ伏せになって、足をバタバタさせながらヘッドフォンを付けてる。
聞こえていない様子なので近くに言って声を掛ける。
「ナルちゃん?」
「圭ちゃん」
ヘッドフォンをずらしてこちらを見上げるナルちゃんは普通の美少年に見える。
「8時には家を出るよ。支度出来る?」
「ん~」
そう言ってヘッドフォンを戻すとクタッと寝転がって俺を見上げる。
ぼんやりした口が半開きになってエロい。
パジャマの半ズボンから見える細い足がエロい…。
「着替える。」
そう言って俺に足を出して“脱がせろ”とする。
「全く、ナルちゃん、自分で着替えなよ…」
そう言ってナルちゃんの洋服箪笥をあさる。
新子の趣味により、ナルちゃんの普段着は流行り物の宝庫でいつもお洒落になる。
まるでモデル並みの衣装持ちだ…
「ほら、脱いで!」
俺がそう言うとナルちゃんは寝転がったままベッドの上で服を脱ぐ。
いちいちいやらしいんだよな…。
伝えておこう、俺は日菜子を愛していると。
しかし、ナルちゃんのトロんとした目と、細くて女の様な肉付きの体が欲情させるのだ。
「うふふ、こしょぐったい…」
ズボンを履かせる俺の手が太ももに触れて体を捩らせて笑う。
柔らかい、すべすべ、可愛い…。
「ほら、お尻上げて?」
俺がそう言うと、よっとお尻を上げてズボンを履く。
チャックを閉めるこの猥褻さよ…
「圭吾がナルちゃんに悪戯してる。」
後ろから新子がまた言った。
うるさい、オレにはこれくらいの楽しみがあっても良いじゃないか。
「ナルちゃん、上も脱いで。」
ズボンを履かせて、上を脱いでもらう。
白くて滑らかな肌と、柔らかそうな腰の肉付き…ちっぱいの女の子みたいで興奮する。
「寒い」
はいはい。
俺はスケベな目でいったん眺めてナルちゃんに服を着せる。
「ナルちゃん、ボタン閉められる様になった?」
俺が聞いてもヘッドフォンのせいで聞こえないのかぼんやりとあっちの方向を見てる。
聞こえないのを良い事に、間近でナルちゃんの乳首を見ながらシャツのボタンを閉める。舐めたいな…。
「圭ちゃんがナルちゃんのおっぱい見てるの…エッチだね」
俺の顔をじっと見ながらナルちゃんが言った。
的確だな。
「はい、着替え終わり。」
「わ~い」
そう言ってまたベッドに寝転がって音楽を聴く。
ナルちゃんは音が好きみたいで、ヘッドフォンを付けて過ごしてることが多い。
文二は音よりも周波数を感じてるんじゃないかって言っていた。
ぼんやりした彼の表情は、確かに音楽を聴いてると言うよりも恍惚としていて、揺れる周波数を体で感じていると思う方がしっくりきた。
「圭吾、準備出来たよ。」
みんなが機材を準備する間、俺は寝転がってぼんやりするナルちゃんを見てる。
「ナルちゃん、行くよ?」
そう言って彼を持ち上げて、俺の機材ナルちゃんを運んで車に乗せる。
ワンボックスカーを文二が運転して、機材と新子、欽史を運ぶ。
俺は別の車でナルちゃんと一緒に文二の車の後ろを追いかけていく。
「あの人は死にそう。あの人は悪い人。あの人は今日死ぬ人。」
助手席の窓から通行人を見ながら物騒なことを言うナルちゃん。
俺には見えない何かが見えてるのかな…オーラみたいなやつが。
「ナルちゃん、まだまだ遠いから、ヘッドフォン付けてる?」
「ん~ん、良い」
人を見るのが好きなんだ。
物騒なことを言う割に…
「あの人はお腹に赤ちゃん。あの人は優しい人。あの人もいい人。あの人は悪い人。」
「ナルちゃんの言う“悪い人”って、どんな?良いとか悪いっていうのはさ、主観で変わるんだよ。ナルちゃんにとって良い人が俺にとっては悪い人みたいにさ…。ナルちゃんの見える悪い人って、どんな人?」
前から興味のあったナルちゃんの善悪判定。
移動の距離も長いし、ちょっと難しい話題を吹っ掛ける。
返答のなさに助手席のナルちゃんを見ると、不思議そうな顔をして俺を見てる。
可愛いアホ面…
「悪い人は生まれた時から悪い人だよ。魂が汚れてるんだ。だから、同じことをしても普通と違く受け取る。そして怒りが沸きやすくて、破滅的だ。」
そうなんだ。
ナルちゃんは赤ちゃんなのに、たまにこんな風に知的に語る。
