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周焔編(氷川編)14
そんな周と今はこうして同じ車の中で肩を並べている。彼の経営する会社に勤められることも決まって、まさに夢のようだ。彼と同じ日本の大地で生きられればいいと思っていたが、それどころか同じ社内で使ってもらえるのだ。周は社長だし、そうそう頻繁に会う機会もないだろうが、それでもたまにはその姿を見ることが叶うかも知れない。そう思うと、まさに希望の光が頭上から降り注ぐようだ。冰はこの幸運に心の中で思い切り手を合わせたい心持ちだった。
「俺、ほんとに幸せモンだな。じいちゃんに報告しなきゃ」
思わず漏れた冰の独り言を周もまた聞き逃さなかった。ちらりと横目に窺えば、言葉通り本当に幸せを噛み締めているといった表情でいる。胸前で無意識に手を合わせ、ほんのりと上気させた頬の色はまるで桜の花びらのようだ。周は特には言葉を掛けこそしなかったが、そんな冰を眺めているだけで心温まるような不思議な感覚を覚えるのだった。
テーラーに着くと、そこには既に周の部下と思わしき男が待っていた。車のドアを開けて、降りてくる周と冰に丁寧なお辞儀で出迎える。
「李さんから話をうかがっております。テーラーの方にも伝えておりますので、すぐに採寸していただけます」
スマートな仕草と身のこなしは、先程会った李という男を彷彿とさせる雰囲気だ。
「ご苦労だったな。ああ、冰――。これは俺の側近の一人で劉 という」
周がそう紹介すると、劉当人もまた冰に向かって丁寧に頭を垂れた。
「劉と申します。どうぞお見知りおきください」
「あ、はい! 雪吹冰です。お世話になります」
劉という側近のあまりの流麗な物腰に、またしても冰は緊張気味で背筋が硬直状態――まるで壊れた機械仕掛けの人形のようなギクシャクとした動きでぺこりと腰を折る。そんな様子が可笑しかったのか、周はクククと笑いを堪えるように口角を上げていた。
驚き顔にさせられたのは劉だ。普段は周のこんな柔和な表情には滅多にお目に掛かれないからだ。
李もそうだろうが、劉ら側近たちにとっての周は、企業の社長というよりも香港マフィアの頭領ファミリーという認識の方が通常だ。よって、周は雲の上の存在であり、と同時にその肩書きに恥じない器の持ち主であることも確かなので、とにもかくにも尊敬する”ボス”そのものなわけだ。
普段の周は機嫌こそ悪くはないものの、よほどのことでなければ表情を崩すことはなく、どちらかといえば無表情でいることが多い。笑った顔を見たことがないとまでは言わないが、こんなふうに自然と笑みを誘われているようなことは珍しいといえる。
周が連れているこの雪吹冰という若い男について李から簡単な説明を受けてはいたが、いったいどれだけ親しい間柄にあるのかまでは知り得ないままだ。側近である自分たちとの間でさえ必要以外は会話らしき会話もない周が、こうまでリラックスしたふうに見えるのが劉にとっては驚きだった。
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