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周焔編(氷川編)31

 考えれば考えるほど、冰は覇気を失くしてしまいそうだった。あの周に恋人がいるかも知れないと思うだけで胸が潰れそうになる。モヤモヤとした何かが全身を這い回るようで、ひどく苦しくて仕方がないのだ。  ラウンジの出口で、周がウェイターから受け取ったケーキの箱を目にすれば、そんな気持ちに更に拍車が掛かるようだった。  いつものように後部座席に並んで座り、社屋へと向かう車中で、冰は抑えがきかないまま周へと切り出してしまった。 「あの……それ……」  チラリとケーキの箱を見やりながら遠慮がちに言う。 「――ん? どうした」 「あの、もしよかったら……それ、俺が届けてさせてもらってもいい?」 「あ――?」  周は一瞬何のことを言われているのか分からなかったようだ。 「えっと、そのケーキ。今夜は接待があるんだったら李さんや劉さんも行くんだろうし――だったら俺が届けて来ようかと思って……」  目一杯平静を装いながらそう告げたが、それはすぐに却下されてしまった。 「お前はダメだ」 「……どうして?」  俺だって秘書の一人だ。それくらい任せてくれても――冰はそう思ったが、胸の中は言い様のない気持ちでぐちゃぐちゃになりそうだった。  やはり恋人の存在は隠しておきたいのだろうか。それとも共に暮らしてひと月足らずの自分を恋人に会わせるまでもないと思っているのか。冰はあることないこと考えては嫌な人間になっていくようで、そんな自分にも嫌悪感でいっぱいだった。  だが、冰の胸中を知る由もないといったところの周は、まったく的外れともいえるような返答をしてよこした。 「今夜の接待はお前にも出てもらう。だから他所へ行かせてる時間はねえ」 「――え!?」 「接待の客人が香港の兄貴と懇意にしている御仁でな。李と劉ももちろん同行するが、お前とも顔合わせをしておきたいのさ」 「お……兄さんの知り合い……なんだ?」 「ああ。兄貴の学生時代の先輩で、今は弁護士をやってる。香港のファミリーとも付き合いがある人だ。観光がてらの来日だそうだが、兄貴の知り合いが来てると知ってて無視するわけにはいかねえ。メシの一回くらいは誘わねえとな」  周はそう言って、黒曜石のような瞳の中にいつもの不敵な笑みを瞬かせた。 「いい機会だしお前のことも紹介しておきてえと思ってな。こいつを届けてくれるって気遣いは有り難えが、気持ちだけもらっとくぜ」  周はケーキを指しながら再び瞳を瞬かせると、そのままいつものように頭を撫でてよこした。 「今夜は料亭で和食のフルコースだ。お前には初対面の相手だが、気を遣う必要はまったくねえ。ちょっと遅くなるかも知れねえが、付き合ってくれるな?」  『ん――? どうだ?』と尋ねるように顔を覗き込んでくる。瞳を細めて、やさしい笑みが見つめてくる。 「ん……。うん、もちろん。俺なんかが一緒に行っていいんだったら」 「いいに決まってるだろうが。俺が連れて行きたいんだ」 「白龍……。ん、ありがと……う」  よし、いい子だといったようにクシャクシャっと頭を撫でる。周の掌は相変わらずに大きくて温かい。そんなすべてがより一層冰の胸を締め付けるのだった。

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