ずっと赤ちゃんでいてくれたら変な気も起きないのに、まともに会話するから関心が行く。もしかしたら、赤ちゃんみたいにして欺いてるのかもしれない。
この子の正体が分からない。
敵なのか味方なのかも分からないナルちゃんを飼うことは諸刃の剣だ。
飼うっていうか…もう、付いて離れないんだけどな…
「あの人は悪い人。」
ナルちゃんが信号を渡るおばさんを指さして言う。
「指を差さない…」
俺はナルちゃんの手を包んで下に降ろす。
「人をいっぱい虐めてる。くさい匂いがする。腐ったような匂い。臭い…」
顔を背けて嫌がるナルちゃんに飴をあげる。
「見ないで。これ舐めな。」
可愛い口に飴を放って舐めさせる。
「甘い」
俺の方を向いてそう言って微睡んで目を閉じる。
可愛いナルちゃん。
俺は良いパパだと思う。
文二の車が高速に乗る。
後を追って俺も高速に入った。
「あそこに粒粒が沢山飛んで上に上がってく!」
高速に入ってサービスエリアに寄る。
背後の山を見ながらナルちゃんが興奮して言ってる。
粒粒ってなんだろう…
「ナル、お腹空いてないか…ウインナーを買ってやろう。」
欽史の変態が発動してる。
ナルちゃんを連れてお店の方に歩いて行く姿を見送って文二と話す。
「ここで降りて、ここに車を止める。ナルちゃんは初めから一緒に行く?」
携帯の地図を表示して、指を差しながら文二が話す。
「ん~、どうだろう。この長男の様子を確認したいから、ナルちゃんは初めは連れて行かない方が良いかな…。」
俺はそう言って、ウインナーを買ってもらって、ニコニコ顔で戻ってくるナルちゃんを見てる。
欽史がホクホクした顔でナルちゃんを見て言った。
「初めは噛まないで、一回上からこう、カプッと口に入れるんだよ。」
変なことをするんじゃないよ…
「ナルちゃん、ガブってかじって食べて。」
俺がそう言うとナルちゃんは美味しそうにかじって食べて笑った。
可愛いな…無垢なんだよな。
残念そうにこちらを睨む欽史を無視して新子に聞いた。
「なんかこの家に感じることある?」
「暗い、狭い、くらいかな…写真からは」
「ふぅん…」
新子は所謂、霊能力者だ。
俺にも文二にも欽史も分からない目に見えない事を教えてくれる。
ある意味ナルちゃんと同じ、あっちの人だ。
兄貴の紹介で出会った頃は、もっと陰気で自分の能力を嫌っていた。
見たくないものが見えるのも、大変だよな…
能力的には高いと評価を受ける新子でも、ナルちゃんの正体は分からない。
ベタベタしつつも、いつも様子を伺う様な気配のする新子は、もしかしたらナルちゃんを見極めようとしているのかもしれない。
「じゃあ、行くか…」
俺はナルちゃんの手を引いて自分の車に連れていく。
「ウインナー美味しかった。」
「そう、良かったね」
そう言って助手席に乗せてシートベルトを締めてあげる。
ナルちゃんの口元からウインナーの匂いがした。
先に走る文二の車を追いかける。
指定したインターで降りて下の道路を走る。
「ん~!気持ち悪い!」
目的地に近づくとナルちゃんが言った。
何か、あるのかな…
そう察して警戒する。
大抵ナルちゃんがこう言う時は、当たりだからだ。
「わざわざ遠くまでありがとうございます。どうぞ、おあがりください。」
玄関でそういう、この家の奥さん。
年は60歳くらいだろうか、疲労と憔悴感を漂わせている。
部屋に入ると外の光さえ入らないように締めきられたカーテンと、モクモクと炊かれ続ける線香の匂いに咽る。
「圭吾、ここは当たりかも…」
俺の後ろから新子が小さく言う。
何も感じなくても、何も見えなくても、この異常な状況は普通にやばいと分かる。
「カーテンは開けても良いですか?」
俺がそう聞くと、旦那さんが声を上げて言う。
「息子が怖がるんです。外が怖いって言って震えて怯えるんです。」
「息子さんは今お部屋ですか?」
動揺してるのか、意味の分からない状況に憤ってるのか…旦那さんの声は上ずって荒々しかった。
興奮させないように静かな声で尋ねて、問題の長男の部屋に案内してもらう。
奥さんが部屋のドアをノックする。
「隆司?ちょっと入れてくれない?会わせたい人が居るのよ…」
そんな小さい声で聞こえるのか…と思って見ていると、中からドスドスと足音が聞こえてきた。
