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漆黒の記憶5

 周は冰を車椅子に乗せると、自らそれを押しながら住まいであるダイニングへと戻った。怪我自体は軽く、立たせて歩かせることも十分可能であったが、今の彼は自分が九歳の子供であるという認識でいる。並んで歩けばその身長差から子供目線とは違う違和感を感じさせてしまうのを懸念しての配慮からだ。  まあ遅かれ早かれ事実を告げねばならないが、順序も大事である。なるべく冰を驚かせないように少しずつ現実と向き合えるようにしてやりたいという周の気遣いであった。 「うわぁ……綺麗なお部屋! ここもお兄さんの病院なの?」  冰がダイニングを見渡しながら感嘆の声を上げている。 「ここは俺の家だ。病院はこの一階下にある」 「そうなんだ。お医者さんのお家ってホントにすごく大きいんだね」  車椅子のままいつもの席に着けたが、冰は毎日ここで食事をとっていたことをまるで覚えていない様子である。普段の光景を見せれば何か思い出すかと淡い期待をしたが、さすがにそう簡単ではないかも知れない。  医師の鄧の話では一過性のものか、あるいは長丁場となるのか、現段階ではどちらともいえないとのことだった。ただ、何故今回このような症状に至ったのかという詳しい理由が分かれば、何かのきっかけでふいに思い出すことがあるかも知れないという。どちらにせよ今は焦らずに側で見守るしかない。  唯一の救いは冰が周に助けられた時のことを覚えているということだ。一切合切を忘れてしまったわけではないので、共に過ごす内に光が射すかも知れないという望みに賭けるしかなかった。  その後、夕飯を運んで来た真田を目にしても冰は彼のことをまったく覚えていない様子で、『初めまして、お世話になります』と律儀に頭を下げるに留まった。  一生懸命に敬語を使い丁寧に振る舞ってはいるが、仕草は子供そのものである。真田にとってもそれこそ胸が潰れるような思いだったろうが、冰自身はつい先刻にこの真田を庇ったことすら記憶にないのだからこればかりはどうしようもない。せめて心を込めて世話をすることで何か思い出してくれればと祈るばかりの真田であった。  食事は数々の飲茶を中心とした香港料理で、その豪華さにも冰は驚きに目を見開いていた。 「うわぁ……すごい! お誕生日みたいにお料理がたくさん!」 「お前は何が好きなんだ」 「んとね、何でも好きだけど一番好きなのはシューマイ! じいちゃんがよく作ってくれるんだけど、お兄さんのお家のシューマイは誕生日にじいちゃんが連れてってくれたレストランのシューマイよりも美味しい! すっごい大きくてふわふわでお肉もギッシリ詰まってて本当に美味しいです!」  言葉通り大きなシューマイを箸で一口大にしているのだが、少しぎこちないその仕草を見ても本当に子供そのものだ。一心不乱に皿の中の飲茶を見つめて、こぼさないように大きく口を開いては嬉しそうに笑顔を見せている。黄老人がマナーなどをきちんと教え込んで育てたのだろう様子が目に浮かぶようだった。

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