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鐘崎編1

 時はさかのぼって、周焔(ジォウ イェン)雪吹冰(ふぶき ひょう)が再会を果たす二年ほど前の冬の夜である。  それは深夜のこと――既に日付をまたいで午前一時になろうかという時刻だった。  地下室に来客があったことを告げるインターフォンの音で、一之宮紫月(いちのみや しづき)は寝転がっていたベッドから飛び起きた。そろそろ休もうかと思っていたが、まだ服も着たままだったし、完全に寝入る前だったのは幸いだった。  急いで駆け付ければ、見知った男たちが一人の怪我人を抱きかかえながら入り口から姿を見せたところだった。彼らは幼馴染である鐘崎遼二(かねさき りょうじ)のところの一門、いわゆる極道一家の組員たちだ。 「容態は!?」  紫月は一目散に駆け寄ると、素速く状況を確かめる。脇腹からかなりの出血があり、怪我を負った男は今にも息絶え絶えにもんどりを打って呻いていた。 「夜分にすいやせん! (たちばな)の兄貴が刺されまして」  男たちの一人が焦燥感をあらわにそう告げてくる。 「刺されてからどのくらい経つ!? 傷口は一箇所か!?」 「今から三十分ほど前です! 刺されたのは一回です。かすった程度かと思ってたんですが――思ったより傷が深いようでして」  出血量が多い為、相当焦っている様子が窺える。ここへ運んで来る間にとりあえずの止血はされていたようだが、所詮は素人のやることだ。橘という怪我人の腹にはタオルのような布きれが押し当てられているだけで、服からズボンに至るまで、かなりの血の痕が見て取れた。おそらくは鋭利な刃物で刺されたと思われる。 「処置台に運んでくれ!」  紫月が言うと、男たちが全員で血濡れた彼を抱え上げて、台の上へと横たわらせた。 「すぐに麻酔が効く。気をしっかり持つんだ!」  そう声を掛けながら、てきぱきと処置の準備を整えていく。すると、怪我人の男は虫の息ながら礼と詫びの言葉を口にした。 「すまねえ、紫月の坊ちゃん……。世話……掛けちま……って」 「構わねえ。それよりしゃべるんじゃねえ!」  服を切り取って患部をあらわにしたちょうどその時、やはり緊急のインターフォンを聞いてやって来たもう一人の男が姿を現わした。 「(あや)さん! 刺し傷が一箇所、出血量がかなりあります。麻酔は済んでます」 「分かった。すぐに取り掛かろう」  綾さんと呼ばれた長身が逞しい彼は、紫月の家の敷地内に住み込みで勤務している医師である。名を綾乃木天音(あやのぎ あまね)といい、紫月が兄のごとく慕っている人物だった。腕は確かだが、医師免許は所持していない。いわば潜りというそれだ。  ここは都内とは川を挟んだ対岸にある工場地帯の一角に位置する――とある道場の地下室だった。  一之宮家というのは代々武道家の家系で、現在は紫月の父親が当代主として道場を営んでいた。街外れの川沿いではあるが、それ故に広大な敷地を有していて、普段は主に青少年の指導に当たっている名のある道場である。だが、そのまっとうな道場の地下部分には一般の人々が知り得ない秘密の営みがあるのも事実であった。  それがここ――今まさに紫月と綾乃木が怪我人の処置を施している地下室なのだ。

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