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第1話
日曜日の昼下がり、窓の外では秋風が紅葉した赤い葉を散らしているのが見える。
僕はそれをぼんやり眺めながら、訪れるはずの家庭教師を待っていた。
(先生、来ないなーー)
約束の時間はとっくに過ぎている。
仕方ないので僕は自分の部屋を出て、蔵に向かうことにした。
この家は今時珍しい事に蔵がある。母屋は木造の二階建てだが、土蔵の蔵は中が蔵座敷になっており、一見座敷牢のような雰囲気だ。
こういう場所は、子供に折檻をする時などによく使われるようだが、蓮見の家では少し事情が違うーー。
真っ赤に葉が色づいたハナミズキが一本植わっている以外は、殺風景な中庭を通って蔵に向かう道中、塀の向こうからこれみよがしに近所の人が噂話しているのが聞こえてきた。
「おお、嫌だ。化け屋敷の前だわ。息をするのも恐ろしい」
「鬼だか妖の一家だって?そんな恐ろしい事本当にあるかね?」
「実際ここの家に関わるとろくな事が起きないらしいよ。この家に出入りしてる人間は行方不明になったり自殺したり……今は息子二人と父親が住んでるらしいけど、母親も何年も前に失踪してるってーー」
「夜中に通ると呻き声も聞こえてくるって言うし……恐ろしいね。くわばらくわばら」
「……」
田舎の人間は噂好きで、異端を嫌う。近所付き合いのない古い家など、噂話の格好のまとだ。
恐ろしいのはその噂話がわりと的を得ていることだ。
この家には確かに妖あやかしがいる。
漆喰塗りされた重い板張りの引き戸をギシギシと音を立てて引くと、中から明らかに女性ではないが、男と言うには高めの声が漏れ聞こえる。
「……は、あッ!あ……んんっ」
僕は軽くため息をつきながら、更に奥に進んで格子付の引き戸を開ける。
中には座敷の真ん中で、絡みあう二人の人物がいた。
「あっ!は、あん!あッ!もっと、奥突いてッ!」
「はっ、はっ、和泉くんっ、ここかい!? そら!!」
だらしなくズボンをずり落ろして、尻の上半分が見えている状態で一生懸命腰を振っているのは僕の家庭教師だ。
有名な大学に通っていると初めてあった時の自己紹介で自慢げに語っていた時は、真面目で堅物という印象しか無かったが、今は盛りのついた豚のようだ。
赤黒いヌラヌラした性器を、黒い絽の浴衣を着た少年の尻に出し入れするのに滑稽なほど必死になっている。
組み敷かれた少年は恍惚の表情で、腰をくねらせ、深く、より深く男の性器を自分の蜜壷に入れ込もうとしているのが見て取れた。
「あっ!あっ!そこっ!……ッあ!は、あん!いっちゃう!いっちゃうよぉ、せんせぇぇ……!」
「はっ、あっ、いいよ、はっ、僕もっ、はっ、君の中が気持ち良すぎてっ…!……っう!」
「ッあ、はぁッ……っあーーっ」
蔵の中の熱量が一段上がる。果てた後の濃厚な精の香りをかき消すように、僕はおもむろに声をかけた。
「先生、すいませんが約束の時間です」
先生は大げさなほど驚いて振り返ると、慌てて性器を抜いて身支度をする。
性器が抜けた少年の後蕾から、ぶぶっと音をたてて溢れ出た大量の精液が浴衣を濡らし、少年の色づく肌にまとわりついた。
「ちょっと、余韻も何もあったもんじゃない。もう少し待ってから声をかけてくれてもいいんじゃないか、伊芙生」
「充分待ちましたよ。放っておくと、ずっとじゃないですか、兄さんは」
兄の和泉は、形の良い小ぶりな唇を弧に描き、ふふ、と笑って溢れ出る精液を拭いもせずに立ち上がる。絽の浴衣を帯もせずに肩にかけただけの姿は、蔵での兄の定番のスタイルだ。
すぐに性交できるからに他ならない。
「しょうがないじゃないか。俺はコレがないと生きていけないんだ。死活問題なんだよ」
そう言いながら、溢れ出た精液を拭って口に含む。兄が言うと冗談に聞こえないが、兄も自分も全く普通の人間だ。
近所で噂されているような事実はない。
少なくとも僕は聞いた事がない。
