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厄介な依頼人16
「そうでしたか。もう夕刻ですし、女性一人で何かあったら社長様もご心配なさるといけません。うちの車でお送りしましょう」
鐘崎が言うと、繭は途端に頬を染めて瞳を輝かせた。
「そんな……申し訳ないですわ」
言葉とは裏腹に嬉しいと顔に書いてある。彼女は鐘崎自身が車で送ってくれると勘違いしたようだ。ところが、その直後に飛び出したひと言で高揚していた気分は一転させられる羽目となった。
「清水、車を一台回してくれ。ご令嬢をご自宅までお送りするから、運転も所作も信頼できるベテランがいい」
周と共に後ろに控えていた清水にそう声を掛けると、繭に向かって、
「うちの中でも一番安全運転の者に送らせますんでご安心ください」
そう言って丁寧に頭を下げた。
正直なところ、娘一人で帰して万が一にも何かあったら困るのは事実である。それに、いかに厄介とはいえ、彼女が厚意で持ってきた大きな贈り物の箱を電車で持ち帰らせるのも気の毒と思える。ここはせめても車で送り届けるのが礼儀と思っていた。
数分と待たずして黒塗りの高級車が玄関脇に着けられる。
「今日はわざわざありがとうございました。社長様にもよろしくお伝えください」
有無を言う暇もなく、繭は邸の門を離れていく景色を見つめるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「お前さんもご苦労なこったな」
「いや、正直なところ助かった。すまなかったな」
嫁たちの待つ奥へと向かいながら周と鐘崎が肩を並べていた。鐘崎には周が状況を察してわざと割って入ってくれたことが分かっていたのだ。
「お前の様子が変だったんで、清水に少し事情を聞いたんだが――一之宮は何と言っているんだ」
「特には何も――。あの父娘とも仕事以外で付き合うつもりはねえとはっきり言ってあるし、だが……まあ、ンなこたぁ俺がいちいち言わずともアイツの方がよく分かってる。俺は昔っからあいつしか目に入ってねえし、あいつにとっちゃ、うぜえくらい一途だってのもな」
「おいおい、惚気かよ」
周がクスッと頼もしそうに笑う。
「紫月は案外鷹揚に構えてるようだからな。あの娘に対してもあからさまに邪険にしたりして傷付けるようなことがねえようにって、そっちの方を心配してるくれえだ」
「できた嫁だな。お前さんを信じてるってわけだな」
「やさしいというべきか、暢気というのか――。もしも俺が逆の立場で、紫月のヤツにしつこくアプローチしてくるようなやつがいたとしたら……気になって仕方ねえだろうし、ガキみてえに妬いちまうと思うんだがな」
「何だ、一之宮にもっと焼き餅をやいて欲しいってか?」
「そうじゃねえが――まあ、ちょっとくれえは……と思わなくもねえ」
残念そうに頬をふくらませた鐘崎を横目に、悪いとは思いつつも周はプッと吹き出してしまった。
「は……はは! お前さんの言葉を借りるわけじゃねえが、まさにガキが拗ねてるみてえだ」
「……ッ、笑うんじゃねえよ。他人事だと思ってるな?」
「いや、悪ィ。他人事だなんて思っちゃいねえさ。そんだけ一之宮の器がでけえってことだ。それに俺んところも同じだなと思ってよ。冰も一之宮と似たようなタイプだからな。この前の唐静雨の件でも、あいつは寛大な心で受け止めてくれた。だが、俺がもし逆の立場だったら――やっぱりお前と同様、えらく妬いちまうだろうと思ってよ」
「つまりは何だ――俺らの方があいつらよりも愛情が深えってことか……」
二人同時に少々ガッカリとした顔付きで肩を落とす。そんな互いの様子が可笑しくて、極道の男たちは同時に苦笑し合うのだった。
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