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孤高のマフィア29

「まあ、確かに映画かドラマみたいなお話なので実感が湧かないと言うのもありますが……正直に言えば怖いですよ。第一、何でこんなことになっているのかも分からないんですから。ですが、泣いて騒いだところでどうなるものでもないでしょう。それよりも、俺が知りたいのはあなたにこのことを依頼した方についてです。もちろんあなたが依頼者の秘密を守らなければならないのは理解できますが、こちらとしてもいきなり異国のマフィアに売り飛ばされるなんて聞けば、その理由くらいは知りたいと思うのは当然でしょう」 「まあ、そりゃあなぁ」  男は確かに冰の言うことも一理あるという表情をする。平気で拉致を請け負うくらいだから、いい人間とは言えないが、思慮が浅いだけで根っからの悪人ではないのかも知れない。 「それに――本当に異国に売られてしまうのであれば、俺たちはこの場から居なくなってしまうわけですから」  つまり拉致の理由を明かしたところで、依頼者には秘密は守ったと言えばいいだけだ。 「本心を言えばその依頼者という方にお会いして理由を訊きたいのは山々ですが、それではさすがにあなたが困られるでしょうから」  理にかないすぎというくらいの冰の言葉に男も思うところがあったわけか、しばし首を傾げて考え込んでいたものの、今回の拉致に関して詳細を告げる気になったようだ。 「あんた、ホントに上物っつーか、できた人間っつーかさ。正直気の毒にも思えてくらぁな。よし、分かった! 本来はタブーだが、あんたの人柄に免じて教えてやらぁ。実は俺にあんたの拉致を依頼したヤツってのはな、あんたの存在そのものが気に入らねえらしいんだわ」 「気に入らない……俺をですか? 俺、どなたかに恨まれるような失礼をしたんでしょうか」 「や、失礼とかそういう問題とは違えだろうな。あんたが何かしたとか恨まれてるとかってよりも……あー、クソ! どう言やいいんだぁ、これ?」  冰が理詰めで立板に水のような話し方をしたせいでか、男も言っていいことと悪いことを咄嗟に判断するのが難しいようだ。グシャグシャと頭を掻きながら参ったなというように眉根を寄せている。  ここで考えさせる間を与えてはならない。  冰はクイと可愛らしい仔犬のように首を傾げては、『早く言え、アンタが頼りなんだよ』というような素振りで煽りに入ってみせた。案の定、男は言葉を選ぶ暇もなく、結局は核心をぶちまけるしか思い付かなかったようだ。 「あー、つまりな……その、そう! 早え話があんたさえいなくなりゃ好きな男が自分のものになるとかならねえとか。つまりはあんたが今付き合ってる相手、氷川っつったっけ? 依頼者はその男に惚れてるらしいよ!」 「惚れてる? 氷川にですか?」  男は「うんうん!」というように首を縦に振っては、これ以上は勘弁してくれと言いたげだ。 「なるほど……。それでしたら俺を邪魔に思うのも仕方ないというところでしょうか」  と言いつつも内心ではさすがに驚きを隠せない。それまでは側でおとなしく聞いていた里恵子も然りだ。 「氷川さんに惚れているですって? じゃああなたに依頼した人物っていうのは女性なの? もしかして私たちの顔見知りだったりして……」  今度は里恵子がそう訊いた。

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