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漆黒の記憶28

「……先生は……お嫁さん……いるですか?」  何ともぎこちない話し方で、語尾は日本語と広東語が混ざってしまっている。質問の内容も突飛といえる。鄧は驚きつつも何か記憶を揺さぶるような兆候かと思い、そのまま話を続けた。 「残念ながら先生にお嫁さんはまだいないな」 「……そ……ですか」 「まあボクもいい歳だからねぇ。そういったご縁があればとは思うんだけど、なかなかね。冰君は好きな子がいるのかい?」 「好きな子……」  少し考え込みながら、すぐにブンブンと首を横に振ってみせた。 「あの……それじゃ白龍のお兄さん……は?」 「――周のお兄さんにお嫁さんがいるかってことかい?」  コクリと遠慮がちにうなずいてみせる。  事実を答えるならばイエスだが、そのお嫁さんは冰である。ここはいないと言うのが正解と鄧は思った。  だがそんなことを訊くということは良い兆候といえる。聞きづらそうにしながらそれでも知りたいという意志が窺える。少なからず周に対する強い興味があるからこその質問なのだろう。 「周のお兄さんもボクと同じでまだ独身だ。お嫁さんはいないよ」  すると冰は驚いたように瞳を見開いて、すがるような視線で見つめてきた。まるで一瞬の内に闇から抜け出せたというくらいに瞳を潤ませ、心を震わせている様が見て取れる。 「本当、先生?」 「ああ、本当さ」 「でもさっき……」  言い掛けて冰はハッと口をつぐんでしまった。 「さっき……? どうかしたのかい?」 「ううん、何でもない……です」  とはいえ何か考え込むような素振りでいるのは確かだ。鄧はそれ以上突っ込まずに、診察だけを終えると、「じゃあもう少しゆっくり横になっていなさい」と言ってやさしく微笑むに留めた。  その後、診察の結果を報告がてら周の社長室へと向かった。 「鄧、すまなかったな。あれの具合はどんな様子だ」 「はい。お身体的には極めてご健康なご様子でした。特に心配する点は見当たりません。ただお気持ちの方が少々不安定でいらっしゃるかと思われます」 「何か心配事でもあるのか……。まあ、あいつもここでの生活に馴染んできたとはいえ、何かと気疲れしてるのかも知れんな。あいつの意識の中じゃ周りは皆大人だらけだからな。目上ばかりで本人も気づかねえ内に気を遣っているのかも知れん」 「というよりも、私の所見ですが……老板をお慕いするお気持ちが日に日に強くなられていて、そのお気持ちに戸惑っているようにお見受けできるのです。それに少々気になることをお尋ねになられまして」 「気になることだ?」 「ええ。老板にお嫁さんはいるのかとお訊きになられました」  周は驚いた。

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