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第5話-2

ナル、会いたいよ…お前が恋しい… 中庭の鯉を見て、ため息をつく。 「圭吾さんがいらっしゃいましたよ」 後ろから出仕に声を掛けられて振り返る。 そこには圭吾が居て、俺を見て言った。 「ナルちゃんの正体が分かった。」 …あぁ、もう、その時なんですね… もたもたと10年も思慮し続けた結果、タイムリミットを迎えてしまったようだ… 圭吾に近づいて行く。 体が震える。 泣き出してしまいそうだ… 俺に…あの人を…送る事なんて、出来ない… 「何だった?」 圭吾の顔を見上げて聞く声が震える。 「神の御使いだ。もうすぐお帰りになる。」 お前は…あんなに甘えていたじゃないか… そんなにすぐに切り替えられるのか…ふざけてる…! 「まだ帰らない。俺が送らなければ帰らない。」 「兄貴。ナルちゃんを置いていく。明後日、満月の夜にナルちゃんを神に返そう…」 何故だ…なぜ勝手に決める! 「いやだ、まだ決めていない。」 今日は俺がごねる番か… 「慎、神のまにまに…身を委ねよう…」 ナル…! 声の方を向くとあの日のように縁側に腰かけ、素足を地面につけて揺らしながら地面を撫でている。 俺は縁側に座るあの人の傍に行って、向かい合うと、体を強く抱きしめた。 「いやだ、いやだ!お前と離れて生きていけない。ナル…愛してるんだ。」 ナルは俺の体を抱きしめて、ゆったりと揺れる。 「慎…大丈夫。怖くない。時が来たんだよ。身を委ねて…。」 圭吾が居るのに、ナルを抱きしめて大泣きする。 駄々をこねるあいつみたいに泣いて縋る。 お前が居なくなったら…死んでしまいそうだ… 「じゃあ、明後日…また来るよ…」 そう言って圭吾は帰って行った。 みっともない兄貴の姿を見て、帰って行った。 「慎、月が奇麗だ…今宵の月は良い月だ。」 俺の頭を撫でながらナルが言った。 「お前の事を…思い出していたんだ…さっきまで、思い出していた所だったんだ…」 そう言う俺の顔を覗き込んで、ナルが言った。 「神はロマンチックだな…この話はクライマックスに向かっている。」 面白くない…全然面白くない… 俺の心を弄ぶ神などもう畏敬の念など抱かない。 目の前の彼を、まともに愛せなかった… 「ナル…10年も付き合ってくれたのか…」 「ふふ、あっという間だった。離れていても、寂しくなかったよ…」 俺の頬を小さい彼の手が撫でる。 もうこの感触を得られなくなるなんて…最悪だ… 「俺は寂しかった…結局、恋焦がれて、思い煩って…無駄に時間を過ごしてしまった…もっと、もっと傍に居たかった。お前に触れて居たかった。圭吾がする様にお前の世話を焼きたかった。一緒に…一緒に眠って、一緒に起きて…一緒に笑って過ごしたかった…まだ、何もしていない。まだ返せない。」 俺がそう言って彼に抱きつくと、彼はクスクス笑って俺の頭を撫でた。 「慎…愛してる。ナルちゃんも慎と離れたくないよ。でも、ナルちゃんは神の御意志を信じてる。今なんだよ。」 そう言って縁側から立ち上がると、くったりと抱きついて俺にキスをした。 「ほら、圭ちゃんみたいに俺を運んでみて。ふふ、彼は俺を運ぶのとても上手だったよ?慎も、やってみて!」 嫌だ… 俺はナルを抱きしめて項垂れる。 こんな風になるなら、あの日のうちに神おろしを終わらせてしまえば良かった… 「慎…遊ぼう、ナルちゃんと一緒に楽しく遊ぼう。」 俺の手を取って中庭を歩いてまわる。 彼の足は素足で…気付いた俺は慌てて抱き上げた。 「土の感触が気持ちいいんだ…降ろして良いよ?」 「嫌だ…離したくないんだ…お前を…心から愛してる。」 月の照らす中庭。 青い光に照らされた草木が、突然吹いた風に騒めいて揺れる。 ザワザワと揺れる音の合間に彼の声が聞こえる。 「慎…離れたくない…俺も愛してる…悲しいよ、悲しい…」 俺の顔を見ながら、顔を歪めてしゃくり上げて泣く彼を見て、 初めてナルの本音が聞けた気がした… 胸が痛いのに、とても嬉しかった… こんな夜なのに、遠くで雁の鳴き声が聞こえる。 …そうか…もうその時なんだ… 俺はナルを縁側まで連れて行き上に上げると、自分も縁側に戻った。 「ナル、おいで。