460 / 1208
漆黒の記憶24
「――盗み聞きとはいただけねえな」
「盗み聞きだなんて、そんなつもりはないわ。本当に偶然聞こえてしまっただけよ? 通り掛かりだったから全部ではないけれど、女性が御入用だとかそんなお話をなさっていたでしょ?」
女はしれっと笑ったが、実際はどうだか知れたものではない。以前から周に目をつけていて、帰り際にそれとなく後を追ったのかも知れない。
周や鐘崎がクラブ・フォレストを訪れる際は、決まった係の女性はおらず、必ず里恵子ママ自らが席につくことになっている。見るからに上客であろうし、容姿も群を抜いて男前といえる彼らを密かに自分の客にしたいと狙っている女がいてもおかしくはない。
「とにかくこちらとしてはおたくとそういった付き合いをする気はないし、不要だ。お引き取り願おう」
はっきりと断ったが、女は引き下がらなかった。
「でもしばらくご無沙汰でいらっしゃるんでしょう?」
しなだれかかるように腰をくねらせては、上目遣いで色気を強調する。まるで私の魅力に抗えるかしらとでも言いたげである。
「そんなに奥様が大事ですの? でも奥様も奥様よね。どんな理由があるか知らないけれど、あなたのようなご亭主を放っておくなんて酷くありません? アタクシなら絶対そんな思いはさせないわ」
女は詳しい事情までは知らないのだろう。単にしばらくの間、嫁と別居生活でも送っていると思い込んでいるようだ。
「お店で係に指名してくれとまでは言わないわ。ママにも絶対に内緒にするし、あなたに不利益になるようなことはしないと約束するわ。外で会ってくださるだけでいいの。アタクシ、これでも身持ちは堅い方ですのよ。誰とでも安易にお付き合いするようなこともしていないの。あなたとならと思ってこうして出向いて来たんですもの」
要するに”あなた”は特別で、普段は相手を選べる立場の高級な女だと言いたいのだろう。
「あなたにとっても悪い話じゃないはずよ? だからお願い。考えてくださらない?」
「不要と言っている。それ以前に里恵子はこのことを知っているのか」
「あら、無粋ですこと。ママにも内緒と言ったはずよ? 今日ここへ来たことはあなたとアタクシ以外誰も知らないわ」
「自己判断か。里恵子の耳に入ったら、あいつにも迷惑が掛かるとは思わねえのか」
「憎いことをおっしゃるのね。もしかしてアタクシよりもママから直々のお誘いをお望みなのかしら? でも残念! ママにはもうちゃんといい男性 がいらっしゃるのよ。いくらあなたでもママを落とすことはできないと思うわ」
さすがの周も不機嫌をあらわにせずにはいられなかった。
ともだちにシェアしよう!