310 / 1192

極道の姐1

 それはある晩のことだった。鐘崎組で幹部を張っている清水が少々重苦しい顔つきで後部座席にもたれ掛かる気配を感じながら、助手席にいた橘が後ろを振り返った。 「(ごう)ちゃん、どうかした? えらく辛気臭い顔してっけど……」  橘は清水よりも年齢的には一つ下ではあるが、幹部補佐という位も与えられていることだし、なにかと行動を共にすることが多い。何より生まれ育った街が一緒の幼馴染みでもある。そんな経緯もあってか、立場を超えてまったく遠慮のない間柄なのである。二人の間では名字ではなく下の名前で呼び合うほどで、互いに『(ごう)ちゃん』、『(きょう)』と気軽な関係だ。 「……ああ、まあな。少々困ったことになった」 「というと? 今の接待の場で何か話がこじれたとか……そういうことか?」  そう、清水はつい先程まで依頼人からの接待で食事に呼ばれていたのである。宴が終わる頃にちょうど別の打ち合わせを切り上げた橘が、帰りしなの車で拾いに寄ったわけだ。 「いや。仕事の件は何ら滞りなく終了したし、先様からの支払いも無事に受け取れた。今夜は依頼を済ませたことへの礼かたがたとおっしゃるので、特には気遣うこともなかったんだが……」  いわば報酬の受け渡しを兼ねた打ち上げ的な会食の場だったわけである。  本来、こういった仕事の一区切りの時には組の若頭である鐘崎が立ち会うことが多いのだが、あいにく今夜は別件で急な依頼が入ってしまった為、急遽幹部である清水が代行することとなったのだった。  まあ、今回はクライアントも裏社会の関係者ではなかったし、内容的にも企業同士の商談の護衛という一般的なものだったから、特に鐘崎本人が立ち会わずとも事は足りる。先方も支払いさえ済ませられれば、わざわざ若頭にご足労いただかなくてもいいとのことだったので、清水が出向いたわけである。問題は、その宴席で紹介された女であった。 「実はな、さっきの席に先様が馴染みにしているクラブのホステスというのを連れていらしたんだ」 「ふぅん? で、そのホステスがどうかしたのか?」 「お前も顔くらいは知っているかもしれんが、銀座のジュエラというでクラブで、割合引き手数多と言われている女だ。名前はサリー」  清水がそう説明すると、橘も「ああ!」と言ってうなずいた。 「ジュエラといえば、君江ママの店だろ? あそこは確か、ウチの親父さんもたまに接待なんかで使っていらっしゃる顔馴染みじゃねえか」 「ああ。君江ママっていうお人は親父さんの幼馴染みで、お人柄も良くできていらっしゃる、いわばプロ中のプロなんだが……」

ともだちにシェアしよう!