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第8話
子どもを成せるオメガは常に受け身だから、『抱かれたい』と思うことがあっても『抱きたい』とは思わない。しかし、達也を内に秘めた真澄は違う。
本来、男性ベータの俳優が、男性オメガの役を演じるときに難しいのは、そのあたりの感覚差だと言われる。男性ベータには抱かれる気持ちがわからない。そして、反対のことも言えるわけだ。
オメガには、抱く側のことがわからない。
けれど、真澄にはわかる。達也のときに経験したからだ。
「オレのこと、からかってるだろ」
じっとりと目を据わらせて花島を見る。不遜な笑みと同様に、普段、だれにも見せない威圧的な眼差しを向けた。
「……真澄さん、かわいいから」
その瞬間だけ、花島は笑わなかった。まっすぐな瞳を向けられ、真澄はただ黙って受け止める。アルファからすれば、オメガはみんなかわいい生き物に見えるのだろう。
恋愛に発展する前から、そうなのだ。
達也だった頃、女すべてに欲情を覚えたように、アルファはオメガに欲望を感じる。
花島の本心を探りながら、真澄は可笑しくなった。
「オレたちの役はさ……。あんたがアルファの王子で、オレがオメガの騎士だ。王子が騎士を口説いて関係が始まるのは、理解できる。アルファはみんな、あんたみたいなんだから」
「どういうこと?」
花島が興味ありげに相づちを打つ。真澄は続けた。
「だって、あんたも、オレのことはベータかオメガだって決めてかかってる。アルファにすれば、どっちも愛玩対象だもんな」
「……言葉が、悪いね」
苦笑いを向けられたが、肩をすくめただけで受け流す。真澄は続けた。
「でも、運命を説かれたオメガの騎士は、王子を拒むんだよな。いつかは自分が命を懸けて守ることになる相手だから……。惹かれていても、想いは明かさない」
王子のために死ぬ覚悟を決めている自分が応えてしまったら、別れのあとで絶望させてしまうことになる。だから、騎士は気持ちを胸の奥に隠そうとする。
その片恋のせつなさが物語の軸だ。
「王子はさ、なにを考えてるんだろうな。国のことを気にしながら、同時に、騎士を抱きたくてたまらないから口説くんだろう」
「そこまで即物的じゃない」
「あー、じゃあ、アレってこと? アルファの孤独ってやつ?」
真澄はわざと意地悪く言った。
他より優れた資質を持つアルファは、だれにも頼ることができず、我が身に苦悩を抱えているという通説だ。
「真澄さんは、アンチ・アルファなの?」
「いや、そんなことはないけど……。恋愛に興味がないんだ。結婚も」
どちらも面倒ごとを生むだけだと知っている。愛し、愛されて、幸せな家庭を作ることで幸福になるなんて、信じられない。
真澄自身は家族に恵まれたが、達也の記憶は薄暗かった。それがいまでも影響を及ぼし、真澄の価値観を形作っている。
「花島はどうなの? 実家が見合い話を持ってきたりするの」
「そこまで、古風な家じゃないよ。俳優をしてるぐらいだし、放任主義だよね。姉がアルファだから、そっちが家を継ぐことになってる。……妹はオメガだよ。三人兄弟」
「ふぅん……」
「だから、オメガのことはよくわかってるつもりだ。イマドキ、貞淑なオメガが流行らないことも。演出の北河(きたがわ)さんも、その路線は狙ってないと思う。だから、真澄さんを選んだはずだ」
「オレって、どういうイメージなんだよ……」
「顔に似合わず、男前」
端的に言われ、真澄は表情を歪めた。
「オレに対して、かわいいって言いまくるやつに言われてもなー」
ぼやくふりをしながら、あごをそらした。
「オレの顔はさ、たしかに、それなりにいい。でも、花島に言われるとなんか、こう、イラッとする」
相手が正統派ミュージカル俳優と呼ばれるアルファだからだ。
「真澄さんは『かわいい』って言われるのが、好きじゃない?」
「これでも、男だし。でもまぁ、かっこいいって顔じゃないからなぁ」
「立ち回りで動いてるときは、抜群にかっこいいよ。いままでの舞台、全部見てる」
「……え?」
言われた言葉の意味がわからず、真澄は固まってしまう。
花島といると、こんなことばかりだ。しかも花島本人には戸惑わせている自覚がなく、真澄だけが翻弄されてしまう。
「あぁ、電子媒体(スティック)になってるやつ」
「違うよ。リアルタイム。三作目からだけど。七年前だよね」
「……ごめん。それ、どう取ればいい? ファン? それとも、仕事で……?」
真澄が真顔になると、花島はことさら、にっこりと笑った。
「それはもちろんライバルとして。いつか、こっちに来るだろうって、思ったんだ。真澄さん、歌も上手いしね」
「……嘘っぽい」
できるかぎりヘラヘラと笑い、フォークの先でベビーリーフを刺す。
いまさらファンだと言われても、得意げにはなれない。
無視されるのは論外だが、持ちあげられても素直には喜べなかった。
「じゃあさ、おまえから見た、オレの短所ってどこ。なにを直せばいいと思う?」
「ライバルだって、言ったよ? 教えない」
花島はふふっと笑ってコーヒーマグを手に取った。目を細めながら、あごを少しそらすような仕草が、色っぽい。
真澄はさりげなく視線をそらして食事を続ける。視界の端に、テラスの瑞々しい緑がちらつく。
七年も前からライバル視していたと言われて、素直には喜べないが、悪い気もしなかった。嘘だとしても、花島の声で言われると、真実味があって気分がいい。
「嘘だと思ってる顔だね」
すかさず図星を指されたが、真澄はちらりと視線を返すだけだ。花島は続けて、真澄の代表作について語り出す。意外だったが、遮らずに最後まで聞く。
ひと通り終えたあとで、花島が付け加えた。
「真澄さん。今夜、イタリアン、行きますよね?」
「気楽な店なら……、まぁ、いいけど」
しかたがないようなふりで答えた真澄は、絶妙な半熟具合の目玉焼きを口へ押し込んだ。
少し褒められたぐらいで浮き足立つ自分の幼稚さをわずかに悔やみ、またぼんやりと夢を思い出す。脇腹の違和感は消え去っていたが、夢と現実の狭間にいる感覚は続いている。
ナイフを持った男の顔は見えなかった。真澄の見る夢は、色がついているようでモノクロだ。けれど、ナイフからしたたり落ちる雫の色が赤であることは感覚でわかっていた。
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