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狙われた恋人31
初めて冰を抱いた時に話して聞かせたことがある。それは、周親子三人の背中の彫り物についての経緯だ。
母親の香蘭が考えてくれた三人の”字 ”に基づいた龍の彫り物の図柄は、父の隼が黄色い龍、兄の風は黒い龍、そして弟の焔には白の龍。
黄龍、黒龍、白龍という”字 ”に合わせて三人が家族であるという絆を表した図柄だった。
それを話して聞かせた時に、冰は涙ぐみながら『あなたが家族に愛されていて自分もとても嬉しい。幸せだ』と言って喜んでくれた。今、彼の背中には、まさにその三頭の龍と蘭の花の刺繍が施されている。
親子を示す三頭の龍。その中でルーレットの盤にある色は黒だけだ。そして数字は三人を示すならば三になるのだろうが、ルーレットでは黒の三番という目はない。とすると、母親の香蘭を入れた四人家族の絆を意味していることになる。つまり賭ける位置は”黒の四番”だと云っているわけだ。
周の名である”焔 ”からすれば赤が想像に容易いが、それは既に張が賭けると決まっているので”赤”は有り得ない。
(冰……お前ってヤツは……!)
拉致され、マカオにまで連れてこられ、毒矢を打ち込むとまで脅されながら、この短時間の中で考えに考え抜いたのだろう。賭ける位置を打ち合わせる時間もなく、それでもこうして精一杯の方法でそれを伝えんとしてくれている。敵中にたった一人試行錯誤し、そしてこれから行われる勝負では、狙った位置に確実にボールをはめるという神技に挑もうとしている。
あの華奢で細い身体のどこにこんなパワーが秘められているというのだろうか。周は思わず熱くなった目頭から涙が潤みそうになるのを必死に堪えたのだった。
例え勝敗がどう転ぼうと、命をかけてこの愛しい恋人を守り抜く。
周の胸の内は揺るぎない決意であふれにあふれていた。
テーブルに着くと、冰はディーラーブースの中に入り、昼間買ったと思われる花束を手にして一礼をしてみせた。そして、その中から先ずは紅薔薇を一本抜き取って張へと差し出した。渡された一本の紅薔薇が打ち合わせた通り赤の一番を示しているのだと思った張は、事が予定通りに運んでいることに微笑する。
次に白い蘭が一本、今度は周に向かって手渡された。
「張さん、焔兄さん、お二人の幸運を祈って」
冰は穏やかな微笑みを見せながら、
「では始めさせていただきます。今宵の賭けはヨーロピアン方式のホイールにて一目賭けで行います。そして賭けていただくタイミングですが、私が盤にボールを放った後にお二人それぞれ賭ける位置を一箇所だけお申し出ください」
通常、ルーレットでは客が賭ける位置を決めてからディーラーがホイールを回すのが一般的だが、今宵の勝負では、冰の説明にあった通りディーラーがルーレットの盤にボールを投げ入れた後で賭ける位置を決めるというやり方で行うという。つまり、客が事前に賭けた位置をディーラー側で狙うことができない方式ということになる。しかも一目賭けなので、複数の箇所を選ぶこともできない。客にとってもディーラーにとっても乾坤一擲の大勝負となる。
このやり方を提案したのは、実に張の考えだった。万が一にも周と冰が共謀して裏切ることも踏まえての保険ということだろう。実に抜かりがない男である。
「では、入ります」
冰の白魚のような手がボールを掴んで張と周の前に掲げられる。
なめらかな仕草で盤が回り出す。
「ではお二人とも賭け を――」
冰からの言葉を受けて、まずは張が第一声を発した。
「私からでよろしいか? それとも周焔さん、あなたから賭けられるか?」
「いや、あんたからでいい」
「ではお言葉に甘えて、私は赤の一番に」
やはりか、張は予定通り赤の一番を狙ってきた。周は冰から手渡された蘭の花を見つめながら、運命の位置を確信した。
蘭の花は母親の香蘭を示す冰からのメッセージであろう。彼女が決めた龍の彫り物の図案を指し示す。つまり、香蘭も混じえた四人家族、黒の四番へ賭けろという決定的な合図だ。周は迷うことなくその場所を告げた。
「ノアールの四番」
広大なフロアが静寂に包まれる中、張は唇に微笑を、そして周は感情を見せない無表情で運命の瞬間を待った。
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