僕の家である蓮見家は古い家だが、所謂曰くのある家というわけでもなく、明治時代から貿易会社を営んでいて、蔵もその名残りらしい。
父は入り婿だが現在社長として会社を経営している。母は幼い頃に父と離婚して家を出た。
妖やら鬼やら、どこから、そのような噂がたつのか、僕には分からない。
が、今の兄の姿を見ると、妖とはこういう者の事を言うのかもしれないとさえ思う。
人々に淫欲を抱かせる禍々しく美しい陰獣。
黒々とした底なし沼のような目で、僕を見つめながら兄が言った。
「お前も入ればよかったのに」
「冗談言わないでください」
僕はぴしゃりと引き戸を締めた。閉めた戸からケタケタと言う兄の笑い声聞こえる。
外に出ると、とっくに飛び出して待ち構えていた家庭教師がヘコヘコと頭を下げながら近づいてきた。
「伊芙生くん!ごめんね!!その、君のお兄さんから誘われて、いつの間にか……僕も何が何やらで……」
「気にしないでください。兄はいつもそうなんです。それより、僕の部屋で勉強しましょう」
「あ、ああ!そうだね!勿論!!今日は何の勉強をしようか」
さっさと先に進む僕に、家庭教師が後から媚びへつらうように着いてきた。
淫蕩な兄にも、虫けらのような家庭教師にも、何もかにも吐き気がする。
(この家は奈落の底だーー)
蔵で捕まえた獲物を、身体ごとバリバリ食らう。やがて自身も、地獄の業火で炙られるのだ。
(早く護に会いたいーー)
僕は自分の部屋のドアを開けながら、同級生の端正な顔に思いを馳せた。
※※※
「何を読んでいるんだ?」
図書委員の仕事を済ませ、図書室の受付カウンターで本を読んでいると、同じクラスの伊達が手元を覗きこみながら声をかけてきた。
突然目の前に端正な男らしい顔が現れて、僕の心臓は否が応でも跳ね上がる。
「待たせたな」
そう言いながら爽やかに微笑む彼は、僕と同じクラスの伊達護だ。
高校一年生にして178cmと長身の立ち姿は、服の上からでもしなやかな筋肉で覆われているのが見てとれる。
一年の二学期から引っ越してきた彼は、東京に居た頃は都大会に出るほどのテニスの腕前らしく、この高校でも既にテニス部のエースだ。突然のスター級選手の登場に教師たちは俄かに色めきだっている。
まだ会って数ヶ月しか経ってないが、出会ってすぐにクラスメイトに倦厭されている僕を心配して、何くれと世話を焼いてくれるようになった。
今では図書委員の仕事に託かこつけて、護の部活が終わるのを待って一緒に帰るのが二人の暗黙のルールになっていた。
「護、もう部活終わったの?」
窓の外は夕方と言うには少し早い時分だ。いつもは薄暗くなるまで待っているのに。
「ああ、もうすぐ試験だがらな。俺は転校してきたばかりだから、早く帰って勉強しろと言われた。赤点だと大会にでれないんだと。帰っても勉強するとは限らないのにな」
そう言って悪戯そうに微笑む護に、僕は暫し見惚れてしまう。
見惚れているのは僕だけじゃなくて、図書室いた他の女子達が、護の方を見て頬を染めながら何か囁きあっているのが分かった。
「って事だから、なんか食べて帰ろうぜ。あ、でもまだ本読みたかった?」
「ううん、何度も読んでる本だから」
「ふーん、蜘蛛の糸?あれ?なんか、地獄にいた悪党にお釈迦様が蜘蛛の糸垂らしたみたいなやつ?」
「そうそう、有名な話なんだけどね。僕は原文が好きだから、結構読み返してしまうんだ」
「蜘蛛の糸」は芥川龍之介の有名な話だ。
僕はこの話の、蜘蛛がいた池にある蓮の描写と、蜘蛛の銀の糸という表現がなんとなく好きで繰り返し読んでしまう。
地獄の底から見る、垂らされた銀の糸はどんなにか美しかったろう。
(僕にとっての蜘蛛の糸は護だーー)
隣でへぇと言いながらペラペラと文庫本をめくる護に思いを馳せる。
「これってさー」
護が文庫本を僕に返しながらにこやかに言った。
「思ってたより早く糸切れるのな」
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