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香港蜜月35

 一方、向かいの部屋では鐘崎と紫月もまた、周らと同様、普段とは違う出で立ちの恋人に新鮮な気持ちを抱いていたようである。  まあ、鐘崎は服装がタキシードというだけで特に変わったわけでもないのだが、紫月の方は女装のままホテルに戻ってきたこともあって、互いに別人といるような感覚が新鮮だったようだ。 「この豪華なドレスさぁ、氷川の父ちゃんが記念にくれるってから貰ってきちまったけどよ」  今後はそうそう着る機会もないだろうと、紫月は勿体なさそうな顔をする。 「しかも乳付き! これ、シリコンで出来てるんだってけど、しっかしまあ良くできた代物だよなぁ」  自分の胸を揺さぶったり揉んだりしながら感心顔だ。 「あ、よかったらお前もちっと触ってみる?」  面白そうに言うと、鐘崎も遠慮なしにドレスの上から胸を鷲掴んだ。 「確かに良く出来てる。触り心地も本物と遜色ねえな」 「だろ? このやーらかい感触といい、弾力といい……マジで女の乳そのものじゃん! 今時の技術ってのはすげえな」  何気なく口をついて出てしまったひと言だったが、一瞬の間を置いて、ふと怪訝そうな目で互いを見合った。 「まるで触ったことがあるような口ぶりだな?」  少々怪訝そうにして鐘崎が呟く。だとするならば、それはいつのことで相手は誰だと顔に書いてあるのに、紫月はタジタジと表情を引きつらせてしまった。 「え? や、その……あれだよ、ほんのモノの例えだって!」 「ほう? 例えね」 「……つか、てめえこそどうなんだって!」  鐘崎は学生の時分から女には相当モテていた。恋人として付き合っていた女性がいたという記憶は紫月の知る限りないのだが、彼と正式に想いを告げ合ったのは、互いにいい大人になってからだ。  よくよく考えてみれば、その間に遊び相手の一人や二人は当然いただろうと思われる。逆に清廉潔白な方が有り得ない話であろう。かくいう紫月にだって、そういった経験が皆無だったというわけでもない。  今の今まで考えたこともなかったのだが、気になり出したら多少なりとモヤモヤするものだ。 「ま、別にいいけどさ」  今更、過去のことをほじくり出すこともない。知らなくていいことは知らないままにしておくのも大人の対応というものだ。  だが、嘘か本当か、鐘崎は意外も意外、驚くようなことを口にした。 「俺が抱くのはお前だけだ。今までもこれからも、生涯ずっとお前唯一人だけだ」 「え……」  紫月はポカンと口を開けたまま、目の前の恋人を見つめながら硬直させられてしまった。 「それって……まさか……」  お前は俺しか知らないってことか? 「……んなわきゃねえべ!」  紫月はアワアワと口を半開きにしながら苦笑がとめられない。  そうだ。どう考えたって有り得ない話だ。鐘崎ほどの男前がモテないわけがないし、それに彼は初めての時も巧みだった。下世話な話だが、抱き方も手慣れていて上手かったといえるだろう。 (まさか……まさかな。俺とヤるまで……一度も……なんてこたぁ……あるわきゃねって)  そんな想像に挙動不審でいると、鐘崎からは微笑と共にますます頭がこんがらがりそうな台詞が飛び出した。

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