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香港斬月

 愛しさの満ちるは”望”の時――闇がさらうは”朔”の刻。  この世で唯一無二の愛する男、”周”という満ちあふれた光の側で――いつまでも寄り添って生きたい。 ◇    ◇    ◇  それは、冰らが春節の旅から帰国して一週間が経った頃のことである。 「例の件はまだ掴めないのか! いったい何をやっている……!」 「申し訳ありません。我々も八方手を尽くして捜しておるのですが、一向に……」 「周のカジノはもう再開しているそうだな?」 「はい、ここ連日交代で若い者たちを差し向けて様子を探っておりますが、例のディーラーの姿は見当たりません。もしかしたら周一族のカジノの専属ではないのかも知れません」 「ということは、あの春節イベントの時にたまたま顔を出していた他所のカジノのディーラーかも知れんということか」 「その可能性もあるかと思いまして、現在捜索範囲をシンガポールや台湾などにも広げております」 「周のカジノの人員ではないというなら、こちらにとっては好都合だ。手段は厭わん。何ならベガスにも人を派遣して調べ出せ! 何としてでもあのディーラーを手に入れるんだ!」 「は、かしこまりました」  側付きの男が下がって行ったのを見届けながら、シガーケースから煙草を取り出して火を点ける。深く煙を吸い込む男の瞳は闇色に揺らめいていた。  一週間前、周一族のカジノで見た若きディーラーは、いったいどのような人物なのだろうか。仕掛けられたイカサマを見事に打ち破った手腕が脳裏から離れない。彼は何処の誰で、今はどうしているのか是が非でも知りたくて堪らない。  あのイベントの夜以来、煙のように姿を消してしまったあの男の行方を、すぐにでも追い掛けなかったことが悔やまれて仕方なかった。 「あの手腕は本当に見事だった。だが、それ以上にあの容姿だ……」  陶器のようなキメの細やかな肌、やわらかな癖毛ふうの髪、芯を感じさせる大きな二重の目、すらりとしたスレンダーな体つきから発する匂い立つような優美な仕草。そのどれもが心に焼き付いて離れないのだ。 「どんな手を使ってでも手に入れる……。待っていろ、俺の運命のディーラー」  ここは香港の隣、マカオの繁華街に位置するカジノだ。その一室で物憂げに想いを馳せるこの男は、周一族が君臨する香港とはお隣にあるマカオの地で覇王と崇められている若き狼であった。  立ち上る紫煙に瞳を細めながら独りごちた長身の彼は、腰まである黒髪を掻き上げると、短くなったシガーを灰皿の上で捻り消した。  闇色に揺れる瞳をしたこの覇王のもとに一報が告げられたのは、それから更に一週間の後のことであった。 「分かりました、ボス。あのディーラーは以前に香港の魔手と言われた黄というディーラーの養子だということが判明致しました。彼は幼い頃に両親を亡くして、それ以後は黄に引き取られて育った日本人とのことです。現在は東京の汐留にあるアイス・カンパニーという商社に勤めております」 「日本の商社だと? では、今はディーラーをしているわけではないということか?」 「そのようです。育ての親である黄が亡くなったので、両親の祖国である日本に帰ったものと思われます」 「そうか。よくやった。すぐに日本に飛ぶぞ」 「では早速に手配致します」 ◇    ◇    ◇ 「ねえ白龍! 見て! すごい大きな月だよ! なんか別の星にいるような気分になっちゃうくらいの!」  東の空に思わず息を呑むほどの大きな月が浮かび上がっている。 「ああ、今夜は満月か」 「ね、満月ってさ、白龍みたいだよね! 大きくて輝いてて、つい見とれちゃうもん」 「おいおい、えらく嬉しいことを言ってくれるじゃねえか」 「まさに”周”だね!」 「上手い例えだな。確かに――”周”を描いて夜空に浮かんでいやがる」  自分よりも一回り華奢な肩を抱き寄せながら周は笑った。  汐留は、宵の空に満月が浮かび、花々が咲き誇る春爛漫のとき――。  雪吹冰は麗かな風に吹かれながら、愛する者たちに囲まれて幸せの図中にいた。  やがて巡りくる新月の影が自らを攫い、満ちた絆を斬り裂かんとしていることを知らないままで――。 香港斬月 - FIN -

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