一緒に納豆を食べよう…」 「わ~い!」 手を引いて彼と台所へと向かった。 嬉しそうに納豆を食べる彼を眺める。 こんな風に真正面から、ニコニコ笑いかけて見る事など今までなかった。 「汚いな…」 俺が言うと、彼はふふふと笑った。 こんな食べ方…どうしてするんだろう… 「見て見て?」 口を開けて中を見せてくるのが、特に最悪だ。 俺は顔をしかめて彼の口を閉じさせた。 「もう飲み込め。」 そう言うと、ごっくんと飲み込んで微笑んで来る。 「汚い食べ方は今日でお終いだな。明日からは上手に食べるんだろ?」 彼の頬を撫でて、うっとりした顔で見つめる。 「明日も、その次も、俺は納豆をこうやって食べるよ?これが一番美味しいんだ。」 そう言って微笑む彼が愛しくて…涙が落ちる。 彼は指先でその涙を掬って舐めた。 「甘い」 そう言って席を立つと、おもむろに歩き出した。 「ナル、何処に行くの?」 手を繋いで引き留めて確認する。 俺が送らなければ彼は上に上がれないのに… このまま消えてしまいそうで…怖くて手を握る。 「お風呂に入る。そして寝て、明日また起きる。」 「俺も一緒に入りたい…」 圭吾がしたように…俺にお前の世話をさせてくれ… 「いいよ」 彼はにっこり笑うと、俺の手を取って風呂場へ向かった。 「なんてことないな…」 湯船につかって俺が言うと、ナルが笑って言う。 「圭ちゃんは気持ちが盛り上がるのが好きなんだ。」 そう言って俺の体にピッタリくっつくと、可愛い顔をしてキスをくれる。 「まさか、こんな事はしていないだろう?」 俺の知らぬ所で、何が行われていたんだ… 俺が焦って彼に聞くと、彼は笑ってこう答えた。 「手伝ってくれてただけだ。」 そうだ、その筈だ。 そもそも、ナルはきちんと自分で体も洗える。 手伝う必要などないんだ。 全く…信じられない… ナルを膝に乗せて向かい合って見つめ合う。 「可愛いよ…ナルちゃん」 俺がそう言うと、首を傾げて優しく微笑む。 そっと濡れた手で、彼の頬を撫でる。 彼の目から涙が落ちたから、気付く前に流してあげた。 風呂から上がって、布団に寝転がる彼を見る。 外の風は冷たいのに、窓を開けて天を眺めている。 「月はどの辺に行った?」 俺が尋ねると、さぁ…とぼんやりと微睡んで体を横にした。 俺をぼんやりと眺めて、虚ろになっていく瞳に涙が潤む。 「どうして…こんなに悲しいんだろう。慎…ナルちゃんは悲しいよ…」 俺に手を伸ばして泣き出すナルに、心が締め付けられる。 「こんなにも悲しい事はない…!ナルちゃんは、神様を信じている。でも、怖くてたまらない!満月の夜に…ちゃんとお前と、お別れできるのか…怖くてたまらない…」 ナルの元に行って彼を抱きしめる。 俺にしがみ付いてしゃくり上げる様に泣き続ける彼は、神の御使いでも、吽の狛犬でもない、俺の愛した愛しい人だった。 「ずっと信じていた。ずっと…でも分からない。なぜ神がこんな事を仕組んだか…分からないんだ…慎…審神者してよ…ナルちゃんには分からない。神の御意思が、分からない…」 そう言って俺の体を強く抱く。縋るように、離れない様に、愛しむように… 「ナル…愛してるよ。ずっと愛してる。お前が居なくなっても…」 言いかけて、込み上げる嗚咽で言い淀む。 居なくなっても…? そんな… そんな事…言いたくない。 「ナル、お前を愛したい…」 俺はそう言って彼に思いを込めてキスした。 愛してる。 大好きだ。 離れたくない。 彼はそれに応える様に、俺の愛を受け止めて小さく喘ぎ声をあげる。 そのままナルを布団に降ろして覆いかぶさると、優しく愛撫して彼の体を感じた。 こんなにも誰かを愛する事が出来る事を知った。 狂おしい…とはよく言ったもので… 俺はその言葉通りに、出会ってから今までずっと彼に狂った。 彼の全てを刻み込むように、大切に愛する。 一挙手一投足を脳裏に焼き付けて… 彼の居た確かな痕跡を…魂に記憶させていく。 彼の中に入って、奥深くまで愛する。 俺を受け入れて、快感に見悶えさせて喘ぐ愛しい彼を記憶する。 愛してる…思いを込めて彼を抱く。 「慎…やだよ、帰りたくない…ずっと、ずっと傍に居たい…」 俺にしがみ付いて泣く彼を愛する。 