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謀反35

 その後、冰と真田はそれぞれ仕事に戻っていったが、夕方になるとまた二人が医務室へとやって来て、食事の世話などをしてくれた。そんなことが数日続き、容態も大分安定したからということで自室へ戻ることになったが、相変わらずに記憶は戻らないままだった。  それでも冰と真田はまったく焦れることもなく、常に穏やかに接してくれる日々が続いた。  朝食は秘書の冰と一緒にし、彼は言葉数こそ多くはないが、粥をよそってくれたり茶を淹れてくれたりと甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。無理に会話を強要することはなく、黙っていながらも何かの拍子にふと視線が合えば穏やかな笑みで安心させてくれる。そんな彼は昼間は仕事に行くが、昼食は真田が、そして夜はまた秘書の冰が共にダイニングにつき、なにかと細かい気配りをしてくれる。  特には会話もないままだが、周は彼らが側にいてくれることで不思議と安堵感を覚えるのが心地好くも思えていた。  そんな中、ある日の診察中のことだった。 「先生、ひとつ訊いてもいいか?」  珍しくも周が自ら話し掛けてきたことに驚きながらも、鄧は『何でも訊いてください』と言って穏やかに微笑んだ。 「あの秘書だという青年だが……彼はどういう……」  そこまで言い掛けたものの、再び押し黙ってしまう。おそらくはどういう人間なんだと訊きたいのだろうが、上手く言葉にならないようだ。 「秘書というと冰君のことですね?」 「ああ……。あの時、山の中の洞窟で……あの青年が俺を助けに来てくれたのは覚えてるんだ。俺は救助隊かと思っていたが、ここに来てあんたらから秘書だと聞いて驚いた。あの時、俺が『救助隊か?』と聞いたら、彼もそうだと答えたような気がする」  秘書であるならどうしてその時にそう言わなかったのかというのが、周にとっては不思議でならなかったようだ。 「実は……あんたらが助けに来てくれる前に俺と一緒にいた男から……俺には男の嫁がいると聞かされていた。その男は自分がその嫁だと言ったが、俺はどうしても思い出せなかった。というよりも――信じられなかった……と言った方が正しいか……」  つまり香山のことを言っているのだろう。記憶がないのをいいことに、香山は自分が周の嫁だと言い張ったのだろうことは、勘のいい鄧にはすぐに理解できた。 「――その男の名前は覚えていますか?」 「ああ。香山淳太と名乗っていた」 「香山……ですか」  ――やはりか。 「だが……嫁だと言ったその香山という男も……気が付いたら居なくなっていた。次に気付いた時にはあの秘書だという青年に助けられていたというわけです」  嫁だと言い張った香山はこちらが何も思い出せないでいることに焦れていたという。周自身も何故かその香山に対しては、何を言われても全くといっていいほど気持ちが動かなかったというのだ。

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