919 / 1208
慟哭25
「若はあれからますます仕事にも精を出しておられるようですが……ああ根詰められてはお身体が参ってしまわれないか心配です」
「今は仕事に集中することでしか己を保てんのかも知れん。気持ちのやり場がないのだろうな――」
「つい最近もまた依頼人の秘書だという女性が若に色目を使ってきたそうですな。ですが若はまるで相手にしなかったとか――」
「そのようだな。以前のあいつならはっきり断れずにウジウジやっていただろうが、えらく冷たい態度で一刀両断したと聞いている」
「ええ……一緒に打ち合わせに行った清水が驚いていましたよ。何でも交流を兼ねて食事でもどうかと誘われたんだそうですが、仕事に関係のない付き合いは一切しないと即答なさったとか。邪な感情を持っているならば依頼自体を断ると――」
「まあ今までのように優柔不断な態度でズルズルするよりは正解かも知れんが、まずは第一段階といったところだろうな。あの不器用な遼二にとっちゃ、そうするしか自分と紫月を守る手段が思いつかんのだろう。相手が気持ちを察して諦めてくれるのを待っている――なんていうやり方では、いつまたこの間のような逆恨みを買うかも知れんと思う恐怖があいつを駆り立てているんだろう」
僚一は言うと、普段は滅多に口にしない煙草に火を点け、スウと深くそれを肺に入れて吐き出した。
「恨みの矛先が紫月に向けられないようにと思うばかりに酷く冷たい態度で女たちからの恋情を退ける――か。万が一この前のような逆恨みを買うことがあった場合、それが自分一人に向くようにしているのだろうが……。これまでとはまた別の意味で心に高い壁を作っちまう結果となったのは哀れと思う」
僚一は、いつの日かもっと柔和でいながらして、そういった横槍すら上手くかわせるようになるまで側で見守ってやるしかないだろうと溜め息をついてみせた。
「あいつにとって何より大事な紫月を命の危険に晒しちまった――しかも今回は紫月たった一人で銃弾の雨にさらされるといった、一歩間違えば死に直結するといった状況だ。遼二にとっては心を抉られるような事態だったからな。その原因が自分の甘さにあると思い、鉛の弾丸のように心に突き刺さっているのだろう。攻撃は最大の防御とばかりに己を鋭い刃にするしか方法が思いつかんのだろうな」
「お気の毒なことですな。周殿があのやさしい若の性質までをも変えてしまうようなことをしでかした女が許せないとおっしゃったそうですが……」
「ああ――。だが乗り越えていかねばならん。今はいっぱいいっぱいだとしても、あいつがあたたかい人の心を取り戻す日がくるよう俺たちは陰ながら支えていくしかない」
「姐さんもそんな若の痛みが分かるだけにお辛いでしょうが――」
「そうだな。だが夫婦だ。紫月の愛情がいつかはきっと遼二を癒す――。凍ってしまった心を少しずつ溶かして、必ずまた元のようにやさしい心を取り戻してくれると信じている。時間は掛かるかも知れんがな」
いつの日か――この険しく重い記憶を乗り越えて、更なる躍進の糧に変えられる日がくるよう、今まで以上の愛情をもって育み、二人で共に歩いていって欲しい。
どんなに厳しく辛いことも二人でなら背負っていける。
肩に刻まれた対の花はどんな時でも鮮やかに咲き誇る。深い深い愛情で、強い強い覚悟で、嬉しいことも辛いこともすべてを分かち合っていって欲しい。
紅椿白椿、永遠に枯れることのない真の愛情と互いを慈しむ想いを象徴する大輪の花の如く――。
慟哭 - FIN -
ともだちにシェアしよう!