このまま神から逃げてしまいたくなる… なぜ愛し合っているのに別れなければいけないの… そこには神の尊い意思などなく、意地悪な思いすら感じる。 「ナル…ずっと一緒に居よう…お前を失ったら、俺はおかしくなってしまうよ…」 ナルの体を抱いて、慈しむように包み込む。 いずれ離れてしまうなら… その時までは、こうして我儘にしていよう… 神に憤って、神を疑う… その時が来るまでは… 人間のようにしていよう… 何もかも忘れて、彼だけを信じて愛そう… 愛しい人、俺の愛しいナル。 「月が見えた…」 彼が指を差す方に、黄色く輝く月が見える。 それは大きくて少し歪な丸い形をしている。 「あの月が満ちたら、ナルちゃんは天に帰るんだね。」 激情を全て吐き出して、この理不尽な神の仕組みを受け入れた彼が、俺を見て言う。 その瞳は、月の光を中に湛える様にうっすらと金色に見えた。 俺はうっとりと彼を見つめて、微笑む唇にそっとキスする。 「ナル…愛してる」 俺の言葉に微笑み返す彼を、月から隠すように覆って隠し、俺だけ見る様に視線を奪う。 「ナル…お前を思い煩い、苦しくなったらどうしたら良いの?」 「簡単だ。思い煩うな。思い馳せよ。」 そう言う彼の目にまた涙が滲んで見えた。 朝が来て、傍らに眠る彼を愛でる。 「本当に、愛おしいな…」 俺がそう言うと、聞こえた様に口元を緩めて微笑んだ。 彼の体に覆いかぶさって、目を瞑り温度を感じる。 「慎、重い…」 「ふふ、ごめん」 彼の体から退いてまだ微睡みの中に居る彼に言った。 「おはよう…」 「ん、おはよう」 体を起こして俺に抱きつくから、そのまま持ち上げて台所まで運んでやる。 「慎、ナルちゃん納豆食べたい。」 「ふふ、あの食べ方はしないで…」 いつまでも納豆を練り続ける彼を、声を出して笑って眺める。 そのまま口に入れていく様子を顔をしかめて見て、言う。 「もう、早く飲み込んでしまえよ…」 彼は満足そうに笑って、口の中の納豆を全て飲み込んだ。 朝の御勤めをする俺の傍らに彼が居て、俺を見つめて微笑んでいる。 箒の掃く音が止むと、今度は朝拝の支度をして、祝詞を上げる。 彼は俺の傍らで、祝詞を気持ちよさそうに聞いている。 「祝詞の言葉が好きなの?」 俺が尋ねると、違うと言った。 「音が良い。圭吾が言っていた。周波数だ。それが心地いい。」 ずっと言葉に意味があると思っていたのに、音なんだ… 意外だな。 だからしっかり伸ばせと言われたのか… 俺はナルを連れて中庭に行くと、一緒に鯉の泳ぐ様を眺めて笑った。 「ナル、こっちにおいで」 俺が手を差し出すと、彼はその手を掴んで池を飛び越える。 抱き合って笑う俺達を他の神職が眺めていても、気にしない… こんなに幸せで満たされるなら、構わない。 午前中のお祓いを済ませて、彼に喜多方ラーメンを茹でてやる。 「わ~い」 嬉しそうに頬張る顔を記憶に留める。 「明日はお前の仕事仲間もやってくるから、にぎやかになるな…」 俺がそう言うと、嬉しそうに彼らの話をしてくれる。 可愛いナル。 俺のナルちゃん… 午後の御勤めをする俺を、見守る様にナルは静かに佇む。 まるで目に見えない守護者たちがそうする様に。 優しく微笑みながら、俺を見つめて保護する。 「こうやって守られていた気がする…」 ナルを見てそう呟く俺に、微笑んで彼は短く答える。 「そうか…」 彼はそう言うと俺の体を抱いて背中を優しく撫でた。 その感覚が… まるであの時と同じで… 「あ…」 思い出した…。 子供の頃、巫のプレッシャーに押し潰されて泣いていた。 狛犬の下で…1人隠れて泣いていた… どうして自分だけこんな重責を負うのか… 辛くて怖くて、泣いていた… ふと、温かい手に背中を撫でられた気がして振り返った。 そこには、誰も居なくて… 背中に残った感覚だけがジンと熱く残った。 まるで見守られている様な安心感を得て、俺は泣くのを止めた。 「あの時の…手は…お前だったのか…」 膝から崩れ落ちて泣く。 そんなに前から、俺を見守っていてくれたのか… 愛しい人。 「慎…もう少しだよ」 意味深にそう告げて俺の背中を撫でる。 俺は彼の体を抱いて泣いた。 神様なんて…実感した試しがなかった。 信じていない訳ではない。 実際に俺は神おろしやご神託を受ける事が出来るから。 