様子を伺っていると、目の前のドアをドン!と思いきり殴られた。
「圭吾…!」
後ろの新子が俺の服を掴んで怯える。
「何かわかる?」
俺が聞くと俺の腕を掴んで後ろに引っ張る。
「危ない。吹き溜まりになってる。場所じゃなくて、中の人に。」
当たりか…ナルちゃんを呼ぶか…
俺達はそれが何か原因なんて解明しない。
それだったら、消す。
それだけだ。
そういう事象には大抵因果関係なんて無くて、ただただ、運が悪かった…。
これに尽きる。
原因を探したって、意味がないんだ。
「文二、ナルちゃん呼んできて。」
俺が声を掛けると文二は短く返事して玄関に向かった。
ナルちゃんが居るから仕事が早い。
持ってきた機材なんて使う必要もなくて、大抵はナルちゃんが解決してくれる。
「圭吾、ナルちゃん入りたくないって…」
文二が戻って来てそう言う。
「はぁ…」
ため息をついて玄関まで迎えに行く。
開けられたままの玄関から入り口で欽史にしがみ付くナルちゃんが見える。
欽史は嬉しそうに笑っているのは今は無視する。
「ナルちゃん、おいで。」
「やだ、臭い」
「臭い所に圭ちゃんが居ても良いの?」
俺がそう言うと、うぅ…と言ってちょっと考える。
手を伸ばしてナルちゃんに言う。
「ナルちゃん、圭ちゃんの為にやっつけて。」
「…うん」
そう言って俺の手を掴む。
中に引っ張って靴を脱がす。
階段を上がって例の部屋の前に連れていく。
ナルちゃんの髪の毛が逆立ってもっとふわふわになる。
扉の前にナルちゃんが来ると、中で悲鳴を上げて暴れる長男の声がする。
凄いな…本当にこの子は何者なんだろう…
ナルちゃんが手をノブにかけると鍵が開いて扉が開く。
この光景はいつ見ても慣れないで、背筋が凍る。
目の前で非日常的な事が次々と起こるからだ。
すると、後ろを振り返って俺の方を見上げてナルちゃんが言う。
「いなくなった…」
その言葉にナルちゃんを背中に隠して扉の奥を見る。
中には部屋の真ん中に突っ立ったまま上を見上げて動かない長男が居た。
「こんにちは。大丈夫ですか?」
俺は声を掛けながら様子に目を光らせて長男に近づく。
「圭吾、居なくなった。」
新子もそう言って部屋の中に入ってくる。
どうも長男の所に居た何かが、ナルちゃんが来たことでどこかに行ってしまったらしい。
「でも、繋がってるから、戻ってくるよ。」
新子がそう言って窓の方を指さす。
あっちの方向に逃げたのか…。
さっきナルちゃんが気持ち悪いって言った方向だな…
「ナルちゃん、繋がってるの切れる?」
後ろのナルちゃんに聞くと、部屋の中のおもちゃを珍しそうに見ながら言った。
「切っても良いの?切ったらお兄さんも戻らないよ?」
そうか…完全にくっ付いちゃってたのか…
良く言う憑依現象の様な症状は段階があって、いきなり取りつかれることは少ない。
周辺で異変を感じることが続いて、疑心暗鬼になって、思考や行動を乗っ取られていく。最終的に自分がなんだか分からなくなって、誰の物かも分からない意思や感情に支配されていくんだ。
「体を残して、逃げちゃったのか…」
困ったな…長くなりそうだ。
新子が長男の部屋を見まわしながら言う。
「なんか変な感じするんだよな…ここら辺…」
そう言ってベッドのマットレスを動かす。
欽史が手伝ってマットレスを持ち上げると下から大量のお札が出てくる。
「あ、こんな所に…」
奥さんが何か知ってそうに言うので話を聞く。
「長男がああなってからお祓いでもらったお札や、有名な神社でもらったお札を部屋に貼っていたんです。外を怖がるから…部屋を、あの子を守ってあげたくて…、でも貼っても貼ってもいつの間にか無くなっていって…こんな所に溜めていたなんて…」
そう言ってシトシト泣く奥さんをナルちゃんが見てる。
不思議そうな顔で見てる。
「おばちゃんがいじめた人が来たのかもね。」
ナルちゃんはそう言って笑った。
「ナル、やめろ…」
欽史がそう言ってナルちゃんを諫める。
「おばちゃんが信じてる神様をほかの人は信じてないよ。ほかの人にはほかの人の神様がいるんだよ。おばちゃんがしてることはその人の神様を殺すことだよ。人それぞれの神様がいるんだよ。一つじゃない。一つじゃない。」