ただ、いつもそれは俺の意識がない時に行われていたから… 自分が神の存在を感じる機会は、無かった。 心の底から…絶対的な存在を感じる事など、ほとんど無かった。 今だ…今、この瞬間… 彼の神おろしを終わらせると決めた時から、まるで伏線を回収する様に、全てが繋がっていたと、感じて震える。絶好のタイミングで、次々と事が進む。 まるですべて仕組まれていたかのように… これが神の御業で無くして何と言うのだ。 ナルが、子供の俺を見守ってくれていた記憶も、今この時に思い出させるなんて… 「本当に神様はロマンチックだな…そして全てに仕組みがあったんだ…」 「何の為に?」 ナルが俺の顔を覗いて尋ねる。 「俺に神を信じさせるために…」 口から言葉が勝手に出てくる。 「それが、お前の審神者だな…」 ナルは微笑んで、正面から俺の両腕を掴んだ。 そのまま背中を俺にもたれさせて、俺の腕を自分に巻き付ける。 「慎、俺もそう思うよ。」 そう言って顔を上げると得意そうな顔をして言う。 「慎の審神者が終わった。ナルちゃんの帰る前に、神の御意志が分かった。」 一件落着だ! そう言ってクスクス笑う彼を強く抱きしめて震えた。 こんなに心が震えることがあるのか… 恐ろしいとさえ思う。 「慎、神のまにまに…委ねて生きろ。」 「うん…」 全て繋がって、全て仕組まれている。 神の御業だ… 心の汚れが全て落ちていくような…爽快感を感じて震える。 夕暮れの空に、鴈が鳴く声が響いては消えた。 いつもの様にご飯を食べて、いつもの様に風呂に入り、いつもの様に眠る。 ナルが傍に居て、俺を見守って、愛してくれている。 安心して、彼を感じて満たされる。 神の御意志を感じて、まにまに…抗わず、委ねる事の意味を知った。 「ナル…お休み…」 彼を愛して、彼を抱きしめて眠る幸せを、奪うんじゃなく、与えてくれた事に感謝する。 彼に会わせてくれてありがとうございます。 10年も猶予を頂いて感謝いたします。 彼の髪の匂いを嗅いで眠る。 それは深くて甘いひと時だった。 満月の日。 全ての予定をキャンセルした俺はナルと一緒に普段通りに過ごした。 お勤めをしている間も、祝詞を上げている間も、これから彼と別れると言うのに、不思議と心が乱れなかった。 午後になると圭吾たちがやってきて、ナルが喜んではしゃいだ。 久しぶりに聞くあの子の甘えた声は心地よく、そして可愛らしかった。 圭吾に抱きしめられて微笑む姿にやはり少し嫉妬したが、それも全部含めて神のまにまに。 夕暮れが近づいて、月が姿を現す。 それはとても美しく。 彼を天に返すにはぴったりの情景だと思った。 「お前は神に…ナルちゃんに愛されている。」 彼はそう言って俺にキスをした。 愛してる…という思いを込めて、俺もキスを返した。 彼の愛した中庭で、彼を天に返そう… 圭吾たちが見守る中、俺は天津祝詞を上げて神に知らせる。 あなたの御使いをお返しいたします。 どうぞ、どうぞ彼をよろしくお願いいたします。 ナルの体がキラキラと輝いて、小さな星屑が彼に纏わりつく。 …あぁ、行ってしまうんだな 俺は涙を流しながら神に祝詞をささげる。 …本当に行ってしまうんだな… 神様…彼に会わせてくれてありがとうございました。 星屑が彼の体を覆いつくしていく。 祝詞を上げる俺を、目をそらさずにじっと見つめる彼は、いつもの様に優しく微笑んでいる様に見えた。 「ナル…愛してるよ…」 最後の最後まで彼の目を見つめて、星屑で覆われた後も彼を感じた。 彼に集まった星屑が、今度は天に向かって上がっていく。 彼を連れて…上がっていく。 最後の一粒まで…残さず上がって行くのを見送る。 俺はナルの神おろしをやっと終わらせた。 大粒の涙がポロポロとこぼれて落ちるけど、悲しくはない… 神の御業を感じて、彼の愛を感じて… 心が震えて泣いた涙だから。 冷蔵庫に残る彼の大好きな喜多方ラーメンを茹でる。 彼がまとわりついて、はしゃいでいる様に感じて口元が緩む。 「これは俺が食べるね」 そう言って頂きますをして食べる。 また会えるかな…ナル 俺はもう苦しくないよ…お前がいつも傍に居るって分かったから。 心から愛してるよ…ナルちゃん 完

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