ナルちゃんが奥さんの方を見て淡々と言う。
その様子に宗教が絡んでいると気づいて長男をベッドに寝かせて、階段を下りた。
「おばちゃん、信じるってとてもすごい力を出すよ。間違った使い方をすると自分も傷つけるよ。おばちゃんはどうしてあんなにお札をもらったの?信じてる神様は助けてくれなかったの?簡単に捨てて他に縋るのはどうして?どうして信じてたのに、お兄ちゃんはあんな目に遭わなくちゃいけないの?良い事に理由はあっても、悪い事に理由なんてないよ。あるとしたら、因果が廻ったんだよ。」
諭すように話すナルちゃんを静かに見ていると奥さんが豹変した。
「私は間違ってない!あんたに何が分かるの?!子供のくせに偉そうに言わないでよ!」
今にもつかみかかりそうな奥さんを宥めながら、欽史が慌ててナルちゃんを背中に隠そうとする。
でも、ナルちゃんは奥さんにもっと近づいて冷たい目で言った。
「お兄ちゃんはおばちゃんの因果を受けて、おばちゃんを守ったんだ。」
あぁ…これだ。
この子の子の目。
赤ちゃんじゃないナルちゃん。
背筋がゾクゾクして目が離せなくなる。
圧倒的な絶対。
正直恐怖を感じる時がある。
この子の言ってることは真理だ。
因果応報か…
欽史がナルちゃんを抱えてよしよししている。
気を付けろ…そいつは良い物か悪い物かも分からないんだから…
「家内が宗教に傾倒し題したのには理由があるんです…」
奥に座って放心していた旦那さんが話し始めた。
「長男は活発な子で、小学校でもリーダーみたいにみんなを束ねて、この子の親でいる事が本当に光栄でした。中学に上がって2年生になる頃に原因不明の病気にかかって、1年入院生活を送りました。その間、家内は医療費をねん出するために掛け持ちでバイトをして、帰りの遅い私の代わりに他の兄弟の世話もしていました。」
奥さんが声を上げて泣き始める。
慟哭だな…
「そんなある日、親戚が家に来て、家内に宗教の勧誘をしたんです。信じれば救われるって…。藁にもすがる思いだった家内はあっという間にその宗教に染まりました。先の見えない状況に…少しでも活路を見出したかった彼女の気持ちを考えると、私は反対できませんでした。程なくして、長男の病状が安定し、退院することが出来、家内はすっかりその神様を心酔する様になったんです。」
ナルちゃんが上を向いて様子を伺う様に天井を見つめてる。
戻って来たのか…
「おばちゃんのその後が問題だよ…」
そう呟いてナルちゃんが動いた。
俺は彼の後をついて、2階に上がる。
先を歩くナルちゃんが例の部屋に入ったのが見えた。
後を急いで追いかけると目の前で扉が閉まる。
「ナルちゃん!」
扉の閉まる前、あの長男が体を起こしてナルちゃんと対峙しているのが見えた。
「ナルちゃん!ナルちゃん!」
扉を叩いて何度もドアノブを握り、ノブが壊れて外れる。
後から付いてきた欽史と新子が状況を察して慌てる。
欽史が扉を蹴飛ばしてもびくともしない。
新子が真言を唱えて目をつむる。
俺はナルちゃんの名前を呼んで反応を伺う。
中で何かが暴れる音がして、悲鳴が聞こえる。
「ナルちゃん!」
気が気じゃない…!!
静かになった様子に扉の前の俺たちが固まって様子を伺っていると、扉がゆっくりと開いた。
扉を押して中に飛び込むように入ると、ナルちゃんが居た。
「おばちゃんに言って?お兄ちゃん、帰って来たって…」
ベッドの上に倒れ込む長男は先ほどと違って血色が戻り、眠ってはいるが顔つきが穏やかになっていた。
俺はナルちゃんを抱きしめて、彼がけがをしていないか確認する。
「ナルちゃん、大丈夫だった?何もされなかった?」
額に汗をかいて顔を覗き込む俺を見て、ナルちゃんが笑う。
「圭ちゃん、抱っこ」
あぁ…もう…本当に…
俺はナルちゃんを抱っこして奥さんに彼の伝言を伝えた。
「隆司!隆司!!」
泣きながら階段を上る後姿を、抱っこしたナルちゃんは見送ってる。
何を思ってるの…?
ナルちゃんは何を思ってるの…?
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